
福岡市早良区でアンティーク電話機を買取りました!

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◇福岡の街は、もうすぐ山笠である。
一年で最も博多の男たちが男になる季節だ。
普段は会社で上司に頭を下げ、家では女房に頭を下げ、銀行にはもっと深く頭を下げている男たちが、この時ばかりはふんどし一本で町を疾走する。人間という生き物は実に不思議だ。
一年のうち三百六十日は肩身の狭い思いをしているのに、残りの数日だけは「オイサッ!」の掛け声と共に英雄になる。それが博多という町である。
そんな男たちに負けてはいられない。こちらも骨董屋として気合を入れ、お宝探しに西へ東へと駆け回る毎日だ。
もっとも、山笠の男衆が追いかけるのは山であり、私が追いかけるのはガラクタいや、お宝である。
傍から見ればどちらも似たようなものだが、本人たちは至って真剣なのである。
そんなある日のこと。一本の電話が鳴った。
「父が集めていた骨董品のコレクションを見てほしい」骨董屋にとって実に甘美な響きである。
「コレクション」この言葉には夢がある。古伊万里かもしれない。あるいは李朝かもしれない。
あるいは蔵の奥から国宝級の古美術品が出てくるかもしれない。もちろん現実はそう甘くない。
骨董屋という生き物は、この「かもしれない」を餌に生きているのである。
早速、依頼主の家へ向かった。立派な住宅である。庭木もよく手入れされている。
こういう家は期待が持てる。期待しながら玄関をくぐった。
すると依頼主が満面の笑みで迎えてくれた。そして私は、この後待ち受ける試練をまだ知らなかった。
「まずは私のコレクション遍歴からお話ししましょう」
来た…骨董屋人生の中でも屈指の難関。コレクターの自慢話である。
私は笑顔で頷く。プロだからだ。心の中では帰りたいと思っていても顔には出さない。
これも骨董屋の修行のひとつである。そして依頼主は語りはじめる。
ロンドンの蚤の市で買ったアンティークの人形の話。パリの骨董店で値切った武勇伝。
銀座の画廊で出会った画家との交流。そして三十年前の旅行先で偶然見つけたカップ&ソーサーの感動秘話。
次から次へと話は続く。止まらない。まるで梅雨時の筑後川である。こちらも相槌を打つ。
「なるほど」「それは素晴らしいですね」「大変貴重ですね」
骨董屋の三大必殺相槌である。どんな話にも対応可能だ。政治家の答弁並みに中身は無いが非常に便利である。
時計を見る。まだ五分。再び見る。まだ八分。時間というものは楽しい時には一瞬で過ぎるが、骨董品コレクターの思い出話の時だけは異常なほどゆっくり流れる。
ついには幕末から現代までの壮大な収集史が語られた。気付けば三十分。長い。長すぎる。
豊臣秀吉の朝鮮出兵でももう少し早く終わったのではないかと思うほどである。
そして、ようやく査定が始まった。
部屋には西洋アンティークが並んでいる。ティーカップ。磁器人形。油絵。
シルクスクリーン。真鍮製の置時計に懐中時計など…実に華やかだ。
ただし年代は比較的新しい。主に1970年代前後のものが中心である。
骨董業界では微妙な立場の年代だ。古すぎず新しすぎず。人間で言えば中年である。
若さも無いが老人の貫禄も無い。しかし私は嫌いではない。むしろ好きな部類だ。
当時の西洋デザインには独特の勢いがある。高度経済成長期の日本人が憧れたヨーロッパの香りも感じられる。
一点ずつ丁寧に見ていく。状態も悪くない。保管も良い。依頼主が愛情を持って集めてきたことがよく分かる。
だから値段もしっかり付けた。
骨董屋は時々誤解される。何でも安く買い叩こうとしていると思われている。
確かにそういう同業者もいる。だが良い物には良い値段を付ける。
それが長く商売を続ける秘訣でもある。そして部屋の隅に、それは静かに立っていた。

デルビル式の壁掛け電話である。思わず目が止まった。
おお。これは良い。派手さは無い。しかし存在感がある。
木製の本体。黒光りする送話器。横に掛かった受話器。
まるで昭和の映画から抜け出してきたような姿だ。
近づいてみる。保存状態が実に良い。木部の傷みも少ない。金具も生きている。
欠品もほとんど無い。こういう品を見ると骨董屋の血が騒ぐ。
依頼主が言った。
「これは祖父の代からあったそうです」なるほど…
おそらく戦中から戦後間もない頃の品だろう。実際に使われていた姿が目に浮かぶ。
昔は電話一本かけるのも大仕事だった。今のようにスマートフォンで一秒では繋がらない。
まずハンドルを回し交換手を呼ぶ。そして相手につないでもらう。
現代人なら途中で面倒になってSNSに投稿して終わりそうな作業である。
便利になった世の中だが、その分失ったものも多い。昔の電話は人と人の間に必ず誰かがいた。
今は世界中と瞬時に繋がるのに隣人の名前すら知らない。文明とは実に皮肉なものである。
私はデルビル電話を手に取った。重い。実に良い重さだ。
骨董品というものは重さにも歴史が宿る。軽薄な人間ほど軽いが、本物は重い。
電話機も同じである。値段を提示した。依頼主は少し驚いた顔をした。
予想以上だったらしい。当然である。この状態なら十分評価できる。
むしろ私の方が欲しいくらいだった。いや、かなり欲しかった。
骨董屋が仕入れをする時には二種類ある。
商売のための仕入れ。そして自分の趣味のための仕入れ。
今回の品々はまさに後者だった。利益計算だけなら見送ってもよかった。
しかし好きな物には理屈を超えた魅力がある。人間は結局、損得だけでは生きられない。
だから世の中にはコレクターがいる。だから私のような骨董屋も生きていける。
すべての査定を終えた頃には夕方になっていた。外では山笠の準備が進んでいる。
若者たちの威勢の良い声が聞こえる。こちらも負けじと車に積み込みを終える。
デルビル電話が後部座席で静かに揺れている。なんだか嬉しそうに見える。
気のせいかもしれない。だが骨董屋という人種は、時々そんなことを本気で思う。
長い年月を生き抜いた道具たちには魂が宿る。少なくとも私はそう信じている。
山笠の男衆が町の歴史を担ぐなら、我々骨董屋は古道具の歴史を担ぐ。
どちらも少々変わった趣味ではあるが、それで飯を食っているのだから仕方がない。
さて、明日はどんな品物に出会えるだろう。そしてどんな長話が待っているのだろう。
それもまた骨董屋稼業の醍醐味である。では、また。
この電話機については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。
買取品の詳細

◇この「アンティーク電話機」は「デルビル磁石式電話機」といわれている物で明治29年くらいから戦後昭和の中期まで使用されていた電話ですが今回の電話機は戦後間もなくの物だと思われます。残念ながらメーカーや製作年代を表すものはありませんでしたが左のハンドルを回すとベルが鳴ります。外観の状態も良く木部の腐れや受話器の欠けもありません。コードは古いので痛みがありこのままでは使用することができませんので現状はインテリアとしてお考え下さい。メンテナンス次第では光回線にも使用できるよう貴重な実用的アンティーク電話です。
買取査定額

◇アンティーク電話機の買取査定額もしくは評価額ですが現存しているメーカーなのか、そして時代が古く状態が良ければ高額買取も可能です。ほかには刻印や時代の表記があればより高価買取&できます。
ご自宅にアンティークな電話機やラジオ、蓄音機や楽器が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

アメリカ製1920’s アンティーク 電話機 100,000円
2号 ダイヤル式 卓上 電話機 スティック型 / 1号 磁石電鈴 80,000円
昭和7年製 沖電気株式会社 卓上電話機 50,000円
2号壁掛け電話機 15000円 他多数
デルビル電話機とは?

デルビル磁石式電話機は、日本の電話史を語る上で欠かせない電話機です。明治29年(1896年)に導入されて以来、昭和40年頃まで実に約70年近く使われ続けました。日本全国の郵便局や電話局の管轄下で普及し、山村や離島などでは自動交換方式が普及した後も長く現役で活躍しました。
現在でも骨董市や古民家、郷土資料館などで見かけることがあり、「横にハンドルが付いた木製電話機」として記憶している方も多いでしょう。
デルビル電話機誕生の背景
日本で電話事業が始まったのは明治23年(1890年)です。当初はアメリカ製の「ガワーベル電話機」が使用されていました。
しかし、
- 音声が小さい
- 雑音が多い
- 構造が複雑
などの欠点がありました。
そこで導入されたのがベルギー系技術によるデルビル送話器を採用した電話機です。デルビル送話器は炭素粒を利用する構造で、従来の炭素棒式より感度が飛躍的に向上しました。小さな声でも伝わりやすくなり、日本の電話網拡大に大きく貢献しました。
「磁石式」とは何か
現在の電話は電話局から電気が供給されます。
しかし明治時代にはそのような設備が十分ではありませんでした。
そこで電話機自身が発電する必要がありました。
デルビル電話機の側面にはハンドルが付いています。
このハンドルを回すと内部の磁石発電機(マグネトー)が回転し、交流電流が発生します。
この電流によって電話局の交換手を呼び出していたのです。
電話を掛ける手順は次の通りでした。
- ハンドルを回す
- 電話局のベルが鳴る
- 交換手が応答する
- 「○○番につないでください」と伝える
- 交換手が手作業で接続する
- 通話開始
現在から見ると大変手間のかかる仕組みですが、当時としては画期的な通信手段でした。
デルビル電話機の構造

デルビル磁石式電話機は主に以下の部品で構成されています。
①送話器
本体正面中央に付いているラッパ状の部分です。
ここへ向かって話します。
内部には炭素粒送話器が入っており、声の振動を電気信号へ変換します。感度が高すぎるため、口を少し離して話すよう指導されていました。
②受話器

本体左側に掛けられています。
耳に当てて相手の声を聞きます。
初期のものは送話器と受話器が別々でした。
③磁石発電機
本体内部に収納されています。
右側のハンドルを回すと永久磁石が回転し交流電流を発生させます。これが「磁石式」の名前の由来です。
④電鈴
電話局からの呼び出しを知らせるベルです。
前面上部に二つの鐘が付いているものが一般的です。
⑤誘導コイル
現在のトランスに相当する部品で、音声信号を効率よく送る役割を持っています。
⑥電池箱
本体下部にはレクランシェ電池が収納されていました。
現在の乾電池とは異なり、液体を用いる湿電池でした。
★今回の買取品の電話機も上記の構造になっておりました。
壁掛型と卓上型
デルビル電話機には大きく分けて二種類ありました。
壁掛型
最も一般的なタイプです。今回の買取品も同一です。
木製箱の正面に送話器が付き、横に受話器が掛かっています。
古い映画やドラマでよく見かける形式です。
卓上型
大正時代以降に登場しました。
事務所や役場などで多く使用されました。
見た目も美しく、装飾性を備えたものも存在します。
ダイヤル式電話機との比較
昭和初期になると自動交換方式が普及し始めます。
ここで登場したのがダイヤル式電話機、いわゆる「黒電話」です。
両者を比較すると次のようになります。
| 項目 | デルビル磁石式 | ダイヤル式 |
|---|---|---|
| 接続方法 | 交換手による手動接続 | 自動交換機 |
| 呼出方法 | ハンドル発電 | ダイヤル操作 |
| 電源 | 電話機内電池 | 電話局給電 |
| 構造 | 複雑 | 比較的簡素 |
| 通話開始まで | 時間がかかる | 即時接続 |
| 維持管理 | 電池交換必要 | ほぼ不要 |
ダイヤル式の優位性
ダイヤル式電話機が普及した最大の理由は「交換手が不要になったこと」です。
利用者は番号を回すだけで直接相手へ接続できます。
その結果、
- 人件費削減
- 接続時間短縮
- 通話品質向上
- 全国的な電話網拡大
が実現しました。
特に都市部では自動交換化が急速に進み、昭和30年代には黒電話が主流となりました。
それでもデルビル電話機が長く使われた理由
不思議なことに、デルビル電話機はすぐには消えませんでした。
理由は非常に実用的です。
山間部や離島では、
- 回線数が少ない
- 電源設備が不十分
- 自動交換機設置費用が高額
という事情がありました。
そのため、小規模局では昭和40年頃までデルビル電話機が現役でした。
つまり都市では黒電話、地方ではデルビルという時代が長く続いたのです。
骨董品としてのデルビル電話機
現在、骨董市場でよく見かけるのは壁掛型です。
人気が高い理由は、
- 明治・大正ロマンを感じる外観
- 木製で装飾性が高い
- 実際にベルが鳴る個体もある
- 古民家や喫茶店のインテリアに最適
といった点にあります。
特に沖電気製や日本電気製の初期モデル、状態の良い卓上型はコレクター人気があります。
★デルビル磁石式電話機は、日本の近代通信史を支えた代表的な電話機です。明治29年に登場し、ハンドルを回して発電し交換手を呼び出すという、現在では想像もつかない仕組みで全国の人々を結びました。炭素粒送話器による高感度な音声伝送や、磁石発電機を内蔵した独特の構造は当時としては最先端技術でした。そして自動交換機とダイヤル式電話機の登場によって主役の座を譲ったものの、その堅牢さと実用性から昭和40年頃まで活躍しました。今となっては貴重な骨董品的電話機です。ありがとうございました。
■参考サイト
門司電気通信レトロ館(福岡県北九州市)
■その他の買取品目
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