
福岡県春日市で唐津茶碗を買取りました!

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◇晩秋の気配が、福岡にもそろりそろりと忍び寄ってきた。ついこの間まで「暑い、暑い」と文句を言っていたのに、気がつけば木々の葉っぱまで赤や黄色に色づき始めている。季節というものは、人間の都合などまったく考えずに勝手に進んでいく。
もっとも、我々骨董屋の中には、季節を待たずして毎晩赤く色づいている者も少なくない。晩酌という名の紅葉狩りである。こちらは木の葉と違って、ビールから焼酎へと進むにつれて、顔の色だけが見事に変化していく。秋の風情というより、ただの酔っぱらいである。
そんなある日、一本の電話が鳴った。「骨董品がいろいろありますので、一度見てもらえませんか」
この「いろいろあります」という言葉ほど、骨董屋を期待させ、そして時として落胆させるものはない。
「いろいろ」の中に伊万里があるのか、茶道具があるのか、それとも昭和の置物が「いろいろ」なのか。電話を切った時点では、こちらの頭の中にはすでに小さなお宝博物館が完成している。
というわけで、相方とともに福岡のお隣、春日市へ向かった。お宅に到着して部屋へ通される。
そこに待っていたのは……なかなかの景色であった。甲冑、槍、日本刀。そして古伊万里、中国陶器、掛軸。
まるで誰かが「骨董屋の店内」というテーマで部屋を作り、途中で飽きて放り出したような光景である。
甲冑などは、現代の我々から見れば実に勇ましい。「これを着て戦場へ行っていたのか」と思えば歴史の重みを感じる。
しかし、骨董屋という商売は歴史に感動してばかりもいられない。裏返して、横から見て、状態を確認する。すると、長い年月を生き抜いてきた甲冑には、それなりの疲労が見える。人間も同じである。長く生きれば味が出る。
しかし、査定される側からすれば、傷みも出る。
私も鏡を見れば、若い頃にはなかったシワや白髪という「時代感」がしっかりと出ている。これを骨董品として査定してもらったら、おそらく「古いだけですね」と言われるに違いない。
武具類は状態を考えると、どうしても高額には届かない。甲冑も時代相応の傷みがあり、槍や刀も一本一本確認していくが、世の中そんなに甘くはない。
次に掛軸。こちらはかなりの本数がある。広げてみると、昭和の、それも1970年代前後のものが多い。
この頃の掛軸というのは、家庭に一幅や二幅あって当然という時代だった。床の間には掛軸、玄関には置物、応接間には絵画。日本中の家が小さな美術館だった……と言えば聞こえはいいが、今となっては「処分に困った美術館」になっている家も少なくない。
一本ずつ見ていくものの、今回はどうしてもまとめ買いの世界。
「これ一本で大勝負!」というものではなく、「こちらもまとめて、あちらもまとめて……」
と、八百屋のような話になってくる。骨董屋の商売というのは不思議なものである。
一万円の品を一個見つけて喜ぶ日もあれば、千円、二千円の品を山ほど集めて、ようやく形になる日もある。
世の中も同じなのかもしれない。大物ばかり狙っていると、人生そのものが空振りになる。
そして最後に拝見したのが茶道具だった。茶碗、鉄瓶などが並んでいる。
やはり茶道具というものは、箱を開ける瞬間に少しばかり気持ちが引き締まる。
「さて、最後に何か出てくるかな」骨董屋という人種は、最後の最後まで期待を捨てない。
競馬で最終レースまで馬券を握りしめているお父さんと、さほど変わらない。
そんな中に、一碗の唐津茶碗があった。これが今回、私の目に留まった品である。

唐津焼には、土の味わい、釉薬の景色、焼成による窯変など、実にさまざまな表情がある。同じ茶碗でも、焼き上がりによって一つ一つ顔が違う。人間と同じである。同じような顔をしていても、中身はそれぞれ違う。

ただし骨董屋の場合は、中身だけではいけない。箱があるか、状態はどうか、作行きはどうか、そして現在の市場で需要があるか。いろいろな条件を一緒に見なければならない。
結局、すべての品物を拝見し、状態と市場性を考えながら一つ一つ値段をつけていく。
お客様にとっては、思い出の詰まった品々である。こちらとしても、できるだけその気持ちを無駄にしないようにしたい。
とはいえ、骨董屋は慈善事業でもない。財布の中身まで紅葉させるわけにはいかない。
あれこれ相談しながら、最後は何とか納得していただける金額にまとまり、無事に買取成立となった。
帰り道、夕暮れの春日市を走る。街路樹の葉が少しずつ赤く染まっている。
秋は静かに深まっている。そして私はというと、今日もまた一つ仕事を終えた満足感と、明日の骨董品買取への期待を胸に帰宅する。そして…夜になれば、もちろん晩酌である。
木々が赤くなるより先に、こちらの顔が真っ赤になる。これもまた、骨董屋の晩秋なのである。
ではまた……。
買取品の詳細

◇この「須恵唐津茶碗」は全体に明るい色合いで萩焼にも通じるような釉薬が特徴の茶碗でした。状態もとてもよく、ひび割れや割れ、欠けなどは見受けられません。共箱に栞、共布も付属しております。
買取査定額

◇須恵唐津の買取査定額もしくは評価額ですがまず作者んぽ知名度や作風と時代、ほかには栞や共箱があればより高価買取&できます。ご自宅にお茶道具が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

須恵唐津井戸茶碗 表千家14代家元 而妙斎 箱書付 100,000円
而妙斎書付 須恵唐津井戸茶碗 60,000円
朝鮮唐津水指 50,000円
朝鮮唐津茶入 30,000円 他多数
徳澤守俊とは?


徳澤守俊(とくざわ・もりとし)は、昭和後期から令和にかけて活躍する唐津焼の陶芸家で、とりわけ朝鮮唐津を中心とした茶陶で高い評価を受けてきた作家です。十二代中里太郎右衛門(無庵)に師事し、古唐津の研究を基礎としながら、福岡県須恵町の「須恵窯」で独自の唐津焼を追求しました。なかでも黒い鉄釉と白い藁灰釉が流れ合う、複雑な「窯変」の美しさは徳澤作品を語るうえで欠かせません。
徳澤守俊の略歴
徳澤守俊は1943(昭和18)年、京都市に生まれました。資料によって出生地の表記に若干の違いがありますが、京都で生まれ、東京都出身として紹介されることもあります。
1967年、玉川大学農学部を卒業。その後、唐津焼の人間国宝であった十二代中里太郎右衛門(中里無庵)に師事しました。ここが徳澤の作陶人生において非常に重要な時期となります。
無庵は古唐津復興に力を注いだ陶芸家であり、徳澤は師とともに古窯跡を歩き、土を探し、古陶片を観察しながら、古唐津の造形や焼成について学びました。
つまり徳澤の唐津は、単純に「古唐津風の作品を作る」というものではありません。古唐津を徹底的に研究したうえで、現代の陶芸として自分自身の表現を作り上げるという方向へ進んだのです。LIXILの展覧会解説では、徳澤自身が古窯を歩き、「身も心も唐津焼でいっぱいに満たした」という趣旨の言葉を残しています。
1972年には福岡県糟屋郡須恵町皿山に築窯して独立しました。
この「須恵」という場所も徳澤作品を理解するうえで重要です。須恵町には江戸時代に黒田藩の御用窯として焼物が作られた歴史があり、徳澤はこの由緒ある窯業地に割竹式登窯を築き、唐津焼の技法による須恵窯を開きました。
1974年には日本橋三越で初個展。その後、各地で個展を開催します。
1977年には日本伝統工芸展に初入選。1983年には日本工芸会正会員となりました。2005年には佐賀県立有田窯業大学校の非常勤講師を務めています。
そして徳澤の評価を大きく高めたのが、2007年の出来事です。
第54回日本伝統工芸展で「朝鮮唐津水指」が文部科学大臣賞を受賞し、文化庁買上げとなりました。この作品は現在、文化庁の収蔵作品として文化遺産オンラインにも掲載されています。
その後も2009年に日本陶芸展招待出品、2010年には第3回智美術館大賞展「現代の茶―造形の自由」で優秀賞、2012年には伝統工芸陶芸部会展で日本工芸会賞、2015年には第32回田部美術館大賞「茶の湯の造形展」で奨励賞を受賞しています。
徳澤守俊と「朝鮮唐津」
徳澤守俊を語るとき、まず挙げなければならないのが朝鮮唐津です。
朝鮮唐津とは、黒い鉄釉と白い藁灰釉を掛け分ける唐津焼の一種です。二つの釉薬が焼成中に流れ、重なり合うことで、黒、茶、灰、白などが複雑に入り混じった景色を生み出します。
しかし、この技法は簡単ではありません。
日本工芸会の解説でも、朝鮮唐津は古くから唐津茶陶のなかで高い評価を受けてきた一方、焼成が非常に難しく、良質な作品を作る作家は少ないと説明されています。
徳澤は、この難しい朝鮮唐津を長年にわたって研究しました。
徳澤作品では、黒い鉄釉の上に白い藁灰釉が滝のように流れ、その境目に細かな窯変が現れます。
白い釉薬がただ白く止まるのではなく、黒い釉薬と混ざりながら流れ、ところどころに茶褐色や灰色、青みを帯びた部分などが現れる。
この**「釉薬が動いた跡そのものを作品の景色にする」**というところが大きな特徴です。
徳澤自身も、朝鮮唐津の魅力について、絵具では表現できない自然の色彩が生まれることに魅力を感じていると語っています。
代表作「朝鮮唐津水指」
徳澤守俊の代表作としてまず挙げられるのが、2007年制作の「朝鮮唐津水指」です。
高さ15.2cm、径29.0cmの作品で、第54回日本伝統工芸展において文部科学大臣賞を受賞し、文化庁買上げとなりました。
大きく張った胴に、白い藁灰釉が流れ、黒い鉄釉との境界に見事な景色を作っています。
この作品では、単に「朝鮮唐津らしい釉薬」を使ったというだけではなく、器の造形そのものが釉薬の流れを受け止めるように設計されている点が重要です。
LIXILの解説では、その姿を大きな算盤玉のようなフォルムと表現し、白い藁灰釉の流れが口周辺に広がることで、造形と釉薬が一体となった作品と評価しています。
また、九州国立博物館もこの作品について、形、釉、そして独特の流れを生み出す施釉技法が最高の状態で組み合わされることによって、徳澤独自の「変化の妙」が表現されていると紹介しています。
「焼締朝鮮唐津雫花器」
もう一つ徳澤作品を代表する重要作が、「焼締朝鮮唐津雫花器」です。
これは2010年、第3回智美術館大賞展「現代の茶―造形の自由」で優秀賞を受賞した作品です。
特徴的なのは、作品全体を釉薬で覆ってしまわないこと。
焼締めによって生まれた赤褐色の肌を一部残し、その上に朝鮮唐津の釉薬を大胆に掛けています。
つまり、
焼締めの土肌
+
朝鮮唐津の黒と白の釉薬
+
窯変による偶然性
という三つの要素を一つの作品に組み込んでいます。
この「掛け残し」が非常に重要です。
普通なら「釉薬が掛かっていない部分」は未完成のように感じられるところですが、徳澤はそこを積極的に見せます。
赤く焼けた土肌と、白・黒の釉薬がぶつかり合うことで、作品に強い立体感が生まれます。LIXILも、この焼締めの緋色と釉薬の流れとの対比を徳澤の新しい朝鮮唐津の表現として紹介しています。
茶碗・花入・茶入など
徳澤の作品は水指や花器だけではありません。
茶碗、茶入、花入、香炉、鉢など、茶の湯に関係する幅広い作品を制作しています。
たとえば絵唐津茶碗では、唐津らしい土味を生かした素地に草文などを伸びやかに描いています。古美術市場で紹介されている作品にも、見込みを広く取り、手取りの良さを意識した茶碗が確認できます。
また、朝鮮唐津茶入などの小品では、水指や花器とは違って小さな器の中に釉薬の景色を凝縮しています。
近年も制作活動は続いており、2025年には日本橋三越本店で「集大成 德澤守俊展」が開催され、須恵唐津面取水指、朝鮮唐津花器、唐津茶碗などが紹介されました。
「須恵唐津」というもう一つの魅力
徳澤守俊を調べる際には、「須恵唐津」という名称も覚えてください。
福岡県須恵町皿山に築窯した徳澤は、古くから窯業地であった須恵の地で唐津焼の技法を用いた作陶を続けました。現在も須恵町では徳澤の作品が地域の焼物として紹介されています。したがって徳澤守俊は、佐賀の唐津焼を研究しながら、福岡の須恵という土地で自分の唐津を作り上げた陶芸家ともいえます。
■参考サイト
■その他の買取品目
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