
福岡市城南区で京焼の皿を買取りました!

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◇福岡市の夏が、どうやら本気を出してきたらしい。 いや、正確に言えば、もう本気を通り越している。 気温は四十度近くまで上がる地域もあるという。昔なら四十度と聞けば、温度計が壊れたか、誰かが冗談を言っていると思ったものだ。それが今では天気予報のお姉さんが、まるでスーパーの特売品でも紹介するように、 「本日は四十度近くまで気温が上がるところがあるでしょう」 などと、実に涼しい顔で言っている。 こちらはその言葉を聞いただけで汗が出る。
気温四十度。 人間が外を歩く温度ではない。 これはもう、焼き芋を作るための温度である。 あるいは目玉焼きでもいい。 福岡市のアスファルトに卵を落とせば、ひょっとすると立派な朝食が完成するのではないかと思うほどだ。 そんな暑さの中でも、我々骨董屋には仕事がある。 いや、仕事があるというより、電話が鳴れば行かねばならない。
「骨董品の買取をお願いしたいのですが」 そう言われれば、 「今日は四十度近いので、また涼しくなってから」 とは言えない。 そんなことを言っているうちに、他の骨董屋が涼しい顔をして品物を持っていってしまう。 骨董屋という商売は、実に不思議なものである。 世間の人々が暑さから逃げているときに、我々は暑さの中へ突入していく。 世間の人々が冷房の効いた部屋でアイスクリームを食べている頃、我々は人様の家の押し入れを開けている。 そして世間の人々が、 「暑いから今日は何もしない」 と決めた日に限って、こちらには、 「古い物がたくさんあるんですけど」 という電話がかかってくる。 人生というものは、なかなか公平にできていない。
というわけで、本日の骨董品買取査定は福岡市城南区である。 出発前、私は一つだけ願った。 どうか、エアコンのある部屋でありますように。 できれば、ちゃんと動くエアコンでありますように。 さらに贅沢を言えば、冷房の設定温度が二十度くらいになっていますように。 骨董屋が仕事に出かける前に神様へお願いすることとしては、あまりにも俗っぽい。 「どうか名品に出会えますように」 ではない。 「どうか高価な物がありますように」 でもない。 「どうかエアコンがありますように」 である。 人間、暑さの前では欲望の順位まで変わる。 若い頃なら金や名誉を願ったかもしれない。 しかし、人生も後半戦に入ると違う。 健康。 睡眠。 そしてエアコン。 この三つがあれば、だいたい何とかなる。
車を走らせて城南区へ向かう。 外は無風。 風がない。 湿気がある。 太陽は元気いっぱい。 どうやら太陽だけは、まだ若いらしい。 こちらは朝からすでに疲れているというのに、太陽は昼になっても、 「まだまだこれからですよ」 という顔で照りつけてくる。 まったく、迷惑な若さである。 車のエアコンを全開にする。 冷たい風が出てくる。 ありがたい。 現代文明というものは素晴らしい。 昔の人は扇子で暑さをしのいだという。 私には無理である。 扇子をパタパタしながら鉄瓶を持ち上げ、屏風を運び、箱を開ける。 そんなことをしていたら、査定が終わる前にこちらが骨董品になってしまう。
車は城南区へ進む。 そして目的地に到着。 お茶の先生のお宅である。 これは少し期待できる。 お茶の先生のお宅と聞けば、骨董屋の頭の中にはいろいろな物が浮かんでくる。 茶碗。 棗。 茶入。 香合。 水指。 掛軸。 茶筅。 そして、何だかよく分からないが、とにかく古そうな箱。 骨董屋にとって「箱」というものは、実に罪深い存在である。 桐箱を見ると期待してしまう。 紐をほどく。 蓋を開ける。 中を見る。 そして、 「ああ……」 となる。 この「ああ……」には、骨董屋の人生が凝縮されている。
しかし今日は違った。 部屋へ入る。 涼しい。 いや、涼しいという生易しいものではない。 エアコンがギンギンに効いている。 私は思わず胸をなでおろした。 品物を見る前に、 「今日は助かった」 と思った。 相方もホッとしている。 おそらく二人とも心の中で同じことを考えていた。 今日の最高の骨董品は、もしかするとエアコンなのではないか。 いや、売っていただけるならエアコンそのものを買い取りたいくらいだ。 しかし、残念ながらエアコンは売り物ではない。
仕方がないので、我々は本来の仕事に戻る。 品物を拝見する。 まず目に入ったのが朱泥の煎茶器。 朱泥独特の温かみのある色。 煎茶道具には、茶道具とは違った魅力がある。 小ぶりな急須を眺めていると、それだけで何となく昔の茶席の風景が浮かんでくる。 中国の急須もある。 花瓶もある。 鐐亮の品もある。 白磁の湯冷まし。 そして鉄瓶。 ひとつひとつ手に取っていく。 暑さで溶けかけていた我々の脳みそが、少しずつ元気を取り戻していく。 骨董屋というのは、実に現金な生き物である。 暑い。 疲れた。 もう帰りたい。 そんなことを言っていた人間が、良い物を見つけると突然、 「これはなかなかですね」 などと言い始める。 さっきまで死んだ魚のようだった目が、急に生き返る。 医者に診てもらったら、 「重度の骨董病です」 と言われるかもしれない。 だが、我々にとっては正常なのである。
さらに京焼の器や茶碗、皿が出てきた。 仁清写しである。 野々村仁清が生み出した華やかで優雅な京焼の世界。 その美意識を受け継いだ器には、どこか人の心を浮き立たせるようなところがある。 骨董品というものは面白い。 古い物だから価値があるわけではない。 新しい物だから価値がないわけでもない。 人間が美しいと思ったもの。 誰かが大切に使ったもの。 そして、長い時間を経てもなお、人の心を動かすもの。 そういう物が、骨董屋の目の前に置かれる。
ただし、その最後には必ず、 「で、いくらになりますか?」 という現実が待っている。 芸術と商売。 美と金。 この二つは仲が悪そうで、実はずっと一緒に歩いている。 美術館では名品を見て、 「素晴らしいですね」 と言う。 骨董屋では名品を見て、 「素晴らしいですね。では査定します」 となる。 なんとも世知辛い。 しかし、これが我々の仕事である。 そんな中、一枚の皿が目に留まった。 「丹山窯」 美しい皿である。

どこか祝いの席、寿ぐ場所で頂いたものではないかと思わせる華やかさがある。 器というものは、料理を盛るだけではない。 人の人生の節目にも登場する。 結婚。 還暦。 新築。 祝い事。 人間は何かあるたびに器を使う。 そして時が流れる。 人間は歳を取り、家族が増え、子どもが巣立ち、家の中の物が増え、最後には減らすことになる。 「この皿、もう使わないから」 そう言われて、我々のところへやってくる。 何とも皮肉な話である。 かつては祝いの席で人を喜ばせた皿が、最後には骨董屋の査定台の上に置かれる。 しかし、それは悲しいことばかりではない。 次の誰かのところへ行く可能性があるからだ。
物には、人間より長い人生がある。 人間は死ぬ。 家は壊れる。 会社もなくなる。 しかし器だけは、箱の中でじっと次の持ち主を待っている。 だから骨董屋という仕事は、ある意味では「物の再就職斡旋業」なのかもしれない。 「あなた、まだ働けますよ」 と古い器を励まして、 「次のご主人を探してあげますから」 と言って送り出す。 ただし、その前に値段をつける。 やっぱり世の中は厳しい。
査定を進めていく。 今回は品物の内容も良く、全体として嬉しい査定金額となった。 お客様にも納得していただき、無事に買取成立。 骨董屋としては、ありがたい一日である。 品物が良い。 お客様も喜ぶ。 こちらも喜ぶ。 そして何より、 エアコンが効いている。 これほど条件の揃った査定は、そうそうない。
仕事を終えて外へ出る。 暑い。 やっぱり暑い。 さっきまでの天国のような部屋から出た瞬間、現実が襲いかかってくる。 太陽が、 「お帰りなさい」 と言っている。 もちろん、そんな優しい意味ではない。 車へ向かう。 空を見上げる。 巨大な入道雲が浮かんでいる。 真っ白な雲が青空の中で大きく膨らんでいる。 子どもの頃なら、この雲を見て夏休みを思い出しただろう。 虫取り網。 麦わら帽子。 スイカ。 夕立。 しかし今の私は違う。 入道雲を見ながら考えるのは、 「帰ったらビールだな」 である。 人生というものは、長く生きるほど単純になっていく。 若い頃は夢を追った。 仕事を追った。 金を追った。 そして今は、冷えたビールを追っている。 その隣には枝豆。 これはもう完璧である。 今日一日の汗も、暑さも、骨董品の査定も、エアコンへの感謝も、全部まとめてビールで流してしまう。 そう考えると、何となく人生は悪くない。
車に乗り込む。 エアコンを入れる。 冷たい風が吹き出す。 私は思う。 文明とは、何とありがたいものだろう。 冷房があり、車があり、電話があり、骨董品を買い取る仕事があり、そして帰ればビールがある。 昔の骨董屋にはなかった幸せである。 ただし、昔の骨董屋は四十度近い日に車で出張査定をする必要もなかった。 どちらが幸せなのかは、よく分からない。
福岡の空には入道雲。 その雲を眺めながら、我々は帰路につく。 今日もまた、何とか生き延びた。 良い品物にも出会えた。 買取も成立した。 そして私は、家に着いたら冷えたビールを飲む。 枝豆をつまむ。 テレビでも眺めながら、 「今日は良い仕事だったな」 と、一人で勝手に納得する。 明日になれば、また電話が鳴る。 「骨董品があるんですが、見てもらえますか?」 私はきっと、 「はい、伺います」 と答える。 そしてまた車に乗る。 暑かろうが、寒かろうが、雨が降ろうが、台風が来ようが、骨董屋は行く。 なぜなら、そこに骨董品があるからだ。 ……いや。 本当のところは、そこに「買えるかもしれない骨董品」があるからだ。 そして、もう一つ。 もしかすると、次の家にもエアコンがあるかもしれない。
骨董屋の希望とは、案外その程度のものなのかもしれない。 名品を探しながら、冷房を探す。 美しい器を眺めながら、帰宅後のビールを考える。 仁清写しの茶碗に感動し、丹山窯の皿に心を動かされ、それでも最後に思い浮かぶのは枝豆である。 人間とは、実に不思議な生き物である。 そして骨董屋とは、その不思議な人間の中でも、さらに不思議な人種なのかもしれない。
入道雲が、夕暮れの空にゆっくりと消えていく。 今日も一日が終わる。 明日もまた、どこかの家で誰かが桐箱を開ける。 その中には名品が入っているかもしれない。 あるいは、何十年も前のお土産物かもしれない。 蓋を開けてみなければ分からない。 だから我々は行く。 汗をかきながら。 期待しながら。 時にはガッカリしながら。 そして、たまにはエアコンの効いた部屋で胸をなでおろしながら。 今日のように良い品物に出会えた日は、 「骨董屋をやっていて良かった」 と思う。 そして家に帰って冷たいビールを飲む頃には、 「明日もまた、何か出るといいな」 と考える。 その瞬間、もう次の放浪が始まっている。 骨董屋の人生は、どうやら終わりがない。 いや、終わりはある。 ただ、それまでにあと何軒の家を訪ね、何個の桐箱を開け、何本の鉄瓶を持ち上げ、何度「これは良いですね」と言い、何度「これはちょっと……」と言うのか。 それは誰にも分からない。 分かっているのは、明日もまた暑いということだけだ。 そして願わくば、その明日の査定先にもエアコンがありますように。 できれば、今日と同じくらいギンギンに。 骨董屋の神様。 どうか、それだけはよろしくお願いします。 ではまた。 次の骨董品と、次のエアコンと、次の冷たいビールを探す旅へ。
買取品の詳細
◇この「丹山銘の皿」は金と銀の象嵌も美しく傍らには松葉が施された上品で目出度い京焼のお皿です。共箱には紅白の紐がついてあり寿ぐ方にお譲りされても喜ばれる骨董品だと思われます。作者は「小峠丹山」です。
買取査定額


◇京焼の買取査定額もしくは評価額ですが作者の知名度や時代、作品の煌びやかさ、ほかには刻印や鑑識、共箱があればより高価買取できます。ご自宅に京焼や茶器が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の京焼買取例

清風与平造 青磁盃 十客組 700,000円
尾形乾山作 京焼 清水焼 懐石 4客 600,000円
三浦竹泉「湯呑10客」共箱 350,000円
野々村仁清 御室焼梅図筒茶碗 250,000円 他多数
小峠丹山とは?
■ 初代・小峠丹山(小峠葛芳)
丹山窯の礎を築いた小峠丹山こと小峠葛芳は、1946年に兵庫県姫路市に生まれました。
陶芸家としての修業では、京都の名窯である宮川香斎の系統に学び、さらに益子の人間国宝島岡達三にも師事したとされています。資料によって「宮川香斎」との関係についての表現には違いがありますが、京焼の茶陶の伝統と、島岡達三から学んだ陶芸的な造形感覚の双方が、その後の作風に影響を与えたと考えられます
そして1974年、京都府宇治市炭山に丹山窯を開窯。
炭山は、現在も京焼・清水焼の重要な産地の一つです。京焼炭山協同組合では、現存する京式登り窯の保存・継承にも取り組んでおり、丹山窯もその地域に根を下ろす窯元の一つとして紹介されています。
小峠丹山の作陶活動で特に注目されるのは、その幅広い技法への取り組みです。
代表的なものとして、
- 三島手
- 伊賀写
- 仁清写
- 呉須赤絵
- 祥瑞
- 染付
などが挙げられます。
中でも、古美術関係の作家紹介では三島手と伊賀写しを得意とした作家として紹介されることが多く、同時に仁清写や祥瑞、染付なども手掛けています。つまり、一つの様式だけにこだわる作家ではなく、日本や中国、朝鮮半島の古陶磁を研究し、それぞれの技法を自らの茶陶へ展開した作家と見ることができます。
■ 仁清写――華やかな京焼への挑戦
今回、前のご質問で触れられていた「京焼の仁清写しの器や茶碗、皿」という点から考えると、小峠丹山の作風の中でも特に興味深いのが仁清写しです。
野々村仁清は、江戸時代前期に京都・御室を中心に活躍し、華やかな色絵と優美な器形によって京焼を代表する陶工となりました。
仁清の作品は、器そのものが一つの絵画のように構成されています。
小峠丹山は、三島手や伊賀写しのような土味を生かした作品だけでなく、こうした仁清以来の華麗な京焼の伝統にも取り組みました。
これは小峠丹山の作風の幅広さを象徴しています。
つまり、
侘びた茶陶の世界
と
華麗な色絵の世界
の両方を手掛けたのです。
京焼という産地そのものが、古い様式を「写し」として研究し、新しい時代に再生させる伝統を持っています。したがって、仁清写しを制作することは単なる模倣ではなく、古典を自分の時代に読み替える作業でもあります。
■ 呉須赤絵・祥瑞・染付
小峠丹山のもう一つの特徴は、中国陶磁の影響を受けた技法にも積極的に取り組んだことです。
呉須赤絵は、赤を主体とした華やかな装飾が魅力。
祥瑞は、細密な染付文様による端正な美しさが特徴です。
染付は青と白の世界によって、器に清涼感や格調を与えます。
こうした技法を一人の陶芸家が幅広く扱うことは、茶陶の世界を深く研究していたことの表れともいえるでしょう。
茶道具は、季節や茶会の趣向によって求められる美が変わります。
春には花。
夏には涼しさ。
秋には紅葉。
冬には雪。
また、茶碗だけでなく、菓子鉢、食籠、水指、香合、花器など、さまざまな器が必要になります。
そのため、京焼の陶工には幅広い技術が求められてきました。
小峠丹山の多彩な作風も、こうした茶の湯文化との関係から見ると理解しやすいでしょう。
■ 展覧会活動と評価
小峠丹山は、1970年代から日本工芸会関係の展覧会などに出品を続けました。
資料によれば、1976年に日本伝統工芸展へ初入選し、その後、日本工芸会近畿支部展、京都府工芸美術展などで入選を重ね、1981年には日本工芸会正会員となっています。さらに、京焼・清水焼展では京都市長賞を受賞した記録も確認されています。
ただし、入選回数などについては資料によって記載に差があります。
古美術商の作家紹介では、日本伝統工芸展4回、近畿支部展9回、京都府工芸美術展8回などとする資料がある一方、別の資料では異なる回数が掲載されています。そのため、正確な回数については公式の作家年譜や展覧会図録による確認が必要です。
いずれにしても、日本伝統工芸展などへの出品を重ね、日本工芸会正会員となったことからも、単なる茶道具作家ではなく、工芸界において一定の評価を受けた陶芸家であることが分かります。
■ 代表作品
小峠丹山の作品として市場で確認できるものには、
- 松之絵菓子鉢
- 三島手茶碗
- 伊賀写茶碗
- 仁清写茶碗
- 仁清写皿
- 祥瑞茶碗
- 染付作品
- 呉須赤絵作品
- 干支茶碗
などがあります。
なかでも今回の品物と同一の「松之絵菓子鉢」などは、小峠丹山の茶陶作家としての性格をよく示す作品といえるでしょう。松は古来より長寿や吉祥を象徴する文様であり、茶席や祝いの席にもふさわしい意匠です。
また、今回お話にあった「丹山窯」の美しい皿についても、こうした茶陶・食器制作の幅広い活動の中に位置付けて考えることができます。
■ 二代目・小峠賢太郎――丹山窯の現在
現在の丹山窯を代表するのが、小峠賢太郎です。
京都陶磁器協同組合連合会の公式紹介によれば、1976年に小峠葛芳の長男として京都に生まれ、1998年に人間国宝・島岡達三に師事。その後、各地で親子展を開催しながら作陶を続けています。現在の丹山窯は小峠賢太郎が担っているとされています。
ここは丹山窯を理解するうえで非常に重要なところです。
父・小峠丹山は、宮川香斎の系統から学んだ京都の茶陶と、島岡達三から学んだ陶芸を基礎に、三島、伊賀、仁清、祥瑞、染付など幅広い古典研究を行いました。
一方、その息子である小峠賢太郎も島岡達三に師事しています。

■参考サイト

■その他の買取品目
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