福岡市中央区で南部鉄器の茶釜など買取りました
岩鋳の鉄釜と風炉です。小ぶりですが重量感もあります。
独特の刻印ですね。
買取品の詳細
今回は福岡市中央区の閑静な住宅地にお茶道具や掛軸の出張査定にお伺い致しました。買取品は茶道具のほかには南部鉄器の鉄瓶や花入れ、壺などもありました。いろいろな茶道具がありましたが紹介するお品は「岩鋳」の茶釜です。茶席で使用する釜としての状態はさびや穴もなく時代の割には良い方でした。作風は触ると痛いくらいの霰模様や風炉には繊細ながらも荒々しい岩肌と耳には獣の形をした重厚な鉄釜、風炉でした。時代は昭和に入ってから製造されたものと思われます。古くはありませんがスッキリとした井手達や全体のバランスがとても小気味よく、茶道の席だけでなく床の間に飾られても存在感のあるお道具でした。本当にありがとうございました。
どの方向から見ても存在感があります
風炉の脚です。ぼってりとした男らしい作りです
鋭い霰紋様が特徴の茶釜です
。
買取査定額
岩鋳など南部鉄器の買取相場ですが時代や図柄、文様や形でかなり差があります。江戸時代、茶の湯の進展とともに花開いた盛岡の鉄器文化で歴代の南部藩主に加護されながら技は磨き上げられた「南部鉄器」です。当店での岩鋳の鉄器の平均買取価格は茶釜で5000円~25000円,鉄瓶が5000円から10万円となっています。ご自宅に鉄瓶や茶が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、でもお値段は変わりますのでご了承ください。尚、付属品の栞や共箱が御座いましたらプラス査定になりますので一緒に拝見させてください。よろしくお願いいたします。
風炉の中はさびや穴は御座いません
■過去の南部鉄器買取例
砂鉄鉄瓶 100,000円
亀甲霰紋様鉄瓶 90,000円
清末作鉄瓶80,000円
清茂作 砂鉄鉄瓶 65,000円
鬼霰地紋鉄瓶40,000円
岩鋳(南部鉄器)とは?
獣耳の輪っかです。
底にも岩肌が浮き出ています
南部鉄器の歴史は、17世紀ごろから岩手県の盛岡市や奥州市でつくられてきました。とくに盛岡は古くから鉄資源が潤沢で鋳物産業に適している地域で、南部藩は鋳物師を招いて鋳物生産を奨励していました。その一方で茶道を推奨していた藩主が、1659年(万治2年)に京都から釜師の初代小泉仁左衛門を呼び寄せて、城下町で湯釜を作らせるようになったそうです。そして当時の南部藩が用いるすべての茶の湯釜を作らせ、献上品としての歴史を重ねます。そして3代小泉仁左衛門の頃には茶の湯釜を一回り小さくした「南部鉄瓶」が開発され、湯沸かしの道具として広く親しまれるようになりました。さらには1908年(明治41年)には東北地方を訪れた皇太子のもとで8代小泉仁左衛門が南部鉄器を作り、知名度を上げました。その鉄鋳物とは溶かした鉄を、鋳型に流して形をつくる技法です。主に茶釜や急須、鉄瓶や鍋のなどの生活雑器がつくられています。「南部鉄瓶に金気なし(金気とは水に溶け出た鉄分、そのにおいや味)」と称されるほど鉄臭さがなく、沸かしたお湯でお茶を淹れるとまろやかな味わいに。サビが出にくく、丈夫なため手入れをすればまさに「一生モノ」として使えるといわれています。
岩鋳の創業者の岩清水末吉は明治20年(1887)、盛岡市山王町に生まれました。父はくし職人でしたが南部鉄器の魅力に惹かれた末吉は南部鉄器職人のもとへ弟子入りしました。ほどなく末吉は頭角をあらわし、業界でも腕の立つ技術者として知られるように。明治35年(1902)、4年の修行を終えた末吉は市内で創業しました。 その後家内工業から企業と転身しましたが戦争や大量生産じだいの影でかなりの苦労をされたそうです。しかしながらいち早く海外に目を向けモダンな製品を展開していかれたおかげで世界の岩鋳のなられました。
◎関連、参考サイトは■いわてお国自慢 コチラです。
■南部鉄器協同組合コチラです。
■その他の買取品目
★骨董品買取の福岡玄燈舎では古美術品の他、アンティークや掛軸、茶道具、書道具、絵画、仏像、勲章、中国陶磁、甲冑など多彩な骨董品を査定買取しております。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にご相談ください。