萩焼の煎茶器買取りました/骨董品の買取は福岡玄燈舎
萩焼の煎茶器買取りました

福岡市早良区で萩焼の煎茶器買取りました!

 

骨董品店連絡先
【電話受付 9:00~19:00 】

写真はtremolo3247@gmail.com若しくはLINEからお願いします。 

 

◇福岡では、只今お盆の真っただ中である。

街には県外ナンバーの車が増え、普段なら十分で着くところが三十分、三十分で着くところが一時間。帰省ラッシュというものは、人間を故郷へ帰すために、まず人間の忍耐力を試すらしい。

高速道路も一般道も、どこへ行っても車、車、車。

「お父さん、お盆くらいはゆっくりしたら?」

などと世間の奥様方は言うのだろうが、骨董屋にとって「お盆だから休む」というのは、なかなか難しい。

なぜなら、骨董品は盆も正月も知らないからである。

そして何より恐ろしいのは、お客さんもまた、盆も正月も知らないことである。

そんなお盆のある日、一本の電話が鳴った。

「茶道具や骨董品が沢山あるんです。すぐに見てもらえませんか?」

沢山。

この「沢山」という言葉には、骨董屋を動かす魔力がある。

「沢山」と言われて、じっとしていられる骨董屋がいるとすれば、それはもう骨董屋ではなく、たぶん休業中の骨董屋である。

しかも今日はお盆休み。

普通の商売人なら、

「申し訳ありません。お盆休みをいただいておりますので、明けてから伺います」

と、たいへん立派な返事をするところである。

私も一瞬だけ、そう言おうと思った。

ほんの一瞬である。

次の瞬間には、

「今から行きます」

と言っていた。

我ながら情けない。

いや、正直に言えば、骨董屋の悲しい性である。

「休み」と「沢山」を天秤にかけると、私の中では「沢山」のほうが圧倒的に重い。

人間というものは、欲望に弱い。

いや、骨董屋というものは、もっと欲望に弱い。

今回は私一人で向かうことになった。

相方は留守番である。

「お盆なんだから、あなた一人で行ってきなさい」

と言われたわけではない。

たぶん。

私はそう解釈しておくことにした。

車を走らせ、向かった先は福岡市早良区の一軒家。

到着すると、ご依頼主の方が出迎えてくださった。

挨拶を済ませ、

「こちらです」

と案内された部屋に入った。

すると、そこには――

仏壇。

その前に、萩焼。京焼。茶碗。水指。香炉。煎茶器。

その他もろもろ。

ずらり。

私は一瞬、足を止めた。

「……これは」

思わず声が出る。

仏壇の前に並んだ茶道具たちは、まるで盆休みの展示会である。

ご先祖様も、さぞ驚かれていることだろう。

「今年は盆に帰ってきたら、茶碗が増えとるばい」

「しかも、知らんおじさんまで入ってきたばい」

そんなご先祖様の声が聞こえてきそうである。

私は心の中で仏壇に一礼した。

「どうも。今日は査定に参りました」

骨董屋という商売、妙なものである。

人様の家に上がり込み、仏壇の前で古い茶碗をひっくり返しては、

「これはどうでしょう」

などと言っている。

普通に考えれば、かなり罰当たりな光景である。

しかし、こちらも遊びに来たわけではない。

ご依頼主にとっては、長年家にあったものを整理する大事な仕事。

そして何より、

「一日でも早く片付けてあげたい」

というお気持ちが伝わってくる。

それならば、こちらも骨董屋として真面目にやらなければならない。

茶碗を一つ一つ手に取る。

萩焼。京焼。また萩。茶碗、茶碗、茶碗。

世の中には、いったいどれほどの茶碗が存在するのだろう。

茶碗というものは不思議である。

毎日ご飯を食べるだけなら、一個あれば十分である。

ところが茶道具となると、

「春はこちら」

「秋はこちら」

「客が来たらこちら」

「雨の日はこちら」

「亭主の気分はこちら」

と、どんどん増えていく。

人間というものは、実に言い訳の上手な生き物である。

そして、その言い訳を形にしたものが茶道具なのかもしれない。

査定を進めていくと、今回は茶碗類が多い。

ただ、残念ながら一つ一つを高く評価できるものばかりではない。

こういう場合、骨董屋の説明もだんだん難しくなる。

「こちらは……まとめてになりますね」

この「まとめて」という言葉。

便利な言葉である。

便利すぎて怖い。

売る側からすれば、

「そんなに沢山あるのに、どうして?」

となる。

買う側からすれば、

「そんなに沢山あるからこそ、まとめてなんです」

となる。

世の中、立場が変われば正義も変わる。

茶碗一個一個に、それぞれの人生がある。

誰かが選び、誰かが買い、誰かが大切に使い、誰かが箱にしまい、そして何十年か経った今日、私の手の上に乗っている。

骨董屋をやっていると、物の値段だけでは説明できないものに出会う。

「いくらですか?」

と聞かれて、

「これは○○円です」

と答える。

しかし、その値段は物の人生そのものではない。

むしろ、物の人生に人間が勝手につけた数字である。

そんなことを考えながら、次の品を手に取った。

すると――

貫入のたっぷりと入った萩焼です/茶器の買取は福岡玄燈舎
貫入のたっぷりと入った萩焼です

おや。

これは少し違う。

箱を見る。

器を見る。

もう一度見る。

そして銘を確認する。

「坂高麗左衛門」

11世坂高麗左衛門の茶器です/骨董の買取は福岡玄燈舎
11世坂高麗左衛門の茶器です

おお。

出ました。

萩焼の名跡、坂高麗左衛門。

坂窯といえば、萩焼の歴史を語る上で欠かせない名家である。

初代以来、代々「高麗左衛門」を襲名し、朝鮮陶技を源流とする萩焼の伝統を今日まで伝えている。

萩焼には「萩の七化け」という言葉がある。

使えば使うほど、貫入に茶や水が入り込み、色が変わっていく。

新品のときが完成ではない。

使われてからが始まり。

人間と同じである。

若いころは真っ白で、年を重ねるほど味が出る。

ただし人間の場合、貫入の代わりにシワが増える。

ここは器のほうが上品である。

今回の坂高麗左衛門は煎茶器。

茶碗の山の中に、一品だけ、こちらは明らかに雰囲気が違う。

私はしばらく眺めた。

そしてご依頼主に、

「こちらは、しっかり評価させていただきます」

とお伝えした。

ご依頼主も少し驚かれたようだった。

こういう瞬間があるから、骨董屋はやめられない。

いや、正確には、

「こういう瞬間があるから、休めない」

と言ったほうがいい。

お盆休みだろうが、帰省ラッシュだろうが、電話一本で車に飛び乗ってしまう。

まったく、因果な商売である。

査定そのものは、思いのほか早く終わった。

茶碗類はまとめて買い取らせていただき、坂高麗左衛門の煎茶器については、きちんと評価して高価買取させていただくことになった。

ご依頼主からすれば、長年家にあったものが片付いていく。

私からすれば、それなりの仕入れができた。

物からすれば、また次の人生が始まる。

誰も損をしていない。

たぶん。

骨董屋という商売は、物の引っ越し屋みたいなところがある。

家から家へ。蔵から店へ。

店からまた誰かの家へ。

その途中で、値段をつけたり、由来を調べたり、箱を開けたり閉めたりする。

そして、たまには仏壇の前でご先祖様に睨まれながら査定をする。

そう考えると、今日もなかなか良い一日だった。

帰り際、仏壇の前をもう一度見る。

さっきまで並んでいた茶道具は、かなり減っている。

部屋が少し広くなったように見える。

ご先祖様も、

「やっと片付いたか」

と、ほっとされているかもしれない。

私は心の中で、

「お騒がせしました」と頭を下げた。

そして車へ戻る。外はまだ暑い。

道路はまだ混んでいる。世間はお盆。

みんな故郷へ帰っている。

私はというと、故郷へ帰る人たちの車列を眺めながら、仕入れた骨董を積んで店へ戻る。

なんとも皮肉な話である。

人は家に帰る。私は人の家から骨董を持って帰る。

これが骨董屋という商売なのだろう。

そして店に戻れば、また箱を開ける。

「今日は何が出てくるかな」などと考えながら。

ところで今日は、相方が留守番である。

一人で働いたのだから、少しくらい自分にご褒美をあげても罰は当たるまい。

ということで、今日は帰ったら仏壇の前――

ではなく、店の奥でビールでも一本いただくことにしよう。

いや、二本かもしれない。

なにしろ今日はお盆である。

ご先祖様だって、きっと許してくれる。

ただし、仕入れた坂高麗左衛門の煎茶器でビールを飲むのだけはやめておこう。

骨董屋にも、それくらいの良識は残っている。

……たぶん。では、また。

 

 

買取品の詳細

 

割り高台ですね/骨董品の買取は福岡玄燈舎
割り高台ですね

◇この「煎茶器」は萩焼の11世 坂高麗左衛門の古い作品でした。時代の割にもあまり使用感もなく割れや欠けもありません。手に取るとすっぽりと収まる湯呑や貫入がたくさん入ったまるで休雪の作品と思われるような梅花皮模様も入った急須などもあります。手作り感や時代がたっぷりと楽しめる煎茶道具でした。ありがとうございました。

 

買取査定額

◇坂高麗左衛門作品の買取査定額もしくは評価額ですが何代目の作品か、時代や状態、ほかには鑑定書や鑑識があればより高価買取&できます。

とても味わいのある貫入です/萩焼の買取は福岡玄燈舎
とても味わいのある貫入です

ご自宅に古い萩焼が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

 

■過去の作品買取例

刻印も確認できました/骨董品の買取は福岡玄燈舎
刻印も確認できました

十二代坂高麗左衛門(熊峰) 陶彩景秋草図長方陶筥 500,000円
十二代坂高麗左衛門造 萩 茶碗   300,000円
十二世坂高麗左衛門作(鵬雲斎書付) 200,000円
三代 坂新兵衛 古萩茶碗     100,000円 他多数

坂高麗左衛門とは?

坂高麗左衛門(さか・こうらいざえもん)は、山口県萩市を代表する萩焼の宗家・坂窯に代々受け継がれてきた襲名名跡です。現在は十四世坂髙麗左衛門(坂悠太氏)がその名を継いでいます。坂窯は萩焼の草創期から約四百年にわたって同じ地で作陶を続けており、三輪家と並ぶ萩焼の中心的な窯の一つです。

以下では、初代から十四世までの流れをたどりながら、各時代の作風と代表的な作品・特徴をまとめます。

坂高麗左衛門の始まり――朝鮮陶工・李敬から

坂家の家祖は、朝鮮半島から渡来した陶工・李敬(り・けい)です。李敬は兄とされる李勺光とともに文禄・慶長の役の際に日本へ渡り、その後、毛利輝元に従って萩へ移りました。萩の松本の地に毛利家の御用焼物所が設けられたことが、今日の萩焼につながっています。

李敬は日本名を「坂助八」と改め、1625(寛永2)年、毛利秀就から「髙麗左衛門」の名を拝領しました。これが坂高麗左衛門という名跡の始まりです。以後、江戸時代を通じて毛利家・萩藩の御用焼物師を務めました。

つまり「坂高麗左衛門」という名前は、一人の陶芸家の個人名というより、萩焼の歴史そのものを背負ってきた陶家の襲名名と考えると理解しやすいでしょう。


初代~七世――萩焼の基礎を築いた江戸時代

初代 坂髙麗左衛門・道忠(李敬)

二世 助八・忠李

三世 新兵衛・忠順

四世 新兵衛・忠方

五世 助八・忠達

六世 新兵衛・忠清

七世 助八・忠之

初代から七世までは、江戸時代の坂窯を担った陶工たちです。坂家の系譜では、初代から七世までが江戸前期から後期にかけて連綿と続いています。

この時代の作品を理解するうえで重要なのは、坂窯が毛利家の御用窯だったという点です。初期の萩焼は、渡来した朝鮮陶工がもたらした高麗茶碗の技法・造形を基礎としながら、日本の茶の湯の美意識に合わせて発展しました。

とくに、

  • 井戸茶碗を思わせる大らかな碗形
  • 粉引・熊川・三島など朝鮮陶磁の影響
  • 素朴で粗い胎土
  • 白釉・枇杷色の柔らかな釉調
  • 貫入の入った淡い釉肌

といった特徴が、後世の坂窯にも受け継がれていきます。

萩焼は、焼き上がった瞬間の完成美だけでなく、使用によって釉薬の貫入に茶や水が染み込み、色合いが変化する「萩の七化け」を魅力とします。坂窯では、とくに温かみのある「枇杷色」と細かな貫入を特色としてきました。

したがって初期坂窯の価値は、華やかな装飾よりも、土と釉薬、そして茶碗の形そのものによって侘びの美を表現したところにあります。


八世――近代への橋渡し

八世 坂髙麗左衛門・忠陶

(玩土斎・松翁、1791~1877)

八世は江戸後期から明治初期に活躍した人物です。ここから坂窯は、近代化という大きな時代変化に直面することになります。

明治維新によって毛利藩の御用窯制度がなくなり、坂家も藩の庇護を失いました。しかし、萩焼そのものが消滅したわけではありません。むしろ明治以降、博覧会や茶道界との関係を通じて、萩焼は新たな市場を獲得していきます。

この時代から坂窯の作陶は、伝統的な茶陶だけでなく、煎茶器、花器、置物、日用器などへと展開していきました。


九世――明治の萩焼復興を支えた名工

九世 坂髙麗左衛門・道輔(韓岳)

(1849~1921)

九世は、明治から大正初期にかけて活躍した重要な人物です。

明治維新によって御用窯制度がなくなった後、萩焼は経済的に厳しい状況に置かれました。その復興の契機の一つとなったのが、1877(明治10)年から開催された内国勧業博覧会です。九世はここで評価を得て、さらに1881(明治14)年の第2回内国勧業博覧会でも坂家が受賞し、宮内省買い上げにつながりました。

この時代には、茶陶だけでなく、煎茶道具など近代の需要にも対応しており、坂窯が**「藩の御用窯」から「近代の陶芸窯」へ転換する時代**だったといえます。


十世――大正・昭和の坂窯

十世 坂髙麗左衛門・秀輔(韓峯)

(1890~1958)

九世の後を継いだのが十世です。明治末から昭和中期にかけて坂窯を率いました。

この時期は、茶道の復興とともに萩焼の茶陶が再び高く評価された時代でもあります。坂窯では伝統的な茶碗、特に井戸形や鬼萩系の力強い茶碗など、古萩を意識した作品が重要になっていきます。

十世の作品を鑑賞するときは、後世の十二世のような絵画的装飾ではなく、土味、轆轤、釉薬、焼成によって生まれる茶陶としての完成度を見るのがポイントです。


十一世――豪快な「鬼萩」と井戸茶碗

十一世 坂髙麗左衛門・信夫(韓峯)

(1912~1981)

十一世は近代坂窯を代表する陶芸家の一人です。1912年に下関市に生まれ、帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)を卒業。1948年、旧萩藩御用窯の宗家である坂家の婿養子となり、1958年に十一世坂高麗左衛門を襲名しました。

十一世の大きな特色は、朝鮮の井戸茶碗を意識した作品と、荒々しい「鬼萩手」です。

鬼萩とは、胎土に荒砂や礫を多く混ぜることで、非常に粗く力強い肌合いを出す萩焼の一種です。十一世の作品では、この荒々しい土味を生かしながら、茶碗としての大らかな姿を作っています。

代表作として挙げられるのが、

  • 「井戸茶碗」(1975年)
  • 「魚紋花瓶」(1977年)

などです。

1971年に日本工芸会正会員となり、1973年には山口県芸術文化振興奨励賞、1975年には山口県無形文化財の指定を受けました。1980年には日本工芸会理事にも就任しています。

十一世は、古萩の伝統を現代に力強く蘇らせた作家と評価できます。


十二世――日本画と萩焼を融合した革新者

十二世 坂髙麗左衛門・達雄(熊峰)

(1949~2004)

坂高麗左衛門の歴史の中で、もっとも作風の転換が大きかった人物の一人が十二世です。

東京藝術大学で日本画を専攻し、大学院修了後も日本中世絵画の研究を続けました。1982年、十一世の娘・素子と結婚して坂家を継ぎ、1987年に十二世を襲名しています。

十二世の革新性は、伝統的な萩焼に日本画的な彩色・絵画表現を導入したことにあります。

代表作として、

  • 「萩夏秋草八角陶筥」
  • 「萩茶碗」
  • 「萩櫛目面取茶碗」
  • 「陶彩景秋草図長方皿」
  • 「陶彩華」系の香合・大皿など

が挙げられます。

1987年には自ら開発した「陶彩」技法による「萩夏秋草八角陶筥」が日本伝統工芸展に初入選。1994年には日本工芸会正会員となり、2001年には山口県文化功労賞を受賞しました。

十二世の作品を見ると、伝統的な萩焼の柔らかな胎土や釉調を残しながら、器面に色料を施して、草花などを日本画のように描いていることが分かります。

つまり十一世までの「土と釉薬を中心とする萩焼」から、十二世では「土・釉薬+絵画」へと表現領域が広がったのです。

代表作「萩夏秋草八角陶筥」は、その革新性を象徴する作品です。


十三世――女性陶芸家として伝統を継承

十三世 坂髙麗左衛門・純子(韓峯)

(1952~2014)

十二世の後を継いだのが十三世・純子です。

十三世は十二世の妻であり、坂窯の伝統を継承しました。ただし、十二世のような日本画的装飾だけに依存するのではなく、坂窯が本来持っている柔らかな土味と茶陶の造形を現代につなぐ役割を担ったと見ることができます。

十三世の時代は非常に短く、2011年に襲名した後、2014年に急逝しました。現在の十四世・坂悠太氏にとっては母にあたります。坂家公式系譜でも十三世純子を1952~2014年としています。


十四世――伝統と革新の両立

十四世 坂髙麗左衛門・悠太(冠峯)

(1988~)

現在の当主です。

1988年生まれ。京都造形芸術大学で陶芸を学び、京都府立陶工高等技術専門校、京都市産業技術研究所などで研鑽を積みました。2014年、十三世の死去に伴って坂家当主となり、2022年に正式に十四世坂髙麗左衛門を襲名しました。

十四世の考え方で非常に興味深いのは、「伝統を守ること」と「伝統を変化させること」を対立させていない点です。

本人も、歴代作品を研究し、受け継いだ登り窯や陶土を用いて「萩焼らしい柔和なやきもの」を作る一方、伝統とは一つの様式をそのまま守ることではなく、歴代が積み重ねた「創意の連なり」であると述べています。

現在の作品には、伝統的な萩茶碗をはじめ、茶器、酒盃、香合などがあります。特に十四世の茶碗は、柔らかな土味と深みのある釉調を生かしたものが多く、現代的な造形感覚との調和が見どころです。


坂高麗左衛門を「代々の作風」で見ると

十四代の歴史を大きく整理すると、次のような流れになります。

時代 作風・特徴
江戸前期 初~二世 朝鮮陶技を基礎とした初期萩焼、御用窯
江戸中期 三~六世 茶陶を中心に萩焼の基本様式を形成
江戸後期 七~八世 伝統的茶陶を継承しつつ近代への準備
明治 九世 御用窯から近代陶芸へ、博覧会・煎茶器などにも展開
大正~昭和 十世 古萩を踏まえた茶陶、伝統回帰
昭和 十一世 井戸茶碗、鬼萩など力強い土味
昭和~平成 十二世 日本画と萩焼を融合、「陶彩」による装飾
平成 十三世 伝統の継承と茶陶の現代化
平成~令和 十四世 伝統的萩焼と現代的造形の両立

このように見ると、坂窯の面白さは「四百年間、同じ萩焼を作ってきた」という単純な継承ではありません。同じ陶土・登り窯・釉薬・茶碗という伝統を受け継ぎながら、各世代が少しずつ自分の時代の美意識を加えてきたところにあります。


代表作品を見るなら

特に鑑賞をお勧めしたいのは、次のような作品です。

十一世「井戸茶碗」
朝鮮陶磁の井戸茶碗を基礎に、十一世らしい力強い土味を見ることができます。古萩の精神を現代に再現した作品として重要です。

十一世「魚紋花瓶」
茶碗中心の作陶だけでなく、花器などにも取り組んだ十一世の幅を見ることができます。

十二世「萩夏秋草八角陶筥」
十二世の革新を象徴する作品。萩焼の陶胎に日本画的な装飾を融合した「陶彩」の代表例です。

十二世「萩櫛目面取茶碗」
伝統的な茶碗の形を基本としながら、櫛目や面取りによって造形的な変化を与えた作品です。1994年の日本伝統工芸展に入選しています。

十二世「陶彩華」系作品
香合、大皿などに華やかな彩色を施した作品群で、伝統的な萩焼とはかなり異なる印象を受けます。十二世が日本画家としての素養をどのように陶芸へ移したかを理解するのに適しています。

十四世の萩茶碗・酒盃
現在の坂窯が、伝統的な「柔和な萩」の方向をどのように現代へつないでいるかを見ることができます。


坂高麗左衛門の魅力とは

坂高麗左衛門の作品を鑑賞する際、単に「古い萩焼」「名家の萩焼」として見るだけでは、その本当の面白さは十分には分かりません。

坂窯には、李敬以来の朝鮮陶技、毛利家の御用窯としての歴史、茶の湯の侘び、萩焼特有の土味と貫入、そして近現代の陶芸家としての創造性が重なっています。

特に十一世と十二世を比較すると、その違いが鮮明です。十一世は荒々しい鬼萩や井戸茶碗によって「土の力」を前面に出したのに対し、十二世は日本画を学んだ経験を生かして「絵画としての陶」を追求しました。これは単なる作風の違いではなく、「伝統をどう現代化するか」という二つの答えともいえます。

そして十四世は、十二世のように大きく伝統を変えるのではなく、歴代の創意そのものを伝統と捉え直し、古い技法を現代の感覚で再構築しようとしています。

したがって坂高麗左衛門という名跡を理解する最もよい方法は、初代から十四世までを一つの「作品」として見ることでしょう。初代・李敬が朝鮮陶技をもたらし、江戸期に茶陶の基礎が固まり、九世以降に近代化し、十一世が古萩の力強さを再生し、十二世が日本画との融合を試み、十三世が継承し、十四世が再び新しい萩焼を模索している――その四百年に及ぶ変化そのものが、坂窯最大の魅力なのです。

 

参考サイト

坂髙麗左衛門窯・公式サイト

東京文化財研究所

■その他の買取品目

 

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