
福岡県大野城市で戦時中のビラを買取りました!

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◇福岡にも、ようやくほんの少しだけ秋の気配が漂い始めた。
昼間はまだ「夏は終わっておらんぞ」とばかりに太陽が意地を張っているが、朝晩になると窓から入ってくる風が、ほんの少しばかり人間らしくなってきた。これまでなら夜になっても汗をかきながらビールを飲んでいたのだが、最近はグラスを傾ける手にも余裕がある。
もっとも、骨董屋という商売に「余裕」などという言葉が似合うのかどうかは甚だ疑問である。
世間様は「秋になったら旅行でも」とか「食欲の秋ですな」などとおっしゃるが、こちらは「秋になったら何か面白い骨董品でも出てこないか」と考えている。食欲より物欲、旅行より出張買取。実に風情のない秋である。
そんなある日の夕方、一本の電話が鳴った。
「骨董品の買取をお願いしたいのですが……」
この一言を聞くと、さっきまで「今日はもう仕事も終わりだ、ビールでも飲むか」と考えていた私の身体が、まるで条件反射のように起き上がる。
人間、現金なものである。
詳しく話を聞いてみると、どうも普通の骨董品ではないらしい。
「祖父が戦地から持って帰ってきた写真とか新聞とか、勲章や小物がたくさんあるんです」
戦地。
この言葉が出てくると、骨董屋としても少しばかり背筋が伸びる。
茶碗なら「いい出来ですな」、掛軸なら「これは誰の書でしょうな」などと呑気なことを言っていればいいのだが、戦争資料となると話が違う。
そこには、モノだけではなく、実際にそれを使った人間の時間が染み込んでいるからだ。
さっそく相方と車に乗り込み、依頼先へ向かった。
秋の気配がどうの、晩酌がどうのと言っていた舌の根も乾かぬうちに仕事である。
人生とは、だいたいこの程度のものである。
到着して部屋へ案内されると、そこには柳こおりやボストンバッグがいくつも置かれていた。
「この中です」
蓋を開けてみる。
すると出てくる、出てくる。
軍服。
軍用品。
写真帳。
絵葉書。
新聞。
小物。
そして勲章。
まるで時間そのものを柳こおりに詰め込んで、そのまま何十年も眠らせていたような光景である。
普通なら「古い荷物がいっぱいありますね」で終わるところだが、骨董屋の目には違って見える。
一枚の写真を手に取る。
若い兵士たちが並んでいる。
皆、まだ顔にあどけなさが残っている。
今ならスマートフォンで撮って、その場でSNSに投稿して「集合写真!」などとやるところだろう。しかし、この写真が撮られた時代には、写真そのものが今とはまったく違う意味を持っていた。
写真の向こう側には戦地があり、家族があり、そして帰れなかった人たちがいる。
さらに写真帳をめくる。
南方の風景。
兵隊たち。
軍艦。
宿営地。
戦地での生活を写した写真。
絵葉書。
新聞。
どれも決して華やかな「戦争のお土産」ではない。
むしろ、時代が嫌でも残してしまった記録である。
お話を伺うと、その方の祖父は南方の激戦地に配属されていたという。
南方戦線。
言葉にすればたった五文字だが、実際にそこへ行った人間にとっては、その五文字の中にどれほどの苦労と恐怖が詰まっていたことだろう。
そして何とか生き延びて帰還された。
「帰ってきた」という事実だけでも、この資料を見る目が変わる。
戦争資料というと、我々はつい軍隊や兵器、戦闘の歴史ばかりを考えてしまう。しかし、本当に貴重なのは、その時代を生きた一人の人間が何を見て、何を持ち帰り、何を残したかということなのかもしれない。
さて、さらに奥を探っていく。
すると勲章が出てきた。
金鵄勲章である。
骨董屋としては「おおっ」となる品だが、こういう時に「これは高いですよ」とだけ考えてはいけない。
勲章というのは、単なる金属製品ではない。
そこには受章者の軍歴や功績、そして当時の国家制度そのものが刻み込まれている。
さらに軍服。
海軍の軍服である。
そして儀礼服まである。
最後には指揮刀まで出てきた。
「これはまた……」
思わず言葉が漏れる。
柳こおり一つから、よくまあこれほどのものが出てくるものだ。
世間一般では柳こおりといえば、昔の荷物入れである。
しかし、この柳こおりにとってみれば、そんな単純な話ではない。
何十年もの間、戦地から持ち帰った品々を抱え込み、押し入れの片隅で黙って時代を見つめていた。
人間なら、とっくに定年を迎えて何度も酒を飲んでいる年齢である。
それでも柳こおりは何も文句を言わず、ただ黙ってそこにいた。
骨董屋としては、こういう無口な奴に弱い。
一つ一つ拝見していく。
軍服の状態。
勲章の種類。
写真の内容。
新聞の発行時期。
絵葉書の図柄。
小物の用途。
それぞれを確認していくと、単品としての価値だけではなく、これらが一人の人物の所持品としてまとまって残っていることに大きな意味があることが分かる。
資料としても非常に貴重なものだ。
そうお伝えすると、ご家族も大変喜んでくださった。
そして無事に買取させていただくことになった。
骨董屋の仕事というのは、実に妙な仕事である。
朝はビールのことを考えていた男が、昼には戦争資料を一枚一枚めくっている。
昨日まで知らなかった誰かの人生に突然出会い、その人が残したものを次の時代へ渡す。
考えてみれば、骨董屋というのは「物を買う商売」というより、「時間を引き取る商売」なのかもしれない。
もちろん、商売だから値段はつける。
そこはプロである。
しかし、値札だけでは測れないものがある。
今回の品々には、それが特に強く感じられた。
そして、荷物を整理していると、その中から一冊のニュースビラが出てきた。

以前なら、ただの古い紙切れとして見過ごしていたかもしれない。
ところが最近、戦時中に発行されたニュースビラについて調べていたこともあり、「おや?」と手が止まった。
戦争中、新聞やニュースは自由に読めるものではなかった。
情報そのものが戦争の道具になった時代である。
勝った、進んだ、撃沈した、占領した――。
そんな言葉が紙面を埋め尽くし、人々はその紙面から戦況を知った。
今ならスマートフォンを開けば、世界中の出来事が数秒で飛び込んでくる。
便利な世の中である。
しかし便利すぎて、ニュースを見ながら「ふーん」と言って、次の瞬間には猫の動画を見ている。
人間とは実に贅沢な生き物になった。
一方、戦時中の人々にとって、一枚のビラや新聞が持つ意味はもっと切実だった。
その一枚が、戦場と銃後をつなぐ窓だったのである。
そして今回、まさにその時代の紙が、柳こおりの中からひょっこりと顔を出した。
何十年もの間、黙って眠っていた紙切れが、「まだ忘れちゃ困るよ」とでも言うように現れたのである。
終戦から長い年月が流れた。
今年もまた終戦の月を迎えた。
そんな時期に、戦地を生き抜いた一人の兵士の遺した品々が、私の前にまとめて現れた。
これは偶然なのだろう。
もちろん偶然に決まっている。
だが、骨董屋という人種は、偶然を勝手に「ご縁」と呼ぶ癖がある。
そのほうが商売も人生も少し面白くなる。
「終戦の月に、こんなものが出てくるとは……」
そう思いながら、ニュースビラをそっとしまう。
戦争を知らない私たちが、戦争を語ることは難しい。
だからこそ、残された写真や新聞、軍服や勲章といった物を通して、ほんの少しでも当時の人々の姿を想像することには意味があるのだろう。
骨董品は、黙っている。
しかし、黙っているからこそ、こちらが耳を澄ませばいろいろなことを語ってくれる。
今回の品々もそうだった。
南方の暑さ。
戦地での暮らし。
若い兵士たちの顔。
そして、命からがら帰還した一人の男。
それらを一つの柳こおりが、何十年もの間、黙って抱えていた。
私は荷物を車へ積み込んだ。
相方が「忘れ物はないですか」と言う。
私は柳こおりを眺めながら答えた。
「大丈夫。歴史は積んだ」
相方は、いつものように呆れた顔をしている。
まあ、そういう顔をされるのにも慣れた。
車を走らせる。
外は少し涼しい。
もうすぐ秋なのだろう。
世間では新しい季節が始まろうとしている。
その一方で、私の車には八十年近く前の季節が積み込まれている。
これだから骨董屋はやめられない。
そして私は、今回もまた、何とも言えぬ感慨と、少々重たい荷物を抱えて店へ戻るのであった。
秋風よ、吹け。
ビールよ、冷えていろ。
そして戦地から帰ってきた品々よ、今度は私の店で少しゆっくり休んでくれ。
骨董屋というものは、過去を拾って現在へ運ぶ。
たいそう立派なことを言っているが、実際には柳こおりを抱えて腰を痛めている。
まあ、それも仕事である。
終戦の月に、戦争を生き抜いた人の遺品を引き取る。
それが何かの巡り合わせだったのかどうかは、私には分からない。
ただ一つ確かなのは、今日もまた、骨董屋の一日が無事に終わったということである。
夕方、店へ戻る。
荷物を下ろす。
そして、私は小さくつぶやいた。
「我、店に帰還す。」
……さて。
帰還したところで、晩酌である。
骨董屋の平和は、冷えたビールから始まる。
ではまた。
買取品の詳細

◇この「ビラ」は当時物で昭和18年のニュースビラです。古いの皺や小さな破れがありますが83年前の紙物としては極上の状態です。このころは日本軍の進撃も勢いがなくなってきた時代の物でかなり実際とは違う戦果が公表されております。時代の背景が判るニュースビラです。
買取査定額


◇戦時中の資料の買取査定額もしくは評価額ですが状態、レア度、軍極秘の物であればより高価買取&できます。ご自宅に戦時資料が御座いましたら一度拝見させてください。状態や時代、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の買取例
日本赤十字関係の服飾や小物 500,000円
旧日本軍用機 軍隊機密写真帖 300,000円
満州 ポスター 新京近澤印行 50,000円
満州事変・写真ネガ 40,000円 他多数
同盟寫眞特報とは?
『同盟写真特報』は、1936年(昭和11年)に設立された国策通信社、同盟通信社によって発行された写真中心のニュースビラです。ほぼ日刊で発行され、写真を大きく掲載し、その下や周囲にニュースの説明文を添えるという形式でした。
資料によれば、一日あたり約10万部が印刷され、学校、工場、鉱山、農林関係、商店など、全国各地の施設へ配布されました。そして一般的な新聞のように個人が読むだけではなく、壁などに貼り出して、多くの人が見る「壁新聞」として利用されたとされています。現在なら、テレビのニュース番組をみんなで見るような役割を、一枚の大きな写真ニュースが担っていたわけです。
新聞を読む習慣のない人でも、職場や学校に行けば壁に貼られた大きな写真を見ることができます。つまり、写真そのものがニュースを伝える装置だったのです。
そして戦時下になると、その役割はさらに大きくなります。
発行元の「同盟通信社」とは
同盟写真特報を理解するためには、発行元である同盟通信社についても知っておく必要があります。
同盟通信社は1936年、新聞聯合社と日本電報通信社の通信部門を統合する形で設立されました。
現在の通信社に近い役割を持ち、新聞社などにニュースや写真を配信していました。
ただし、戦時体制が強まるにつれて、同盟通信社は単なる民間通信社ではなく、国家による情報統制・宣伝体制の重要な一翼を担うようになります。
したがって『同盟写真特報』も、純粋な意味での客観的な写真ニュースとは考えられません。
むしろ、
「政府や軍が国民に何を知らせ、何を感じさせようとしたのか」
を見るための資料なのです。
写真が主役だった理由…
同盟写真特報の最大の特徴は、文字よりも写真を重視していたことです。
一枚の紙の上に大きな写真を配置し、その写真について説明する文章を付ける。
そのため、文字をじっくり読まなくても、
「日本軍が勝っている」
「勇敢な兵士が戦っている」
「国民が一致団結している」
「皇室が国民を見守っている」
といったメッセージが視覚的に伝わる構成になっています。
実際、昭和18年(1943年)の資料を見ると、天皇・皇后両陛下の靖国神社行幸啓、帝国議会、軍人の顕彰、戦地の写真などが掲載されています。
つまり写真は単なる記録ではありません。
「この写真を見て、国民にこう感じてもらいたい」
という意図を持った写真だったと考えるべきでしょう。
戦争報道と宣伝
戦時中の同盟写真特報を見ていくと、その特徴が非常にはっきりします。
たとえば、
「敵米、蔣聯合空軍撃滅へ!!」
「無敵陸軍航空部隊の猛攻」
「敵機撃墜破」
といった勇ましい見出しが並びます。まさに今回の買取品のビラにも同様な文句が掲載されています。
また、アッツ島の戦いに関連する記事では、戦死した部隊を「軍神」として称え、遺族や慰霊祭の様子を大きく取り上げています。
山本五十六の国葬についても、
「殉忠の偉勲」
「仇敵撃滅の誓」
など、非常に強い表現が使われています。
現代の新聞記事と比較すると、その文章の熱量に驚かされます。
しかし、そこには戦時下特有の事情があります。
戦況が厳しくなっても、国民に敗戦を意識させるような報道は避けられました。そこで戦果を強調し、英雄的な兵士を取り上げ、戦死者を「英霊」「軍神」として顕彰し、国民の戦意を維持する。
同盟写真特報は、そうした戦時宣伝の視覚的な媒体として機能していたのです。


■参考サイト
■その他の買取品目
★骨董品買取の福岡玄燈舎では古美術品の他、アンティークや掛軸、茶道具、書道具、絵画、仏像、勲章、中国陶磁、甲冑など多彩な骨董品を査定買取しております。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にご相談ください。












































