戦前の軍隊写真帖です/骨董品の買取は福岡玄燈舎品
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福岡市西区で旧日本軍の写真帳を買取りました!

歩兵やトラックなどが写っています/写真帳の買取は福岡玄燈舎
歩兵やトラックなどが写っています

骨董という名の時間の倉庫

骨董の出張買取という仕事をしていると、世の中には「時間を段ボールに詰めて押し入れにしまっている人」が意外と多いのだと実感する。今回の依頼も、まさにそんな「時間の倉庫」にお邪魔することになった。

場所は福岡市西区。依頼主は元自衛隊の方である。電話口の声は年配らしい落ち着きがあり、要件は実に簡潔だった。

「骨董を少し整理したくてね」

骨董を「少し」と言う人に限って、たいてい家一軒分ある。これはこの仕事をしていると嫌でも覚える法則の一つである。だいたい「少し」はトラック一台分、「ちょっと」は軽トラ半分くらいの意味だ。

玄関先で出迎えてくれた依頼主は、背筋の伸びた立派な方だった。長年自衛隊にいたという雰囲気が、その立ち姿だけで伝わってくる。家の中に案内されると、さっそく例の「少し」が姿を現した。

掛軸が数十本。古伊万里が二十点ほど。アンティークドールが十体。そして軍隊関係の品が段ボール三箱。

なるほど、やはり「少し」である。骨董の世界における「少し」は、だいたいこういう意味だ。

まずは掛軸から拝見する。骨董屋というのは、掛軸を見るときに一瞬だけ夢を見る。もしかしたら有名な画家の真筆が混じっているかもしれない、という夢である。

もっとも、その夢はたいてい三秒で終わる。

今回の掛軸も例外ではなかった。ほとんどが書道家の作品で、達筆ではあるものの骨董市場で高額になる類のものではない。書は素晴らしい。しかし市場は冷たい。達筆と値段は、必ずしも比例しないのだ。

骨董屋はときどき残酷な仕事である。

「これはどうでしょう」

依頼主が一本の掛軸を差し出す。

私は慎重に広げてみる。立派な筆致だ。気迫もある。おそらく書いた本人は相当な自信を持っていたに違いない。

しかし市場というものは、作者の自信よりも名前を重視する。骨董屋の査定はときどき、芸術より戸籍を見ているような気分になる。

「書は良いんですがねえ」

そう前置きして説明すると、依頼主は苦笑した。

「やっぱりそうですか」

どうやら覚悟はしていたらしい。骨董の整理というのは、だいたいが「夢の整理」でもある。

次に古伊万里を見せてもらう。大皿、壺、鉢。食器棚から次々と出てくる。ここで骨董屋の目の色が少し変わる。

古伊万里というのは面白いもので、ぱっと見では分からない差が値段に大きく影響する。時代、釉薬、絵付け、形。いろいろな要素が絡み合う。

そしてその中に、少しだけ光るものがあった。

小さな猪口と徳利。いわゆる初期伊万里である。

初期伊万里は江戸初期、まだ日本の磁器が試行錯誤していた頃の作品だ。完成された美しさというより、どこか素朴で実験的な魅力がある。何よりも味のあるやや薄めの呉須が宜しい。

「これはいいですね」

そう言うと、依頼主の顔が少し明るくなった。

骨董屋の「これはいいですね」は、料理人の「いいマグロですね」に近い。つまり本気である。

次に人形である。市松人形が数体、西洋人形が数体。骨董屋というのは、人形を見るときに少しだけ背筋が寒くなる。

夜中に倉庫で目が合うからだ。

その中にフランスのジュモー人形があった。十九世紀のヨーロッパで作られたビスクドールで、アンティークドールの世界では人気のあるものだ。

ガラスの目、繊細な顔立ち。人形というより、まるで小さな貴婦人である。

骨董屋はときどき、人形のほうが人間より品があると思うことがある。

こちらも状態が良く、なかなか良い値段を提示できそうだった。

そして最後に段ボール箱である。

骨董屋は段ボール箱を開けるとき、少しだけ考古学者の気分になる。中には、時間がそのまま詰まっているからだ。

複葉機や戦車の前で写っています/軍装品の買取は福岡玄燈舎
複葉機や戦車の前で写っています

軍帽、記章、勲章、写真。整然と保管されている。聞けば、ご先祖が戦地に行った際の品だという。

年代は昭和九年前後。

つまり満州事変から日中戦争の頃だ。

歴史の教科書の中では、こういう出来事は数行で説明される。しかし実際には、その背後に無数の人間の生活がある。

写真の中の若い兵士は、きっと自分が骨董品になるとは思っていなかっただろう。

歴史というのは不思議なもので、昨日まで日用品だったものが、ある日突然「資料」になる。

この軍装品もそうだ。帽子や勲章は、当時の時代背景を伝える貴重な資料になり得る。

市場でも一定の需要がある。

骨董屋という仕事は、ときどき歴史の仲介人のような気分になる。

誰かの記憶を、次の持ち主へ渡す仕事だからだ。

一通り査定を終え、金額を計算する。掛軸は控えめ。伊万里は良好。人形はまずまず。軍装品は思った以上に評価できる。

合計すると、依頼主にも十分満足していただける金額になった。

提示すると、依頼主はしばらく黙っていた。

骨董品の査定では、この沈黙が一番長く感じる。

やがて静かに頷いた。

「それでお願いします」

その言葉で取引は成立した。

長年集めてきた品々が家を出ていくのは、少し寂しいものかもしれない。しかし同時に、物はまた新しい場所へ旅をする。

骨董や古美術品というのは、結局のところ旅人なのだ。

誰かの家にしばらく滞在し、また次の家へ行く。

そうやって百年、二百年と生き延びていく。

帰り際、依頼主がぽつりと言った。

「物にも寿命がありますからね」

私は思わず心の中で首を振った。

いや、物の寿命は人間より長いことが多い。

骨董屋という仕事をしていると、むしろこう思うことがある。

人間のほうが、物よりずっと短命なのだと。

段ボールに詰められた時間を車に積み込みながら、そんなことを考えていた。

骨董品とはつまり、時間の再利用なのかもしれない。

ではまた次の倉庫へ。

この写真帳については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。

買取品の詳細

◇この「旧日本軍写真帳」は中国、戦前のいわゆる日本軍が建国した「満州事変」の写真が多くあり貴重な資料となりました。複葉機や戦車、なども写っており大変レアな場面もありました。ありがとうございました。

買取査定額

大砲でしょうか?/骨董の買取は福岡玄燈舎
大砲でしょうか?

◇古い写真帳の買取査定額もしくは評価額ですがまず第一に時代や場所、特に現在ではなくなってしまった都市や風俗などの写っている画像があればより高価買取&できます。ご自宅に写真帳や軍装品が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、場所でもお値段は変わりますのでご了承ください。

 

■過去の作品買取例

海軍文庫【大日本帝国軍艦写真帳】300,000円
香港 南支風俗写真帳 150,000円
南満州鉄道の写真帳  50,000円
上海海軍特別陸戦隊  写真帳 40,000円 他多数

満州事変~日中戦争とは?

占領時の兵隊の行進です/骨董品の買取は福岡玄燈舎
占領時の兵隊の行進です

満州は、現在の中国東北部(遼寧・吉林・黒竜江あたり)を指します。

この地域は

  • 石炭・鉄など資源が豊富

  • 広い土地がある

  • ロシアや中国との国境に近い

という理由で、当時の列強にとって非常に重要な地域でした。

日本は日露戦争の後、この地域に鉄道や利権を持つようになります。
その中心が

南満州鉄道株式会社
でした。

つまり日本はすでに満州で大きな経済利益を持っていたのです。

当時の日本の事情(原因)

満州事変の背景には、日本国内の問題もありました。

① 世界恐慌

1929年の
世界恐慌

これで日本の輸出や農業は大打撃を受けました。
失業者も増え、社会は不安定になります。

そのため軍の一部では

「満州を開発すれば日本は豊かになる」

という考えが強くなりました。

② 軍の独断行動

満州に駐屯していたのが

関東軍

でした。

この軍の中には

  • 石原莞爾

  • 板垣征四郎

など、満州を日本の勢力圏にしたいと考える将校がいました。

彼らは

「日本政府の許可を待っていたら動けない」

と考え、現地で事件を起こして既成事実を作ろうと考えます。

 直接のきっかけ

1931年9月18日

柳条湖事件

が起きます。

関東軍は

  • 南満州鉄道の線路が爆破された

  • これは中国軍の仕業だ

として軍事行動を開始しました。

しかし現在では、

関東軍自身が爆破した自作自演だった可能性が高い

とされています。

これを口実に、日本軍は満州各地を占領していきました。

 その後…

戦前写真帳買取りました/骨董品・福岡市
戦前写真帳買取りました

翌年の1932年、日本は満州に

満州国

という国を作ります。

清朝最後の皇帝
溥儀
を皇帝に据えました。

しかし実際には日本の影響が非常に強い国でした。

この行動は国際社会から強く批判され、
日本は

国際連盟

を脱退することになります(1933年)。

日中戦争とは…

① 背景(戦争の原因)

日本の中国進出

日本はすでに
満州事変
によって中国東北部を支配し、

満州国
を作っていました。

しかし中国側はこれを認めていませんでした。

つまり

  • 日本 → 満州を守りさらに影響力を広げたい

  • 中国 → 日本の侵略を止めたい

という強い対立がすでにあったのです。

中国の団結

当時の中国では

が内戦をしていました。

しかし日本の勢力拡大に対抗するため
1936年に

西安事件

が起き、両者は協力して日本と戦うことになります。

② 直接のきっかけ

騎馬兵も映っています/戦前アルバムの買取は福岡玄燈舎
騎馬兵も映っています

1937年7月7日

盧溝橋事件

が起きました。

場所は北京近くの

盧溝橋です。

夜間演習中の日本軍が兵士の点呼を取った際、
兵士が一人見当たらないという騒ぎになりました。

そこで

  • 日本軍が周辺を捜索

  • 中国軍と緊張状態

  • 銃撃戦が発生

という形で衝突が起きます。

その後、兵士は戻ってきましたが、
すでに戦闘は始まってしまいました。

③ 小さな衝突が大戦争へ

本来は局地的な事件で終わる可能性もありました。

しかし

  • 日本軍が増援を送る

  • 中国軍も抵抗する

ことで戦闘が拡大します。

さらに戦線は

  • 北京

  • 上海

  • 南京

へ広がり、全面戦争になりました。

④ その後

戦争は長期化し、日本は中国の広い地域を占領しますが、
中国は降伏しませんでした。

そして1941年、日本は

太平洋戦争

に突入し、
日中戦争はそのまま第二次世界大戦の一部として続くことになります。

最終的に1945年、日本の敗戦で戦争は終わりました。

 

参考サイト

国立公文書館

アジア歴史資料センター
国立国会図書館

■その他の買取品目

 

★骨董品買取の福岡玄燈舎では古美術品の他、アンティークや掛軸、茶道具、書道具、絵画、仏像、勲章、中国陶磁、甲冑など多彩な骨董品を査定買取しております。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にご相談ください。

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