福岡市中央区で高野昭阿弥作の皆具を買取りました!

◇福岡の夏というのは、どうにもこうにも容赦がない。まだ七月だというのに、太陽は真夏日どころか「真火日」と言いたくなるようなジリジリ加減で、セミまで「あちぃ、あちぃ」とミンミン言ってるように聞こえる。
そんな中、老体に日焼け止めを塗りたくり、愛用の帽子を深々とかぶって、中央区のあるマンションへ茶道具の出張買取に向かったのだった。
この道を歩んで二十幾年月。「骨董屋は万年青年でいなければならぬ」が口癖の私だが、最近は万年青年どころか万年膝痛。階段を上るたびに、膝がギシギシと文句を言う。だが、この暑さにも負けてたまるかと気合いを入れてピンポーン。
出迎えてくれたのは、にこやかな初老のご婦人。口調も柔らかく、いかにも「良いものを大事にしてきた」雰囲気が滲み出ている。だが、玄関の奥を覗いた瞬間、私は思わず目を疑った。
――骨董品が、詰まっている。いや、詰まっているというより、押し寄せている。
茶棚、飾り棚、床の間、出窓、果てはテレビの上にまで、古伊万里、鉄瓶、棗、掛軸、着物……それに交じって、なぜかブリキのロボットが片目を光らせている。
「まるで昭和の骨董屋みたいですねぇ」と私が言うと、奥様はくすりと笑い、「主人の趣味で……」とおっしゃる。なるほど。御主人、きっと目利きだったに違いない。そしてきっと、収集癖という名の業病にも冒されていたに違いない。
とりあえず、まずは入り口近くの茶棚から査定開始。鉄瓶を持ち上げればズシリと手応え。「これは南部か龍文堂か…」と見極める前に、脳内に「熱中症注意報」が流れる。冷房はついているが、品数の多さと集中力で、私の体感温度は36.5度を軽く超えていた。
次に棗。蒔絵の具合を見て、底を確認し、銘を読む。なかなかの出来。茶碗もいくつか。志野、萩、京風、どれも程よく使われた味わいがある。「これは亭主、茶道も嗜んでいたな」と、ひとりごちた瞬間、奥様が「はい、表千家を」と即答。さすが、察しが良い。
それから約三時間。黙々と、そして時に「おお」と声を上げながら、査定を続ける。中国陶磁の中には清時代の青磁もあり、掛軸の中には妙に色っぽい美人画や、達磨大師が瞑想中に寝落ちしそうな一幅も。正直なところ、疲れと笑いが交錯する骨董品の万華鏡である。
時計を見ると、午後三時半。最後の茶碗を置き、私は深く一礼して査定額を告げた。
「これだけおありでしたので、●万円でいかがでしょう」
すると奥様、「はい、お願い致します」と即答。あまりにすんなり買取成立で、逆に拍子抜けしてしまう。「え?交渉とか、値切りとか、夫が天から怒ってるとか、ないですか?」と思わず聞きそうになるほどだった。
だが、すべて終わったかと思った、その瞬間である。
奥様が、ふすまの奥へとスッと向かい、「実は、もうひとつだけ見ていただきたいものが……」とおっしゃる。
出てきたのは、木箱。いかにも由緒ありげな桐箱だ。蓋を開けると、そこには皆具一式。水指、建水、杓立て、蓋置が一揃い。しかも、状態は極めて良好。細部の仕上げも見事。思わず「うわぁ」と声が漏れる。
「これも、買っていただけるとありがたいのですが……」
「ありがたいのはこちらのほうでございます」
私は即座に額を提示し、こちらもすんなり成立。いやはや、今日は天気も人も骨董も、全てが味方してくれているらしい。
帰り際、玄関で奥様に一礼しながら、「それにしても、ロボコンまでお持ちとは」と言うと、「あれ、孫が来たときに遊ぶんですよ」とのこと。いやいや、あのロボコンは超合金製の初期型。お孫さんが怪我しないか、それが一番心配だ。
玄関を出た瞬間、蝉がまたミンミン鳴いていた。空は青い。福岡の空は、夏に似合う。
だが、汗で背中に貼りついたシャツが、私に現実を教えてくれる。
――この猛暑の中でも、骨董屋は歩く。そして笑う。
買取品の詳細

◇この「高野昭阿弥作の皆具」はとてもきれいで鮮やかな黄色が特徴の黄交趾です。しかも立体的な宝尽くしの図柄が存在感を引き立たせます。状態も使用感は少なく丁寧に保管されていたと思われます。ありがとうございました。
買取査定額

◆皆具の買取査定額もしくは評価額ですがまず第一に人気作家かどうか、そして図柄。特に入り遣いが艶やかなものの方が最近では人気があります。さらに状態、と付属品の有無などでより高価買取&できます。今回の皆具も黄交趾で黄色が際立っている皆具でしたので高価買取させて頂きました。尚、ご自宅や倉庫に茶道具や皆具などありましたら是非、骨董品買取の福岡玄燈舎にお声掛け下さい。宜しくお願い致します。
■過去の作品買取例

永楽善五郎(十四代妙全)造 交趾釉宝尽くし皆具 400000円
十六代永楽善五郎(即全)造 青交趾桐唐草皆具 200000円
十三代酒井田柿右衛門作 濁手 桜楓文 皆具 150000円
二代吉羽與兵衛 紅銅沈金彫鳳凰宝つくし末皆具 100000円 他多数
高野昭阿弥とは?

高野昭阿弥(たかの しょうあみ)は、昭和から平成にかけて活躍した日本の陶芸家であり、京都を拠点に作陶活動を行いました。茶陶を中心としたその作品は、古典に学びながらも繊細で気品に満ちた佇まいを持ち、茶人や数寄者の間で高く評価されています。以下に、彼の略歴、作風、代表作、ライバルとされる作家について詳しく述べます。
■略歴
高野昭阿弥は1922年(大正11年)、京都に生まれました。本名は高野昭一。陶芸の家系ではありませんが、幼い頃より伝統工芸や美術に強い関心を持ち、やがて京焼の世界に入ります。戦後の混乱期を経て本格的に陶芸を志し、伝統的な京焼の技術と意匠を学びながら、独自の感性で茶陶に向き合うようになります。
昭和30年代から40年代にかけて、各地の茶会や個展で注目され、京都の茶陶作家として名を高めていきました。「昭阿弥」の号は、宗匠筋から賜ったもので、その雅号にふさわしい、気品ある作品を多数生み出しました。
その後も伝統的な茶陶の枠を守りつつ、時には大胆な造形や釉薬の工夫を取り入れ、茶碗、水指、花入、香合など、幅広い茶道具を制作しました。高野は門弟を取ることには慎重で、多くの作品を自らの手で作り上げ、量よりも質を重んじる職人的姿勢を貫いた作家でもあります。
■作風の特徴
高野昭阿弥の作品は、一言で言えば「端正で品格がある」ものです。以下に彼の作風の主な特徴を挙げます。
1. 古典的造形美の継承
古唐津、楽焼、朝鮮唐津、志野、織部、瀬戸黒など、古典的な茶陶に学びながら、それらを単なる模倣に留めず、現代の美意識に合うよう再構成しています。とくに志野風の茶碗や唐津写しの水指は評価が高く、細部に至るまで丁寧な作行きが光ります。
2. 釉薬と土味の調和
釉薬のかけ分けや自然な釉の流れ、土の粒子感や焼成による変化を巧みに活かしています。例えば志野写しの作品では、柿色の肌に鉄絵を施し、釉薬の柔らかなかかり具合が絶妙です。
3. 柔らかな造形
手取りの軽さとバランスの良さが高野作品の魅力です。特に茶碗は口縁のわずかな変化や腰の張り具合などに繊細な気遣いがあり、使う者の手に自然となじみます。
4. 静けさと気品
華美にならず、あくまで「道具としての美」を重視した作品が多く、茶席の空気を壊さない「引き算の美学」が根底にあります。とりわけ香合や花入れには、彼の侘び寂びの感性がよく表れています。
■代表作品
高野昭阿弥の代表作として評価されているものには、以下のような茶道具があります。
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志野写茶碗「白陽」
柔らかな白釉に鉄絵をあしらった品。釉薬の溜まりが見事で、焼きの加減も絶妙。数寄者の間でも名碗として名高い。 -
朝鮮唐津風水指「影映」
高台から釉が流れる様子に、まるで景色が映るような趣があり、茶会で用いられることも多い。 -
織部写香合「青嶺」
織部特有の青釉を活かしつつも、形状は控えめで、やや抽象的な印象を持つ香合。箱書き付きのものは現在でも高値で取引されている。 -
黒楽写茶碗「幽月」
侘びた黒釉の奥にやや金属的な光沢を帯びた肌が見られ、抑制された美の極致ともいえる作品。
これらの作品は、現代の茶人からも評価が高く、箱書きが付いた作品は茶道具専門のオークションや古美術商でも稀少価値があるとされています。
■ライバル・比較される作家
高野昭阿弥は、京都で茶陶を中心に活動していたことから、同時代の茶陶作家としばしば比較されました。
1. 中里重利(唐津焼系)
唐津の重鎮として知られた中里家の重利とは、唐津写しの茶碗などでしばしば並び評されました。中里が野趣を押し出したのに対し、高野はもう少し端正で京風の美しさを保っている点が異なります。
2. 樂惺入(十五代樂吉左衞門)
黒楽・赤楽の作品を通じて、樂家の当代惺入と比較されることもあります。樂家が桃山からの系譜を忠実に守り、重厚で宗教的な美を感じさせるのに対し、高野の黒楽はより軽やかで日常的な感覚に近いと評されます。
3. 三輪休雪(萩焼系)
山口県萩の名門、三輪家の休雪とは、志野写しなどで比較されます。三輪が大胆な造形と前衛性を強調する一方で、高野はあくまで伝統と調和を重視する姿勢で対照的でした。
★そのほかにも永楽善五郎なども有名です。
■黄交趾 とは…
「黄交趾(きこうち)」とは、陶磁器の一種で、「交趾焼(こうちやき)」の技法を用いて作られた黄色い釉薬の焼き物を指します。鮮やかな黄色が特徴で、茶道具や香合、小物などに多く用いられ、日本の茶道文化の中でとても人気のある技法のひとつです。以下に、黄交趾の特徴や歴史、代表作家について詳しく解説します。
■交趾焼(こうちやき)とは?
まず「交趾焼(交趾)」とは、もともとは明代の中国・広東地方やベトナムで作られていた多彩色の陶磁器のことを指します。「交趾(こうち)」とは、現在のベトナム北部・トンキン地方の古称です。
これらは16世紀頃から日本にも伝来し、特に豊臣秀吉の時代以降、南蛮貿易を通じて茶人たちの間で珍重されました。色鮮やかな釉薬を使い、主に香合や蓋置などの茶道具として重宝されました。
日本では江戸時代以降、京焼の陶工たちによって交趾の技法が研究・再現され、「和製交趾」として発展していきます。
■黄交趾とは?
その「交趾焼」の中で、黄色釉を用いたものが「黄交趾」と呼ばれます。今回の買取品もその一つでとても鮮やかな発色です。
●特徴
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鮮やかな黄色の釉薬
黄交趾最大の特徴は、酸化焼成によって生まれる鮮明で光沢のある黄色。独特の温かみと華やかさを備えています。 -
低温釉薬による滑らかな質感
比較的低温(おおよそ1000℃前後)で焼成されることから、釉薬がやわらかく、表面が滑らかでガラスのような質感を持ちます。 -
磁器より陶器寄りの質感
素地は軟質の陶器で、磁器ほど硬質ではありません。手触りがあたたかく、茶道具に最適です。 -
型押し・成形による細工
蓋置や香合などは型物で作られることが多く、文様や意匠がはっきりと現れ、そこに黄釉がかかることで立体感が強調されます。 -
茶道具としての位置づけ
とりわけ香合や蓋置としての使用が多く、黄交趾は「華やかながらも品格のある道具」として千家十職などにも好まれました。
■代表的な作家・工房
●永楽善五郎(えいらく ぜんごろう)歴代
京都の名門陶家「永楽家」は、江戸時代から近代にかけて京焼交趾の第一人者とされ、特に11代・12代・16代などが黄交趾の名品を多く手がけました。
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11代 永楽和全(1795-1854)
黄交趾香合や蓋置の優品を多く残す。千家十職の一人として茶道具制作の頂点にあった。 -
12代 永楽保全(1823-1896)
明治期にかけて交趾焼を更に洗練させた人物。黄交趾香合や青交趾なども高い評価を受けている。 -
16代 永楽善五郎(即全, 1917-1998)
昭和・平成期にかけて活躍し、鮮やかな黄交趾作品を手掛けた。現代の数寄者からも愛好されている。
●三浦竹泉(みうら ちくせん)歴代
京焼の名窯・三浦竹泉も交趾焼を得意とした工房です。特に黄交趾蓋置や香合の名品が多く、現代でもコレクターや茶人の間で人気です。
●音丸耕堂(おとまる こうどう)
主に堆朱・堆黒で知られる漆芸家ですが、黄交趾風の釉薬を意識した陶芸作品も一部あります。伝統美と造形の融合という点で評価されました。
■代表作
以下は黄交趾の代表的な作品ジャンルです:
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黄交趾 香合「宝珠形」(永楽保全作)
丸みのある宝珠の形に鮮やかな黄色釉がかけられた名品。千家流の茶席でも用いられる格式高い香合。 -
黄交趾 蓋置「五徳形」(永楽即全作)
五徳型に成形された蓋置で、黄交趾ならではの光沢と存在感を持つ。薄茶席などに用いられる。 -
黄交趾 観音香合(三浦竹泉作)
蓮華座に乗った観音像の造形を模した香合。細部まで丁寧に作られており、黄釉によって立体感が際立つ。
◎関連、参考サイト
◆ 京都陶磁器会館(京都市・五条烏丸)
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常設+企画展の開催地で、京焼・清水焼の現代作家の作品が紹介されています。
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高野昭阿弥も複数回、グループ展や工芸展に出品しており、京展や中日国際陶芸展の展示履歴があります
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最新情報は会館のWEBサイトや同館入口の展示スケジュールを参照ください。
■その他の買取品目
★骨董品買取の福岡玄燈舎では古美術品の他、アンティークや掛軸、茶道具、書道具、絵画、仏像、勲章、中国陶磁、甲冑など多彩な骨董品を査定買取しております。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にご相談ください。