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福岡市中央区で車の記念品を買取りました!
福岡の長かったお盆も、ようやく終わった。
つい昨日まで高速道路は故郷を目指す車で数珠つなぎ、駅では孫を抱いたおじいちゃんが「あと五分早ければ座れた」と人生そのもののような愚痴をこぼし、空港では大きな旅行カバンを転がす人々が南へ北へと飛び回っていた。
ところが、お盆というものは終わった瞬間に人間を現実へ引き戻す。
街には「明日から仕事です」という顔をした車が一斉に走り始める。信号待ちでは皆が難しい顔をし、コンビニでは栄養ドリンクが飛ぶように売れる。たった数日の休みで、人間はここまで働きたくなくなるものかと感心する。
もっとも、それは骨董屋も同じである。
「骨董屋は毎日遊んでいるでしょう?」
よく言われる。
半分は当たっているが、半分は名誉毀損である。
遊んでいるように見える時間の大半は、オークションの下見、骨董会への出品準備、蚤の市の荷造り、そして売れ残った品物を見つめながら「これは来月には化ける」と根拠のない希望を抱く大切な仕事なのである。
要するに、世間のサラリーマンがエクセルと格闘するなら、我々は桐箱と格闘しているだけの違いだ。
そんな忙しいふりをしている最中、一本の電話が鳴った。
「骨董品を見ていただけますか。」
この一言ほど骨董屋の血圧を健全に上げる薬はない。
伺う先は福岡市中央区、それもマンションだという。
中央区のマンション――この言葉には実に危険な響きがある。
人間というものは住所を聞いただけで勝手に妄想を始める生き物だ。
「きっと社長さんだ。」
「海外赴任でもしていた資産家かもしれない。」
「いや、中国美術を集めた名士ではないか。」
相方などは助手席で勝手に億単位の商談を成立させている。
現実は九割九分違うのだが、その一分の夢を見るために骨董屋は今日も走るのである。
マンションへ到着し、お部屋へ案内される。
玄関を入った瞬間、思わず心の中で拍手した。
中国の置物、銀製品、掛軸、青磁、染付…。
棚という棚が異国情緒で埋め尽くされ、まるで福岡市中央区の一室だけ上海租界になっていた。
「これは…期待していいですかね。」
もちろん口には出さない。
骨董屋は期待を顔に出すと負ける。
お客様は「そんなに良い物ですか」と期待し、こちらは査定額との板挟みになる。商売とは最初から悲しい駆け引きである。
まずは掛軸から拝見する。
山水画に花鳥画、達筆すぎて誰も読めない漢詩まで揃っている。
落款を見て、紙質を見て、軸先を見て…。
結論は静かだった。
「こちらは一九八〇年代頃の工芸作品ですね。」
中国では改革開放の時代、日本ではバブル前夜。
当時は立派な工芸品が数多く作られ、日本への土産物としても人気だった。
悪い品ではない。
むしろ出来は良い。
しかし市場というものは「良い物」と「高い物」が必ずしも一致しない実に意地悪な世界である。
続いて銀製品。
銀のティーポットにトレー、カトラリーまで実に豪華だ。
「これは来たぞ。」
一瞬だけ心が躍る。
ところが刻印を見ると、そこには魔法の二文字が待っていた。
洋銀。
洋銀とは銀ではない。
名前だけ聞けば親戚のようだが、実際は銅やニッケルを主体とした合金である。
例えるなら「松阪風ハンバーグ」くらいの距離感だ。
決して偽物ではないが、純銀とは財布の厚みが違う。
相方と二人、小さくうなずく。
骨董屋は落胆するときほど静かになる。
そして棚の奥から現れた青磁の花瓶。
柔らかな青緑色の釉薬が実に美しい。
続いて染付の皿。
呉須の発色も落ち着きがあり、高台の作りも悪くない。
慎重に拝見すると、こちらは清時代の品である。
「これはきちんと評価できます。」
ようやく胸を張って言える品物に出会えた。
査定額もそれなりについた。
ところが商売というものは、こちらが満足すれば終わりではない。
お客様には、お客様の期待という立派な相場がある。
「えっ、そのくらいなんですか。」
その一言は何度聞いても胸に刺さる。
思い出には価格表がない。
亡くなったご両親が大切にしていた物も、新婚旅行で買った品も、海外駐在の記念も、市場は驚くほど平等に値札を付けてしまう。
そこが骨董屋の辛いところであり、嘘をつけない理由でもある。
結局、今回は青磁の花瓶と染付の皿だけを買取させていただいた。
お客様も少し残念そうだったが、「正直に見てもらえてよかったです」と笑ってくださった。
その言葉だけで十分救われる。
査定とは、物より人との仕事なのだ。
すべて終わり、道具を片付ける。
「ありがとうございました。」
玄関へ向かおうとした、その時だった。
ふと箪笥の上に、小さな化粧箱のような箱が目に入った。
何だろう。
職業病とは恐ろしいもので、「見るな」と言われるほど見たくなる。
「失礼ですが、あの箱も拝見していいですか。」
蓋を開けた瞬間、私は思わず声を上げた。
「あっ!」

そこに鎮座していたのは、一台の美しい自動車。
トヨタ・マークⅡ の記念置物である。
しかも新品未使用、デッドストック。
箱も傷まず、付属品まで揃っている。
いやぁ、懐かしい。
私も若い頃に乗った車である。
当時の男たちは、クラウンは少々偉すぎる、カローラでは少々寂しい、その絶妙な真ん中を走るマークⅡに妙な憧れを抱いていた。
今で言えば「部長にはなっていないが課長にはなりたい」くらいの立ち位置だろう。
ハイソカーなどという今では死語になった言葉まで生まれ、日本中のお父さんがローンと引き換えに夢を買っていた時代である。
私は人形より車に弱い。
青磁よりエンブレムに心が動くこともある。
骨董屋にも人間らしい欠点はあるのだ。
「これはぜひ譲っていただけませんか。」
相方が横で笑っている。
さっきまで清時代がどうのと言っていた男が、急に昭和のトヨタで目を輝かせているのだから無理もない。
査定額も、少々商売を忘れた。
いや、かなり忘れた。
骨董屋は時々、自分の欲しい物だけ相場より優しくなる悪い癖がある。
もちろん、お客様にはきちんと説明し、ご納得いただいた上でお譲りいただいた。
こうして最後の最後に、私の青春が段ボール箱ではなく化粧箱に入って我が家へやって来たのである。
帰りの車で相方が言う。
「今日は結局、何を買いに行ったんですかね。」
まったくである。
青磁と染付を買いに行ったはずが、一番嬉しそうなのはマークⅡを抱えた私だった。
骨董屋という生き物は、利益だけでは動かない。
時には少年時代の記憶に負け、時には古い車のエンブレムに負ける。
だから儲からないのかもしれない。
店へ戻り、マークⅡの置物を机に飾る。
猫が近寄って匂いを嗅ぎ、「これ、走らないのか」という顔をして去って行った。
現代の若者はスポーツカーに憧れ、電気自動車が未来を走る。
けれど昭和のおじさんには、四角いセダン一台で胸が熱くなる瞬間がある。
それも立派な骨董品なのだろう。
今回の出張買取も、最後にスカッと爽やかな仕事ができた。
いや、正確にはお宝を見つけたのはお客様ではなく私自身だったのかもしれない。
ではまた、次の箪笥の上で。
買取品の詳細
今回の買取品である「トヨタコロナMARKⅡ」はアンティークですが未使用品で共箱や包装紙までもが当時の物でとても良い状態で保管されていた記念品でした。1980年代に代表されるレトロな名車で私もリアルタイムで感動している次第です。勿論、傷や汚れも皆無でこのままショーケースに入れて当時を懐かしむのも良いと思われます。

買取査定額
車の記念品の買取査定額もしくは評価額ですが時代や状態、そしてメーカーおよび車種、しおりや共箱などあればより高価買取&できます。ご自宅に記念品が御座いましたら一度拝見させてください。状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

国鉄退職者記念品 D51形蒸気機関車 200,000円
マツダ RX-7 FD3S型 成約記念品一式セット90,000円
戦車型インク入れ 明治製菓記念品 75,000円
ダットサン 自動車商會 創業五周年記念 置物 60,000円 他多数
車の記念品とは?
昭和の自動車販売を語るとき、忘れてはならないのが、購入者に渡された「記念品」や「販促品」である。現在でも自動車ディーラーでは成約記念品や来場記念品が用意されるが、昭和の時代には、こうした品物が現在以上に販売店と顧客を結びつける役割を果たしていた。今回の買取品も同じく昭和の車購入時に頂く記念品でした。
ただし、「メーカーから直接送られた品」と「販売店が成約時に渡した品」は必ずしも同じではない。実際には、自動車メーカーが全国の販売店向けに販促用品を供給し、それを各地の販売会社・ディーラーが商談、成約、納車などのタイミングで顧客に渡すという形が多かったと考えられる。現在もトヨタ系企業は全国の販売店向けに自動車販売を支援する販促品を取り扱っている。
1 自動車が「特別な買い物」だった時代
戦後の日本では、1950年代から経済成長が進むにつれて自動車の普及が急速に進んだ。特に1960年代から1970年代にかけては、「いつかは自分の車を持ちたい」ということが多くの家庭にとって大きな夢となった。
冷蔵庫、洗濯機、テレビが「三種の神器」と呼ばれた時代を経て、マイカーは生活を豊かにする象徴となった。家族でドライブに出掛けること、休日に海や山へ行くこと、あるいは自分の好きな車を所有することが、豊かさの象徴として受け止められたのである。
そのため新車の購入は、単なる日用品の買い物とは違っていた。現在よりも購入金額が家計に占める割合が大きく、購入者にとって「人生の節目」ともいえる出来事だった。
販売する側にとっても、一台の車を売って終わりではない。車検、点検、修理、買い替えなど、購入後も長期間にわたって顧客との関係が続く。そのため、納車時に記念品を渡して「この店で買ってよかった」と感じてもらうことは、重要な販売活動の一つだった。
2 昭和の代表的な記念品
昭和の自動車購入記念品として比較的よく知られているのが、カレンダー、灰皿、キーホルダー、置時計、タオル、バッグ、傘、食器類などである。
なかでも「灰皿」は、現在の感覚からすると非常に昭和らしい品物だ。当時は自動車内で喫煙する人も多く、車載用灰皿は実用的な用品だった。そのため、自動車メーカーや車種のロゴを入れた灰皿は、記念品と実用品を兼ねる格好の販促品となった。
実際、現在でも当時の日産車のノベルティとして「金属製灰皿」などが中古市場に残っている。日産のノベルティには、車名やブランドロゴをあしらった灰皿、食器、置物など、さまざまな品物が存在したことが確認できる。
カレンダーも代表的である。自動車の写真を大きく印刷した壁掛けカレンダーは、家庭や職場で一年間使用される。つまり、記念品でありながら、一年間毎日目にしてもらえる広告でもあった。
タオルや手ぬぐい、ティッシュケース、ボールペンなども同じ発想である。日常生活で使ってもらえば、そのたびにメーカー名や車名を目にしてもらえる。安価で大量に製作でき、宣伝効果も期待できるため、販促品として非常に都合がよかった。
3 車種専用の「凝った」ノベルティ
昭和の自動車ノベルティの面白さは、単なる企業名入り商品だけではない。人気車種になると、その車そのものをテーマにした記念品が作られた。
代表的な例として挙げられるのが日産のスカイラインである。現在も当時のスカイライン関連ノベルティがコレクターの間で保存されており、1981~1983年のR30型スカイラインについて「購入記念品」として残っている品物も確認できる。
また、日産の歴史資料を見ても、スカイライン、フェアレディZ、ブルーバード、セドリックなど、時代を代表する車種が多数存在していたことが分かる。日産のヘリテージコレクションには1930年代から2010年代までの多数の車両が保存されており、自動車が単なる工業製品ではなく、その時代の文化を象徴する存在だったこともうかがえる。
車種のエンブレムをデザインした灰皿、グラス、マグカップ、置物、キーホルダー、ペーパーウェイトなどは、まさに「その車を買った人のための記念品」だった。
4 ミニカーとモデルカー
自動車メーカーの販促品を語る上で欠かせないのがミニカーである。
実車を小さくしたミニカーは、子供だけでなく大人にも人気がある。特に購入した車と同じ車種のモデルであれば、単なる景品ではなく「自分の車の記念品」になる。
現在の日産公式グッズにも歴代車種のモデルカーが存在し、過去にはダットサン12型フェートンやフェアレディZなどのモデルカーが記念商品として展開されている。
もちろん、現在販売されている商品と昭和当時の購入記念品を同一視することはできない。しかし、メーカーが歴代車種をミニカーや小物として残し、ファンがそれを収集する文化には、昭和期から続く「自分が乗った車を形にして残したい」という気持ちが反映されている。
5 「実用品」が多かった理由
昭和の販促品を現在のノベルティと比較すると、大きな特徴がある。それは「使えるもの」が多いことである。
灰皿、時計、傘、タオル、食器、カレンダー、文房具など、家庭で普通に使えるものが多かった。
これは広告媒体として非常に合理的だった。例えばカレンダーなら一年間、時計なら何年間も、家庭の中でメーカー名や車名を見てもらえる。灰皿やグラスなら、来客が目にすることもある。
つまり記念品は、単なる「おまけ」ではなく、購入後も顧客の生活空間に入り込む小さな広告だったのである。
現在でも自動車販売店では、来場、試乗、商談、成約など、それぞれの場面に応じてノベルティを使い分ける考え方が残っている。
6 昭和後期になると種類がさらに広がる
1980年代になると、自動車市場はさらに成熟し、各メーカー・各車種の競争も激しくなった。
「車を作って売る」だけではなく、車のイメージやライフスタイルを売ることが重要になった時代である。
そのため、若者向けのスポーティーカーならスポーティーなデザイン、ファミリーカーなら家庭で使える商品、高級車なら高級感のある小物というように、車種ごとに販促品のイメージを変える傾向が強まった。
また、1980年代後半にはテレホンカードのような新しい商品も登場する。当時の日産ノベルティには、スカイラインなどの車種を題材にしたテレホンカードが残っており、今日ではコレクターズアイテムになっている。
これは、時代の変化がそのままノベルティにも反映された例といえる。
7 記念品は「車の思い出」を保存するものになった
昭和の自動車購入記念品が現在でも注目される理由は、そこに「車そのものの記憶」が結びついているからである。
例えば、父親が1980年代に購入したスカイラインの記念品が家の押し入れから出てきたとする。その品物には、単なる企業ロゴ以上に、「父親が初めて買った新車」「家族で出掛けた旅行」「子供の頃に乗った車」といった個人の記憶が重なっている。
そのため、古いノベルティを集めている人にとっては、希少価値だけが重要なのではない。「自分が昔乗っていた車だから」「父や祖父が乗っていた車だから」という理由で大切にされる場合も多い。
実際、現在の中古市場では、古い日産車の灰皿、グラス、キーホルダー、ペーパーウェイト、テレホンカードなど、さまざまな非売品が売買されている。中には驚くほど高値になるものもある。
8 「メーカーから届いた記念品」という記憶について
ここで興味深いのは、「メーカーから記念品が送られてきた」という当時の記憶である。
昭和の自動車販売では、メーカー、販売会社、地域ディーラー、販売店の役割が現在以上に身近な形で感じられることがあった。そのため、実際には販売店から渡されたものであっても、「メーカーからもらった記念品」という記憶として残っているケースも考えられる。
また、メーカーが販促用に製作した商品を販売店が配布する仕組みであれば、品物そのものにはメーカー名や車名が入っているため、受け取った側からすれば「メーカーからもらった」という感覚になるのも自然である。
したがって、古い記念品を調べる際には、「メーカー純正品なのか」「販売会社独自の品なのか」「購入者全員に配られたのか」「特定のキャンペーンだけで配られたのか」を区別することが重要である。
9 現代から見る昭和ノベルティの魅力
現在の自動車販売では、成約特典として商品券、カー用品、メンテナンスサービス、家電、食品など、実用性の高い特典が用意されることが多い。一方、昭和の記念品には、車名やメーカーのロゴを前面に出した「所有する喜び」を感じさせる品物が多かった。
そこには、昭和の自動車が単なる移動手段ではなく、「人生の夢」「豊かさ」「家族の象徴」「趣味の対象」だったという時代背景がある。
そして現在、当時の灰皿、カレンダー、グラス、キーホルダー、時計、ミニカー、テレホンカードなどが「昭和レトロ」として再評価されている。
それらは、一見すると小さな販促品に過ぎない。しかし、その一つ一つには「どんな車が売られていたのか」「その車がどれほど人気だったのか」「メーカーが顧客にどんなイメージを伝えようとしたのか」という、自動車産業と昭和の暮らしの歴史が刻まれている。
特に興味深いのは、現在のメーカーも歴代車種をテーマにしたミニカー、キーホルダー、文房具などを商品化している点である。例えばトヨタ系のミュージアムショップでは歴代人気車種をデザインしたグッズやミニカーなどが扱われ、日産も歴代車種をモチーフにした公式グッズを展開している。
つまり、昭和の「車を買った記念に車の名前が入ったものをもらう」という文化は、形を変えながら現在まで続いているのである。
おわりに
昭和の自動車購入記念品は、カレンダーや灰皿、時計、タオル、傘、食器、キーホルダー、置物、ミニカー、テレホンカードなど実に多彩だった。その背景には、急速なモータリゼーションによって自動車が「憧れの商品」から「一家に一台の生活用品」へと変化していった日本社会の姿がある。
そして記念品は、単なるサービス品ではなく、メーカーや販売店と顧客との関係をつなぐ役割を担っていた。
現在残されている昭和のノベルティを一つ手に取ると、それは小さな物でありながら、「どの車が売れていた時代なのか」「誰がその車を買ったのか」「家族はその車でどこへ行ったのか」という記憶を呼び起こす。
だからこそ、昭和の自動車購入記念品には、金銭的な希少価値だけでは測れない歴史的・文化的な価値があるのである。

■参考サイト
■その他の買取品目
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