
福岡県太宰府市で中国火鉢を買取りました!

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◇
福岡の秋は早い。
まだ「暑いですねぇ」などと言っていたと思ったら、いつの間にやら彼岸である。朝晩には少しばかり冷たい風が吹き、街を歩く人々の服装も、ほんの少しだけ秋らしくなってきた。
「もう10月の風が吹いとるねぇ」
などと相方と話しながら、我々骨董屋もせっせと走り回っている。
世間様は秋の味覚だ、行楽だ、紅葉だと浮かれているが、こちらはそんな風情とは無縁である。何しろ骨董屋という商売、年末が近づけば近づくほど「何か売れるものを集めなくては」という、実に俗っぽい焦りが出てくる。
師走になってから慌てても遅い。年末に店を眺めて、「今年もよく働いたなぁ」
と感慨にふけっても、棚の上にあるのが誰も欲しがらない置物ばかりでは、感慨も売上にはならない。
そんなわけで今年も、どうにかこうにか品物集めの目処が立ってきた。
そんな折、一本の骨董品買取の依頼が入った。場所は太宰府。しかも今回は、普通のお宅ではない。
なんと、小さなお寺である。お寺。この二文字には、骨董屋の心を妙にくすぐる力がある。
「お寺です」と聞いただけで、頭の中には古びた仏像、箱に入った掛軸、江戸時代の仏具、古い仏画……と、勝手にお宝のイメージが膨らんでいく。
人間というものは欲深い。いや、私だけかもしれない。ともかく期待に胸を膨らませ、相方と現地へ向かった。
お寺に到着すると、早速査定開始。
まずは書画。次に仏画。そして仏像。仏具。さらに花瓶や大皿などが、次から次へと出てくる。
「これは……」「なかなか……」などと、もっともらしい顔をしながら一つ一つ手に取っていく。
しかし、である。お寺だからといって、必ずしも江戸時代の宝物がゴロゴロ転がっているわけではない。
むしろ現実というものは、骨董屋の妄想よりずっと厳しい。品物をよく見れば、さほど古いものではない。
どちらかといえば民芸品に近いものが多く、骨董品市場で高値が付くような品物は少ない。
骨董屋というのは、夢を売る商売ではなく、夢から現実へ引き戻す商売でもある。
「これは残念ながら、そんなに高いものではありませんねぇ」
こちらがそう説明すると、依頼主も意外なほどあっさり納得された。
そして話を聞いてみると、さらに納得。なんでも数年前、別の骨董商がすでにこちらへ来ていたという。
そして、「良いものは全部持って行かれました」とのこと。なるほど。そりゃあ、ない。ないものを探していたわけである。
骨董屋が来るたびにお宝が増えるのなら世の中こんなに楽な話はない。しかし現実には、骨董屋という生き物は、お宝を見つけると持って帰る。当然である。そして次に来た骨董屋は、「前の人が持って行った後」
という、いわば骨董品の焼け跡を歩くことになる。なんとも寂しい話である。
それでも、目の前の品物を一つ一つ確認し、低価格ではあるがきちんと値段を付けていく。
「これなら買えます」「それならお願いします」ということで、無事に買取成立。
骨董屋としては、大儲けとはいかないまでも、手ぶらで帰るよりはずっといい。
さて、そろそろ帰ろうかと思い、庭先へ出た。すると、何気なく目に入ったものがある。「ん?」

そこに置かれていたのは、なんと中国七宝の火鉢。しかも、これはなかなか時代がある。
先ほどまで「お宝はもうありません」と思っていた自分の目が、急にギラギラしてくる。
人間、現金なものである。さっきまで秋風に吹かれていた目が、一瞬にして春になる。
これは高価買取の対象になる。早速、家主に、「こちらの火鉢ですが……」
とお伺いを立てる。すると、「ああ、それもいいですよ」と、実にあっさり。
有難い。本当に有難い。どうやら本日のお宝は、仏様の前ではなく、庭先で待っていたらしい。
骨董屋という商売、最後まで何が出てくるかわからない。
最初から期待していたものが空振りに終わり、もう駄目だと思ったところから、ひょいと一品が現れる。
人生も骨董品も、なかなか予定通りにはいかない。だから面白い。
そんなわけで、本日の太宰府のお寺での骨董品買取も無事終了。
帰り道、車の中で相方が一言。「結局、最後の火鉢が一番よかったね」
まったくその通り。お寺に期待して仏像を探しに行ったら、最後に出てきたのは中国七宝の火鉢。
仏様も、たまには骨董屋に洒落たいたずらをするらしい。
ではまた……。
買取品の詳細

◇この「七宝火鉢」は中国の古い時代の物で日本でいうと明治期の物。そして色遣いもとても鮮やかな火鉢の七宝です。七宝の剥げや欠けは無く汚れてはいる物の綺麗に洗ってワインクーラーでも使えそうなエキゾチックな七宝火鉢でした。更には古い紫檀の台座や真鍮の耳もしっかり保存されていた古美術的な七宝火鉢でした。

◇中国火鉢の買取査定額もしくは評価額ですがまず絵付けや状態、そして時代や作者名などがあればより高価買取できます。
ご自宅に中国火鉢や七宝が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

海童道祖 約100cm 700,000円
三浦琴童金字 五孔 600,000円
永廣真山 三印 (眞山)金巻中継 550,000円
荒木古童作 3印 450,000円 他多数
七宝とは?
七宝焼きは、金属の表面にガラス質の釉薬(ゆうやく)を焼き付けて、美しい色彩や文様を表現する工芸です。英語では enamel(エナメル) と呼ばれます。陶磁器と似た鮮やかな光沢を持ちながら、土ではなく金属を胎(たい)としているところが大きな特徴です。日本では特に幕末から明治時代に技術が飛躍的に発展し、海外では「日本の七宝」として高い評価を受けました。
1.そもそも「七宝」とは
「七宝」という名称は、仏教経典に登場する七つの宝――金、銀、瑠璃、玻璃、硨磲(しゃこ)、珊瑚、瑪瑙など――に由来するとされています。
もちろん、七宝焼きそのものが金銀や珊瑚でできているわけではありません。ガラス質の釉薬が焼成によって青、緑、赤、白、紫、黒などさまざまな色に輝くことから、仏国土を飾る「七宝」にたとえられた名称です。
七宝の基本は、
金属の胎+ガラス質の釉薬+高温焼成
です。
つまり簡単にいえば、金属の器に色ガラスを焼き付けた工芸品と考えると分かりやすいでしょう。
2.七宝の素材――何でできているのか
七宝の「胎」には、主として金属が使われます。
代表的なのが、
- 銅胎(どうたい)
- 銀胎(ぎんたい)
- 金胎(きんたい)
などです。
日本の近代七宝では銅胎が非常に多く、銅板や銅器を成形して、その表面に釉薬を施します。作品によっては銀や金を使うこともあります。
そして、その金属胎の上に載せるのが七宝釉です。
七宝釉は基本的にはガラス質の材料で、さまざまな金属元素などを利用して色を発色させます。たとえば近代七宝の分析例では、青系に銅やコバルト、緑系に銅やクロム、赤系に鉄やマンガンなどが用いられていることが確認されています。
このため七宝は、単純に「絵の具を塗ったもの」ではありません。
金属とガラスと鉱物・金属元素の化学反応によって生まれる色彩芸術
なのです。
3.七宝はどうやって作るのか
代表的な有線七宝を例にすると、かなり手間のかかる仕事です。
まず銅などの金属で器物を作ります。
花瓶なら花瓶、香炉なら香炉、皿なら皿という具合に、まず金属の器を完成させます。
次に表面へ細い金属線を植え付けます。
この線が、植物の茎や葉、花、鳥などの輪郭線になります。
そして線によって区切られた部分に、それぞれ色の違う釉薬を詰めていきます。
焼成すると釉薬が溶けてガラス状になり、金属胎に定着します。
しかし、一回焼けば完成というわけではありません。
釉薬が焼成によって収縮するため、必要に応じてさらに釉薬を補充し、再び焼成します。最後に表面を研磨して平滑に仕上げます。
東京国立博物館が紹介している制作工程でも、金属線を模様に沿って貼り、その間にガラス釉を詰め、焼成する工程を何度も繰り返すことが示されています。
つまり、一個の七宝花瓶が完成するまでには、
下絵 → 金属胎の成形 → 植線 → 釉薬の施釉 → 焼成 → 釉薬の補充 → 再焼成 → 研磨
という複数の工程があります。
七宝の美しさの裏には、かなりの職人仕事が隠れているわけです。
4.代表的な技法
七宝にはいくつもの技法があります。
● 有線七宝
もっとも分かりやすい技法です。
細い金属線で文様を区画し、その中に異なる色の釉薬を入れます。
金属線が輪郭として残るため、非常に細密な文様を表現できます。
明治期の日本七宝を代表する並河靖之は、この有線七宝を極限まで高度化した作家として知られています。
● 無線七宝
こちらは非常に面白い技法です。
釉薬を焼成した後、輪郭となる金属線を取り除くことで、色と色の境界を柔らかくし、ぼかしやグラデーションを表現します。
この技法を大きく発展させたのが東京の濤川惣助(なみかわ・そうすけ)です。
有線七宝が「線による美」なら、無線七宝は「色のにじみや濃淡による美」といえるでしょう。
● 盛上七宝
釉薬を盛り上げるように施す技法です。今回の買取品もこちらの部類になります。
平面的な文様だけではなく、立体的な効果を出すことができます。
このほかにも象嵌七宝など、さまざまな技法があります。
5.七宝の発祥と古代
七宝の起源については諸説ありますが、日本の文化財行政ではエジプト起源説が紹介されています。
古代エジプトをはじめ、メソポタミア、地中海世界などでエナメル技法が発達し、ビザンチン世界などにも高度な作品が残されています。
中国でも古くから発展し、日本へも大陸文化とともに伝わりました。文化庁の解説では、中国には漢代、日本には奈良時代の七宝遺品があるとされています。
日本の古代七宝で特に有名なのが、正倉院宝物の七宝鏡です。
また、古墳時代の遺跡からも七宝関連の金具が発見されており、七宝技法そのものが非常に古い歴史を持っていることが分かります。
6.日本の七宝――いったん途切れ、江戸時代に復活
日本では古代に七宝が存在したものの、その後長い空白があります。
そして桃山・江戸期になると、刀装具、建築金具、調度品などに七宝が再び使われるようになります。
特に重要なのが尾張地方です。
江戸時代後期、尾張藩の梶常吉が有線七宝の技術を発展させたことが、日本の近代七宝史における大きな転換点となりました。国立公文書館も、梶常吉による有線七宝の発展が七宝を美術工芸品として大きく発展させたと説明しています。
その後、外国人技術者ゴットフリート・ワグネルらの技術も加わり、透明釉などの新しい技術が導入されます。
こうして幕末から明治にかけて、日本の七宝は一気に高度化していきました。
7.明治七宝の黄金時代
明治時代になると状況が一変します。
日本政府は万国博覧会などを通じて、日本の工芸品を海外へ積極的に紹介しました。
七宝もその中心的な輸出工芸品となります。
海外では「Japanese Enamel」として人気を集め、花瓶、香炉、皿、壺、額など、実にさまざまな作品が作られました。
この時代を代表する二人が、
並河靖之
と
濤川惣助
です。
並河靖之は京都を中心に活躍し、非常に細密な有線七宝を得意としました。
一方の濤川惣助は東京を中心に活躍し、無線七宝による絵画的な表現を追求しました。
二人は1896年(明治29年)、ともに七宝部門の帝室技芸員に任命されています。
8.歴史的に重要な七宝作品
「七宝富嶽図額」濤川惣助
七宝史を語るうえで非常に重要な作品です。
1893年(明治26年)の制作で、現在は東京国立博物館が所蔵する重要文化財です。
富士山と雲を描いた大作で、無線七宝による微妙な色の濃淡、ぼかしを駆使しています。
しかも1893年のシカゴ・コロンブス世界博覧会に出品され、工芸ではなく絵画部門に展示されたという興味深い経歴があります。
これは七宝が単なる器物装飾から、絵画的な芸術表現へと進化したことを象徴する作品といえるでしょう。
並河靖之の七宝作品
並河靖之は、花鳥、草花、蝶などを極めて細密に表現しました。
特に黒や濃色の地に鮮やかな花鳥を描いた作品は、並河七宝の典型として知られています。
京都の並河靖之七宝記念館には、作品だけでなく、下絵、道具類などを含む1662点の七宝資料が登録有形文化財として残されています。


■参考サイト
■その他の買取品目
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