
福岡市早良区で二六焼の酒器を買取りました!

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サイタ、サイタ、サクラガサイタ――などと、童謡まがいの調子で口ずさんでみたところで、腹の足しにも銭の足しにもならぬのが世の常である。とはいえ、福岡の街は見事なもので、どこを歩いても桜、桜、また桜。人々はというと、その花の下で昼間から堂々と酒をかっ食らい、普段は慎ましやかな顔をしている連中までもが、まるで春の陽気に頭のネジを一本抜かれたかのように笑っている。
まことに結構なことである。こちらはと言えば、同じく春に浮かれているとはいえ、浮かれている場所が違う。花ではなく品物、酒ではなく査定額に酔う商売ゆえ、花見客のようにただ座って盃を傾けていればいいというわけにはいかない。西へ東へ、呼ばれれば南へも北へも、骨董屋は今日も今日とて「これは何か化けるかもしれん」という淡い期待を胸に、まるで野良犬のように嗅ぎ回るのである。
そんな折、一本の電話が鳴った。
「昔、若いころに買った酒器や茶碗がたくさんありましてね」
こういう文句は、骨董屋にとっては甘い蜜のようなものである。なにしろ「若いころに買った」という一言には、時代の匂いと無知の勇気が同居している。下手をすれば安物の山だが、運が良ければ思わぬ拾い物が紛れ込んでいる。まるで闇鍋のようなもので、蓋を開けるまで何が出てくるか分からない。
しかも「四国の出身」と来た。
四国――と聞けば、こちらの頭にまず浮かぶのは、あの蟹である。そう、あのやたらと蟹をくっつけた焼き物で有名なあれだ。器にまで横歩きの執念を感じさせる、あの偏愛的な意匠。骨董屋というものは勝手なもので、聞いただけで「もしや…」と胸の内で皮算用を始めてしまう。
「こりゃひとつ、花見酒の代わりに、いい夢を見せてもらえるかもしれん」
そう独りごちて、足取りも軽く向かった先は福岡市の西の果て、早良区。桜はどこも満開、人はどこも酔っ払い。こちらも気分だけは花見客に負けじと浮かれているが、違うのは懐具合と目的だけである。
案内された家は、拍子抜けするほど普通だった。豪邸でもなければ、いかにも古物好きが住んでいそうな妖しい雰囲気もない。こういう時、人は二つの顔を持つ。ひとつは「これは期待外れかもしれん」という現実的な顔、もうひとつは「いやいや、見かけによらぬものが出るのがこの商売だ」という希望的観測の顔である。
通された部屋に並んでいたのは、まことに正直な品々だった。
茶碗、花瓶、徳利、ぐい呑み、置物――どれもこれも「どこかで見たことがある」顔をしている。悪く言えば凡庸、よく言えば安心感。萩焼もあれば備前焼もあるし、中国の景徳鎮らしきものや古伊万里も顔を出している。だが、どれもこれも「おっ」と声が出るほどではない。骨董屋の「おっ」は、なかなかに厳しいのだ。
依頼主はというと、こちらの顔色をうかがうでもなく、のんびりと昔話をしている。
「若いころはねぇ、酒が好きでして。旅先で見つけるとつい買ってしまって…」
その気持ちはよく分かる。旅と酒と器、この三つが揃えば財布の紐は緩む。だが、その結果がこの部屋であると思うと、人生とはなかなかに皮肉なものだ。買うときは宝、売るときはまとめていくら、である。
一つ一つ手に取り、眺め、軽く叩き、底を確かめる。骨董屋の動きというのは、外から見れば実に地味だ。だがその実、頭の中では値段と需要と市場の顔色が高速で行き来している。花見客が盃を重ねる間に、こちらは査定額を重ねているのである。
そして、最後の方でそれは出てきた。

蟹ではない。残念ながら横歩きの気配はない。だが、手に取った瞬間に「ああ、これだ」と思わせる何かがあった。山水と松の彫刻が施された徳利――二六焼である。
派手ではない。むしろ地味だ。だが、妙に味がある。こういう品は、分かる者には分かるが、分からぬ者にはただの古い徳利にしか見えない。つまり、骨董屋にとっては「有難い」存在である。

「これは、いいですね」
思わず口から出た言葉に、依頼主は少しだけ嬉しそうな顔をした。人は誰しも、自分の持ち物が褒められると悪い気はしない。それがたとえ、買ったときの値段より安く買い取られる運命にあろうとも、である。
結局のところ、この徳利が本日の主役となった。他の品々は、悪くはないが決め手に欠ける。まとめて引き取るにはちょうどいいが、一つ一つにドラマを求めるほどのものではない。
「全部でこのくらいになります」
提示した金額に、依頼主は少し考え、やがて頷いた。桜の季節は財布も緩むのか、それとも片付けの区切りをつけたかったのか。その辺りは分からないが、取引は無事に成立した。
外に出ると、相変わらず桜は満開だった。どこからか笑い声が聞こえ、風に乗って酒の匂いが漂ってくる。世の中は平和である。少なくとも、この瞬間だけは。
こちらはと言えば、車の中で一人、今日の収穫を思い返す。
「まあ、上出来だな」
蟹は出なかった。だが、山水は出た。世の中、思い通りにはいかないが、捨てたものでもない。そんなことを考えながら、次の現場へとハンドルを切る。
骨董屋の春は、桜のように華やかではない。だが、どこか似ている。咲くときは一瞬、散るのもまた一瞬。いい品に出会えるかどうかは、その時の巡り合わせ次第である。
だから今日もまた、どこかで誰かの「若いころに買ったもの」を探しに行く。
花見客が酔い潰れるころ、こちらは査定に酔い、そして現実に醒める。
――それでもまあ、悪くない商売である。ではまた。
この二六焼については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。
買取品の詳細

◇この人気の蟹の彫刻ではありませんが状態もとてもよく、古い徳利によくみられるひび割れや口元の割れなどは見受けられません。素朴ですがとても細かい彫刻の技に見とれてしまいます。
買取査定額

◇二六焼きの買取査定額もしくは評価額ですがまず彫刻の図柄や大きさ、次に状態や時代、ほかには箱や栞があればより高価買取&できます。ご自宅に二六焼や四国の陶器が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

佐々木二六作 天神蟹彫刻煎茶器7点揃 500,000円
初代松伯庵佐々木二六作 二六焼布袋置物 400,000円
佐々木二六作 桃賢人彫刻花入 350,000円
山水彫茶器セット 250,000円 他多数
二六焼とは?

二六焼の起こりは、江戸時代後期、現在の愛媛県松山市周辺に求められる。
当初は、日用品としての器というよりも、やや装飾性の強い細工物が中心だった。つまり、使うための器ではなく「見せるための焼き物」である。この性格が、後の二六焼の方向性を決定づけることになる。
そして、この焼き物を語るうえで避けて通れないのが「天神蟹」である。
なぜ蟹なのか――これもまた明確な理由は定かではないが、瀬戸内海に面した土地柄、海産物への親しみが強かったこと、また細工物として立体的な造形に適していたことなどが背景にあると考えられている。ともあれ、二六焼といえば蟹、蟹といえば二六焼、というほどにこの意匠は定着した。
しかもただの蟹ではない。器の縁に張り付くように、あるいは今にも動き出しそうな姿で、やたらと写実的に作り込まれている。脚の一本一本、甲羅の凹凸、鋏の力強さ――その執念たるや、もはや「なぜそこまでやるのか」と問い詰めたくなるほどである。
この強烈な個性は、明治から大正にかけての時代において観光土産や美術工芸品として人気を博し、二六焼は一種のブランドとして確立されていく。特に松山周辺では複数の窯元が生まれ、それぞれが競うように技巧を凝らした作品を生み出した。
作品の特徴は…
まず第一に挙げられるのは、やはり立体的な装飾である。蟹に限らず、海老や魚、あるいは松や山水といった自然のモチーフが器に貼り付くように表現される。これが平面的な絵付けではなく、あくまで彫刻的に表現されるところがミソで、光の当たり方によって陰影が生まれ、見る角度によって表情が変わる。
次に、土味と釉薬のバランスである。二六焼は決して派手な色彩を売りにする焼き物ではない。むしろ、やや渋い土の色合いに、控えめな釉薬をかけることで、細工の立体感を引き立てている。このため、一見地味に見えても、手に取るとじわじわと味わいが出てくる。
また、用途としては徳利やぐい呑み、香炉、置物などが多く、実用と鑑賞の中間に位置するような品が中心である。特に酒器は人気が高く、宴席で話の種になること請け合いである。「この蟹、今にも動き出しそうだな」などと言いながら酒を飲む――なかなかに風流である。今回の買取品も蟹ではないがこの山水の彫刻ですっぽりと手になじむ徳利であった。
時代による変遷を見ると、江戸末期から明治初期のものは比較的素朴で、細工もどこかおおらかである。それが明治後期から大正期にかけては、技巧が一気に洗練され、より写実的で精緻な作品が増えていく。いわば「見せる工芸」としての完成度が高まった時代である。
昭和に入ると、需要の変化とともに量産的な傾向も見られるようになるが、それでも優れた職人による作品はしっかりとした存在感を保っている。現代においても細々とではあるが制作は続いており、伝統を守りつつ新しい表現を模索する動きもある。

◇二六焼を語るうえで避けて通れぬ名――それが「佐々木二六(ささき にろく)」である。とはいえ、この人物、いわゆる近代陶芸の巨匠のように立派な伝記や整然とした資料が山ほど残っているわけではない。むしろ断片的な伝承や作品そのものから、その輪郭を浮かび上がらせていくほかない、いかにも地方工芸らしい「掴みどころのなさ」を持った人物である。
まず略歴から述べると、佐々木二六は江戸時代後期、伊予国――現在の愛媛県松山周辺に生まれたとされる人物で、二六焼の創始者、あるいはその礎を築いた人物として知られている。「二六」という号を名乗ったことが、そのまま焼き物の名称になったと伝わるが、このあたりもまた文献的に完全に確定しているわけではない。ただし、少なくとも彼の存在が二六焼というジャンルの核になっていることは疑いようがない。
出自についても諸説ある。武士の家に連なる者であったとも、商家の出であったとも言われるが、いずれにせよ単なる職人というよりは、文化的素養を備えた人物であった可能性が高い。というのも、彼の作品には単なる技巧を超えた「遊び」と「美意識」が見て取れるからである。
当時の伊予は、政治・経済の中心地というよりは、どちらかといえば穏やかな地方都市であった。だからこそ、中央の流行に縛られず、自由な発想で物づくりができたとも言える。佐々木二六は、そうした環境の中で、自らの美意識を形にしていったのだろう。
彼の作品の最大の特徴は、何と言っても立体的な細工である。
とりわけ有名なのが天神蟹の意匠だ。器の縁や胴に、まるで生きているかのような蟹が貼り付いている。これがただの飾りではなく、驚くほど精緻に作り込まれている。甲羅の微妙な丸み、脚の節の動き、鋏の力強さ――そのどれもが観察に裏打ちされた造形であり、同時にどこか誇張されたユーモアを含んでいる。
ここに、佐々木二六という人物の本質がある。
つまり彼は、写実と遊びのあいだを行き来する作家だったのだ。ただ本物そっくりに作るのではない。かといって、完全なデフォルメでもない。その絶妙な加減が、見る者に強烈な印象を残す。
なぜ蟹なのか――これについては明確な記録はないが、瀬戸内海に面した土地柄、身近な存在であったことは間違いない。ただし、それだけであれば他の焼き物でも蟹は扱われてよいはずだが、ここまで徹底している例はほとんどない。つまり彼は、単に身近な題材を選んだのではなく、「これでいこう」と決めて突き詰めたのである。
この執念が、後の二六焼の方向性を決定づけた。
作品の種類としては、徳利やぐい呑み、香炉、水指、置物などがあるが、いずれも共通しているのは「実用と鑑賞の境界にある」という点である。使えないわけではないが、使うには少々もったいない。むしろ手に取って眺め、話の種にするための器である。
また、彼の作品には蟹だけでなく、海老や魚、さらには松や山水といった自然モチーフも見られる。これらもまた立体的に表現され、器そのものが一つの小さな風景のように構成されている。ここには、中国陶磁の影響や、日本の伝統的な意匠感覚が融合していると考えられる。
技術的な面に目を向けると、まず土の扱いが巧みである。細工物というのは、乾燥や焼成の過程で歪みや破損が生じやすいが、彼の作品はそれを感じさせない安定感がある。つまり、単に造形のセンスがあるだけでなく、陶工としての基礎技術も相当に高かったと推測される。
釉薬については、比較的控えめで、土味を活かした仕上がりが多い。これによって、細工の陰影が際立ち、立体感がより強調される。もしこれが派手な色彩で覆われていたなら、ここまでの魅力は生まれなかっただろう。
さて、彼の後継についてである。
佐々木二六の名は、その後も窯元や職人たちによって受け継がれ、いわば「号」としての意味合いを持つようになった可能性がある。つまり、初代二六の精神や作風を引き継ぐ者たちが、同じ名のもとに制作を続けたのである。このため、「二六焼」と一口に言っても、その中には時代や作り手による差異が存在する。
初期の作品はどこか素朴で、荒削りな魅力がある。今回の作品も初代の雰囲気がある。一方、時代が下るにつれて技巧は洗練され、より写実的で完成度の高いものが増えていく。しかし、その過程で失われていく「自由さ」や「遊び」もまたあり、どの時代の作品を好むかは見る者の趣味に委ねられる。
骨董的な観点から言えば、やはり初期に近いもの、あるいは出来の良い細工物は評価が高い。特に天神蟹の表現に生命感があり、全体のバランスが優れているものは人気がある。ただし、署名や箱書きが明確でない場合も多く、最終的には「物そのものの良さ」で判断されることになる。
その他ライバルの窯元…
■ ① 水月焼(すいげつやき)
(愛媛県松山市)
二六焼と並び称される代表格で、天神蟹細工の完成度では双璧ともいえる存在です。
- 創始:好川恒方(明治期)
- 特徴:
- 実物の蟹を飼育して観察し、極めて写実的に造形
- 「生きた蟹」と称されるほどのリアリズム
- 独自の釉薬で艶と湿り気のある質感
- モチーフ:
- 天神蟹、神像、山水、動植物
特に面白いのは、「観察してから作る」という姿勢です。
二六焼が“感覚的な写実”だとすれば、水月焼は“研究的写実”。同じ蟹でも方向性が違う。
なお現在は閉窯しており、市場ではかなり評価が上がっています。
■ ② 楽山焼(らくざんやき)
(愛媛県松山市)
実は天神蟹の元祖とされるのがこの窯です。
- 創始:江戸時代(松山藩御用窯)
- 特徴:
- 茶陶としての格式ある作風
- 赤土・鉄釉など落ち着いた色調
- 蟹は写実的だが「品よく抑制」されている
- モチーフ:
- 天神蟹(ほぼ代名詞)
- 茶道具中心
藩主の詠んだ句に感銘を受けて蟹を取り入れたという、なんとも風流な出自。
つまり――
👉 蟹を最初にやり始めたのが楽山焼
👉 それを突き詰めていったのが二六焼・水月焼
という関係です。
現在は後継者不在で閉窯、これまた骨董市場では人気が高い。
■参考サイト

松山兎月庵 文化歴史館
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