
福岡県筑紫野市で伊賀焼の小壷を買取りました!

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◇骨董屋、秋の大野城で欲と漆と伊賀の小壷に出会う
福岡も、もうすぐ11月である。
暦の上では秋も深まり、そろそろ冬支度の話でも出てよさそうなものだが、どういうわけか台風が接近中だという。近頃の天候は人間以上に気まぐれである。夏はいつまでも居座るし、秋はろくに挨拶もせず通り過ぎる。冬になったらなったで、今度は電気代が高いと騒ぎ出すのだから、まったく日本人というものは一年中忙しい。
そんな世間の喧騒をよそに、我々骨董屋はいたって呑気な商売である。
朝は茶をすすり、昼は空を眺め、夕方になれば晩酌の算段。古い物を扱っているうちに、どうやら自分自身まで古びてしまったらしい。世間がデジタルだ、AIだ、効率化だと騒いでいる横で、こちらは百年前の茶碗をひっくり返して、ああでもない、こうでもないと唸っている。
世の中が進歩すればするほど、我々の商売は後ろ向きになるという、何とも奇妙な稼業なのである。
もっとも、そんな悠長な骨董屋にも、突然スイッチが入る瞬間がある。
電話である。
それも骨董品買取の依頼となれば話は別だ。
先ほどまで縁側の猫よろしく丸くなっていた骨董屋のオヤジが、受話器を取った途端、獲物を見つけた猟犬のような顔になる。
近頃は骨董品買取業者も雨後の筍のごとく増殖し、インターネットを開けば、どこもかしこも「高価買取」「地域一番」「どこよりも高く買います」の大合唱。
世の中に一番がこれほど沢山あってよいものだろうか。
しかも、どの店も親切丁寧、秘密厳守、出張無料とくる。もはや骨董屋なのか慈善団体なのか判別がつかない。
そんな立派な同業者諸君に囲まれては、我々のような昔気質の骨董屋も、のんびり茶をすすってばかりはいられないのである。
電話一本で腰が軽くなる。
もっとも、普段の腰は重い。特に朝方は油の切れた古時計のようにギシギシと音がする。骨董品なら修理も利くが、人間の骨董品となると部品の調達が難しい。
さて、本日の骨董品買取は福岡県大野城市である。
大野城市といえば福岡市のお隣。当店のお隣の町でもある。
住宅街も多く、静かで暮らしやすい町である。
今回は相方と二人で出陣することにした。
道中、空を見上げれば台風の接近を思わせる何とも落ち着かぬ雲行き。しかし、我々の関心は空模様よりも、これから拝見する骨董品の中身にある。
人間とは現金なもので、台風の進路は気にならなくても、骨董品の相場の行方は大いに気になるのである。
ほどなくして閑静な住宅街の一軒のお宅に到着。
ご挨拶を済ませ、家の中へ案内していただく。
すると、どうだろう。
あるわ、あるわ。
茶碗に漆器、掛軸に花瓶。
輪島塗に山中塗と思われる品々まで、所狭しと並んでいるではないか。
先ほどまでの老骨董屋の眠たげな目が、にわかに輝き始める。
これだから骨董屋は信用ならない。
美人を見てもそれほど驚かぬ年齢になったというのに、古い桐箱を見ただけで胸が高鳴るのである。
相方と手分けして、早速査定に取りかかる。
まずは茶碗。
桐箱を一つ開けると、また桐箱。その隣にも桐箱。まるで箱の中から箱が生まれてくるような光景である。
中身は京焼や萩焼などの抹茶茶碗が中心で、いずれも大切に保管されていた様子。
茶碗というものは不思議な品物である。
一般の人から見れば、スーパーで売っている飯碗も、名工の手になる茶碗も、同じように飯が盛れそうな器に見えるかもしれない。
ところが茶の湯の世界ではそうはいかぬ。
釉薬の流れがどうだ、土味がどうだ、高台の削りがどうだと、茶碗一つを前にして何時間でも語り合う。
しまいには歪んでいるところがよい、欠けそうなほど薄いところがよい、などと言い始める。
世間では不良品と呼ばれそうなものが、茶の湯の世界では風情となるのだから、文化というものは実に奥が深い。
私などは自分の顔の歪みや腹のたるみも、そろそろ侘び寂びとして評価してもらいたいところである。
もっとも、相方に言わせれば単なる経年劣化だそうだ。
さて、冗談はさておき、茶碗の中には高名な作家の作品も幾つか混じっている。
これはありがたい。
骨董屋という商売、百個の品物を見て百個とも値打ちがあれば、これほど楽なことはない。しかし現実には百個見て、ようやく数個に商売の光明が差すことも珍しくない。
だからこそ、一つでも良い作品に出会えば、思わず心の中で小さく万歳するのである。
続いて漆器の査定に移る。
輪島塗に山中塗。
蒔絵の施された品々もあり、なかなか見応えがある。
漆器というものは、実に厄介である。
見た目が豪華だから高価とは限らず、金色に輝いているからといって、こちらの財布まで輝くとは限らない。
大切なのは蒔絵の出来栄え、塗りの質、そして保存状態である。
どれほど立派な品物でも、漆に剥がれや傷みがあれば評価は難しくなる。
人間なら多少の皺や染みは人生の勲章と言ってもらえるが、漆器の世界はそう甘くない。
百年経っても美しくあれ、というのだから、まったく残酷な世界である。
私など五十年も前に美しさを諦めている。
相方は漆器を一つ一つ丁寧に確認し、私はその横で、なるほど、なるほどと頷く。
二人で仕事をすると効率がよい。
ただし、査定の意見が一致しない場合には、骨董品よりも我々二人の関係にひびが入る恐れがあるので、そのあたりは慎重に進める必要がある。
夫婦円満も骨董品査定も、結局は状態が命なのである。
さて、次なる相手は掛軸である。
これがまた、骨董屋にとっては夢と失望の詰まった厄介な骨董だ。
立派な箱に収められた掛軸を取り出し、ゆっくりと広げる。
期待に胸を膨らませたところで、昭和の大量生産品だったり、観光土産の書画だったりする。
そんな時は顔に出してはいけない。
こちらも商売人である。
「なるほど、なるほど……」
と、さも深い歴史的考察をしているような表情を浮かべるが、頭の中では早くも次の箱に希望を託している。
骨董屋の「なるほど」は便利な言葉である。
値打ちがあっても、なくても使える。
もっとも、古い中国物などが出てくれば話は別だ。
時代のある中国書画などが現れようものなら、心の中では万歳三唱、帰りの晩酌には少し高い酒を買おうかという算段まで始まる。
しかし今回は、そう簡単に大陸のお宝が転がり出てくるわけでもない。
世の中、甘くはないのである。
それでも丁寧に拝見していくと、李朝の古い掛軸が顔を出した。
おお、これは面白い。
朝鮮王朝時代の品には、日本の書画とはまた違った素朴さや独特の趣がある。
時代や筆致、表装の状態などを確認しながら、慎重に査定を進める。
どうやら今回は、茶碗の高名な作家物と、この李朝の掛軸あたりが買取金額を引っ張ってくれそうである。
ありがたや、ありがたや。
神仏を信じるかと問われれば返答に困る私だが、こういう時だけは骨董の神様に手を合わせたくなる。
まったく信仰心まで現金な男である。
さて、茶碗、漆器、掛軸と一通り拝見したところで、部屋の片隅に置かれた焼物にも目を向ける。
伊賀の花瓶や皿、それに備前の壷などが並んでいる。

土物というのはよい。
華美な装飾がなくとも、土の肌合いや窯の炎が生み出した景色だけで、人の心を惹きつける。
とりわけ伊賀焼などは、豪快な焦げや自然釉、土の荒々しい表情に独特の魅力がある。
もっとも、これも骨董に興味のない人からすれば、庭先に転がっている古い壷と大差ないかもしれない。
人間というものは、自分の理解できないものには実に冷淡である。
現代美術の世界では壁に貼り付けたバナナが話題になるというのに、数百年の風雪を感じさせる焼物には「汚れてますね」と言う人もいる。
芸術とは、まことに難解なものである。
そんなことを考えながら品物を拝見していると、一つの小さな壷に目が止まった。
伊賀の蹲(うずくまる)である。
大きくもなければ、派手でもない。
むしろ、部屋の隅でひっそりと身を縮めているような小壷である。
しかし、これが何ともよい。
土の表情といい、全体の姿といい、妙に人を惹きつける味わいがある。
蹲とはよく名付けたものだ。
背中を丸め、じっと地面を見つめるその姿は、仕事のない日に店先で座り込んでいる私にどこか似ている。
違うのは、こちらの小壷には風情があるが、私が蹲っていても誰も褒めてはくれないということである。
それどころか相方からは「邪魔だから少し動いて」と言われる始末。
人間も焼物も、時代が付けば値打ちが出るとは限らないらしい。
それにしても、この小壷は気になる。
立派な茶碗や華やかな蒔絵の漆器に囲まれながら、ひっそりと存在感を放っている。
人間社会でも、声の大きな者や肩書きの立派な者ばかりが目立つが、本当に面白い人物というのは、案外、酒場の隅で黙って一杯やっているような人だったりする。
骨董品も同じである。
大きいから偉いわけでも、高そうだから美しいわけでもない。
小さな器一つに、作り手の心や土と炎の偶然が凝縮されていることもあるのだ。
こういう品物に出会えるから、骨董屋という稼業はなかなか辞められない。
さて、今回の査定もようやく終盤。
相方と相談しながら、それぞれの品物の評価をまとめていく。
高名な作家の抹茶茶碗に、李朝の掛軸。そして漆器やその他の焼物。
何とか高価査定と呼べるところまで金額も届きそうで、まずは胸をなで下ろす。
骨董屋の一日は、期待と落胆の繰り返しである。
朝は大判小判の夢を見て出掛け、夕方には重い段ボール箱だけを抱えて帰る日もある。
しかし、たまにはこうして心に残る品物と出会える。
それだけで、老骨に鞭打って出張した甲斐があったというものだ。
帰り道、空を見上げれば相変わらず台風の気配。
世間では物価高だ、円安だ、景気が悪いだと騒がしい。
我々骨董屋も決して安穏としていられる商売ではないが、百年前の茶碗を眺め、古い掛軸に一喜一憂し、小さな壷に心を奪われる。
そんな時代遅れの毎日も、考えてみれば悪くない。
もっとも、家に帰れば請求書も届くし、晩酌の酒代も必要である。
風流だけでは飯は食えぬ。
侘び寂びを語りながら、頭の中ではしっかり利益計算をしているのだから、骨董屋という生き物はつくづく俗物なのである。
さてさて、最後に見つけた、あの味わい深い伊賀の蹲。
小さいながらも、なかなか侮れない存在である。
この小壷については、また後ほどゆっくりとご紹介したいと思う。
台風が来ようが、世間が騒ごうが、骨董屋の欲望に休業日はない。
本日もお宝を求めて右往左往。
そして今夜も、査定の反省会と称して一杯やるのである。
反省することなど、何もないのだが……。
ではまた……。
買取品の詳細

◇この「伊賀焼の蹲」は小ぶりの壺でとても良い形と味わいのある陶器です。背面に花掛用の穴もありますがゴツゴツとした男前の焼物ですので酒器としても重宝されることでしょう。眺めるだけでもうっとりとする骨董品ですね。時代は昭和のものですが時代を超えて末永く眺められる器です。
買取査定額

◇伊賀焼の買取査定額ですがまず第一に作者の知名度や時代、作風や形ほかには刻印や箱、栞あればより高価買取できます。ご自宅に伊賀焼や陶器が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

伊賀の陶芸家・谷本景(たにもと けい)とは…
略歴・代表作品・作風とその魅力について
1.谷本景とは
谷本景(1948年生まれ)は、三重県伊賀市を拠点に活動する陶芸家であり、伝統的な伊賀焼の技法と現代美術の感覚を融合させた独創的な作品で知られています。
伊賀焼の名門・三田窯に生まれ、父である陶芸家・谷本光生の後を継ぎながらも、単なる古伊賀の再現にとどまらず、現代に生きる陶芸として新しい伊賀焼の世界を追究してきました。
その作風を理解するうえで重要なのが、若い頃にフランスへ渡り、パリで銅版画を学んだという異色の経歴です。
伊賀の土が持つ荒々しい表情、薪窯によって生まれる自然釉、炎が残す偶然の景色。これらを陶芸の伝統技術としてだけでなく、抽象絵画や立体造形のように捉えるところに、谷本景ならではの魅力があります。
茶碗や花入、水指といった茶陶から、古代の出土品を思わせるオブジェ、陶板、抽象絵画まで、その制作領域は非常に幅広いものです。
2.略歴と陶芸家としての歩み
谷本景は1948年、三重県伊賀市に陶芸家・谷本光生の長男として生まれました。
父の光生は、桃山時代の古伊賀を研究し、その復興に取り組んだ陶芸家です。景は幼少期から窯場や陶器に囲まれて育ち、自然と焼き物に親しむ環境にありました。
しかし、若き日の景が強く関心を抱いたのは、陶芸だけではありませんでした。
絵画や版画など、平面的な美術表現にも大きな魅力を感じていたのです。
主な経歴を年代順に紹介します。
| 年代 | 主な経歴 |
|---|---|
| 1948年 | 三重県伊賀市に生まれる |
| 1970年 | 美濃にて日根野作三、加藤仁に師事 |
| 1972年 | 伊賀三田窯で作陶 |
| 1973年 | 渡仏。パリのアトリエ17で銅版画を学ぶ |
| 1976年 | フランス・パリで陶芸展 |
| 1977年 | ギメ東洋美術館で陶芸の実演。帰国後、三田窯を継承 |
| 1980年代 | 全国各地で個展、親子展を開催 |
| 2003年 | 東京・銀座の和光で個展 |
| 2011・2013年 | ドイツ・フランクフルトで個展 |
| 2014年 | 京都で「古代から 谷本景」展 |
| 2015年 | 東京・LIXILギャラリーで個展 |
| 2019年 | 伊勢現代美術館などで作品発表 |
| 2022年 | 青山讃頌舎で約50年の創作活動を振り返る展覧会 |
パリ留学がもたらした転機
谷本景の作家人生を大きく変えたのは、1973年の渡仏でした。
当時パリで活動していた具体美術協会の画家・松谷武判を頼り、その紹介によって、著名な版画家スタンリー・ウィリアム・ヘイターの版画工房「アトリエ17」で銅版画を学びます。
ここで景は、西洋の抽象美術や自由な造形表現に触れました。
興味深いのは、パリ滞在中に現地の女性から陶芸を教えてほしいと頼まれたことです。
この経験が、かえって故郷の伊賀焼を見つめ直すきっかけになったといいます。
西洋の現代美術を学ぶために渡ったフランスで、日本の古い焼き物が持つ造形的な魅力を再発見したわけです。
1977年に帰国すると三田窯を継承。父が追究した桃山伊賀の精神を受け継ぎながら、自身の感性による新しい伊賀焼の制作を本格化させました。
3.谷本景の作品に見られる五つの特徴
① 伊賀の荒土を生かした力強い造形
谷本景の作品を特徴づけるものの一つが、土そのものの存在感です。
一般的に、陶器を作る際には土を精製して扱いやすくすることがありますが、景は粗い伊賀の原土を積極的に使用します。
砂粒や小石を含んだ荒々しい土は、成形の過程で思いがけない歪みや亀裂を生み出します。
景は、それらを単なる欠点として排除するのではなく、作品の表情として取り入れています。
整然とした美しさよりも、自然が生み出す不均衡や生命感を重視する姿勢がうかがえます。
② 火色・焦げ・ビードロ釉の美しさ
伊賀焼の大きな魅力は、薪窯によって生み出される独特の窯変です。
谷本景の作品にも、古伊賀を象徴する三つの景色が見られます。
-
火色(ひいろ):炎の作用によって土肌に現れる赤褐色や橙色。
-
焦げ(こげ):灰や熾火などの作用によって生じる黒褐色の焼成表情。
-
ビードロ釉:薪の灰が高温で溶け、ガラス状となって器肌を覆う自然釉。
景は、これらを伝統的な伊賀焼の装飾として扱うだけではありません。
赤、黒、緑、褐色などが複雑に重なり合う焼成の景色を、抽象絵画のような表現へと発展させています。
③ 左右非対称と不完全の美
谷本景の作品には、意図的な歪みや大胆な変形がしばしば見られます。
一見すると不安定に思える形にも、見る角度によって異なる景色が生まれます。
これは桃山時代の古伊賀にも通じる造形精神です。
ただし、景が目指しているのは古伊賀の形を忠実に模倣することではありません。
古い陶工たちが持っていた自由な創造力を、現代の感覚によって表現することにあります。
④ 銅版画から生まれた絵画的表現
パリで学んだ銅版画の経験は、帰国後の作陶にも強く反映されています。
作品の表面に見られる線、面、色彩の重なり、余白などには、版画や抽象絵画に通じる構成感覚があります。
特に後年の陶板作品では、器としての機能を離れ、土そのものを画面として扱う試みが顕著です。
⑤ 偶然性を積極的に取り入れる
土が乾燥するときに生まれる亀裂、炎の流れによる窯変、焼成による変形。
これらは陶芸家が完全に制御できるものではありません。
景は、こうした偶然の出来事を創作の重要な要素と考えています。
2024年の個展紹介でも、あらかじめ設計した形を正確に再現するより、制作の途中で自分の想像を超える形が現れることへの関心を語っています。
この考え方こそ、伝統陶芸と現代美術を結びつける谷本景の制作姿勢といえるでしょう。
4.代表作品と主要シリーズ
① 伊賀茶碗
谷本景の茶碗は、手捻りによる自由な造形を特徴としています。
口縁の揺らぎや厚みの変化、荒々しい土肌など、均整の取れた器とは異なる魅力があります。
古伊賀の精神を受け継ぎながら、現代的な感覚を取り入れた作品です。
② 伊賀花入・水指
花入や水指は、谷本景の造形力を鑑賞するうえで重要な作品群です。
大胆な胴の変形、自然釉の流れ、力強い土肌が特徴で、花を生けずに単独で鑑賞しても十分な存在感を持っています。
特に花入では、土と炎が作り出す偶然の景色と、作者の意図的な造形が一体となっています。
③ 「古代から」シリーズ
谷本景の芸術性を語るうえで、特に重要なのが2013年頃から制作されている「古代から」シリーズです。
弥生時代の銅鐸を着想源とし、長い年月を経て地中から掘り出された遺物のような姿を表現しています。
表面には亀裂や欠損、腐食を思わせる凹凸があり、数千年という時間の経過を感じさせます。
このシリーズは2015年に東京のLIXILギャラリーで紹介され、2019年には続編となる「谷本景展 古代からⅡ」が開催されました。
従来の茶陶からさらに踏み込み、伊賀の土を用いた純粋な立体芸術として高く評価された作品群です。
④ 陶板シリーズ
「古代から」シリーズを発展させた陶板作品も、代表的な仕事の一つです。
矩形の陶板を支持体として、粘土の亀裂、縞模様、円形のモチーフなどを構成しています。
器としての用途から離れ、土によって描く抽象絵画ともいえる作品です。
父・光生が開拓した抽象陶画の精神を、息子である景が独自の方法で発展させたものとしても興味深いでしょう。
5.父・谷本光生との違い
谷本景の作品を理解するには、父・谷本光生との比較も欠かせません。
光生は古伊賀の研究と復興に取り組み、桃山時代の茶陶を重要な手本としました。
一方、景は父から受け継いだ技術を土台としながらも、桃山陶の再現そのものを最終目標とはしませんでした。
| 比較 | 谷本光生 | 谷本景 |
|---|---|---|
| 主な方向性 | 古伊賀の研究と復興 | 現代の伊賀の創造 |
| 土の扱い | 精製した土も使用 | 粗い伊賀の原土を重視 |
| 造形 | 桃山茶陶への探究 | 自由な変形・抽象造形 |
| 表現領域 | 茶陶・抽象陶画 | 茶陶・陶板・版画・オブジェ |
父が古伊賀の美を深く掘り下げたのに対し、景はその精神を現代へ解き放った陶芸家といえるでしょう。
7.最後に…桃山の精神を現代へ伝える陶芸家
谷本景の魅力は、伊賀焼の伝統を守りながら、その伝統に縛られなかったことにあると思います。
古伊賀の名品には、歪み、亀裂、焦げ、自然釉など、一般的には欠点とされる要素を美へと昇華させた独特の造形精神があります。
今回の買取品もその精神がうかがえる一品です。
景は、それらを単なる古陶磁の特徴としてではなく、現代美術にも通じる普遍的な美意識として捉え直しました。
茶碗や花入には桃山陶の力強さが宿り、「古代から」シリーズには縄文・弥生の時代にまで遡るような原始的な生命感が漂います。
また、銅版画や抽象絵画を学んだ経験が、作品に独特の色彩感覚と構成力を与えています。
古伊賀を模倣するのではなく、桃山の陶工たちが持っていた自由な創造精神を受け継ぐこと。
それこそが、谷本景の作陶に一貫して流れる思想ではないでしょうか。
伝統工芸と現代美術の境界を越え、伊賀の土と炎によって独自の世界を築いてきた、現代伊賀焼を代表する陶芸家の一人といえるでしょう。



■参考サイト
LIXILギャラリー(展覧会アーカイブ)
青山讃頌舎(三重県伊賀市)
ギャラリー桃青
■その他の買取品目
★骨董品買取の福岡玄燈舎では古美術品の他、アンティークや掛軸、茶道具、書道具、絵画、仏像、勲章、中国陶磁、甲冑など多彩な骨董品を査定買取しております。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にご相談ください。












































