
福岡県太宰府市で仏像を買取りました!

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◇台風も骨董屋も順番待ち。太宰府で出会った観音様のありがたいお話
秋台風がようやく福岡を通り過ぎた。
やれやれ、これでしばらくは平穏な日々が送れると思ったのも束の間、テレビでは早くも次の台風が発生したと騒いでいる。
近頃の台風というものは、どうやら巷の人気食堂のランチと同じらしい。一組帰れば次の一組。順番待ちの整理券でも配っているのか、次から次へと日本列島に押しかけてくる。
こちらは頼んでもいないのに、向こうから勝手にやって来る。しかも大盛りの雨風付きである。
せめて食後のコーヒーぐらいサービスしてもらいたいものだ。
そんな気まぐれな秋空の下、我々骨董屋も日々の暮らしに追われている。
世間では物価高だ、円安だ、政治だ、選挙だと何かにつけて騒がしい。庶民は財布の紐を締め、福岡の政治家は口を締め、骨董屋は財布の中身を見てため息をつく。
もっとも、私ら骨董屋は世間の景気とは少々違う時間軸で生きている。
昨日まで誰にも見向きもされなかった古い壺が、今日になればお宝と呼ばれることもある。反対に、先代が家宝として大切にしていた掛軸が、実は観光地のお土産だったりする。
世の中、何が本物で何が偽物か。
骨董品の世界も政治の世界も、なかなか見分けが難しいのである。
さて、本日の骨董品買取は地元、福岡県太宰府市である。
太宰府といえば学問の神様、菅原道真公で有名な土地。全国から合格祈願の参拝客が押し寄せるが、私の場合は学問よりも商売繁盛、できればお宝発見をお願いしたい。
道真公も千年以上たって、まさか骨董屋の金儲けまで頼まれるとは思ってもいなかっただろう。
ありがたいことに、この太宰府方面からは週に二回ほど骨董品査定のご依頼をいただく。
近場というのは実にありがたい。
遠方の出張買取ともなると、ガソリン代に高速代、そして老体の消耗まで計算に入れなければならない。最近では査定する品物よりも、査定する私自身のほうが先に耐用年数を迎えそうな気配すらある。
その点、太宰府なら気分も軽い。
鼻歌交じりで車を走らせ、ほどなくお客様宅へ到着した。
今回のご依頼は、伊万里焼の贈答品や花瓶、掛軸など、およそ二十点ほどとのこと。
昭和の贈答品。
この言葉を聞くと、我々骨董屋は少々複雑な気持ちになる。
昭和という時代は、何かにつけて物を贈るのが礼儀だった。
結婚祝い、出産祝い、新築祝い、快気祝い、退職祝い。めでたいことがあれば皿を贈り、困ったことがあればタオルを贈り、とりあえず何かあれば箱入りの品物が右から左へと移動した。
もらった側も使えばよいものを、もったいないからと押し入れへ。
そして四十年後、我々骨董屋が呼ばれるのである。
日本の贈答文化とは、実に息の長いリサイクル事業なのだ。
早速、お客様に案内されて品物を拝見する。
まず目に飛び込んできたのは、ダンボール箱が四箱ほど。
聞けば中身はすべて未使用の贈答品で、その数およそ五十個。
当初の二十点というお話から、早くも数が倍以上に膨れ上がっている。
骨董品買取ではよくあることだ。
お客様の「少しあります」は、時として軽トラック一台分を意味する。反対に「ものすごいお宝があります」と言われて駆けつければ、昭和の土産物が三個ほど鎮座していることもある。
言葉というものは実に奥が深い。
さて、箱を一つずつ開けていく。
おや、これは深川製磁。
こちらは香蘭社。
続いてノリタケ、さらに大倉陶園まで顔を出した。
おお、これはなかなか結構ではないか。
昭和の贈答品といっても、何でもかんでも同じ値段ではない。
有田焼の名門・深川製磁や香蘭社、日本の洋食器を代表するノリタケ、そして白磁の美しさに定評のある大倉陶園。
このあたりの品物は、今でも需要のあるものが多い。
しかも未使用で箱入り。
長年押し入れの奥で眠っていたとはいえ、保存状態も良好である。
人間なら四十年も押し入れに閉じ込められれば、腰は曲がり、髪は抜け、性格までひねくれてしまう。
ところが陶磁器は違う。
箱から取り出せば、昨日焼き上がったような涼しい顔をしている。
まったく羨ましい限りだ。
もっとも、ブランド品なら何でも高額になるというわけではない。種類や意匠、需要によって査定額は異なるが、今回は十分にお値段を付けられる品物が揃っていた。
一箱、また一箱と確認していくうちに、私の顔も自然とほころぶ。
お客様から見れば、ただのニヤけた骨董屋のオヤジである。
続いて掛軸の査定に移る。
こちらも何本か並べていただいた。
広げてみると、お寺のご住職による書画が中心である。
達筆な墨跡に、ありがたい禅語。
「無事是貴人」
「日々是好日」
なるほど、実にありがたいお言葉である。
しかし、我々骨董屋にとっての無事とは、買取品を落とさず、割らず、帰り道で事故を起こさず、しかも少しばかり利益が残ることを意味する。
日々是好日などと悟った顔をしてみたいものだが、商売が暇な日には猫までが私を見てため息をつく。
凡人が悟りを開くには、まだまだ修行が足りないようである。
さて、掛軸のなかには大徳寺ゆかりの僧侶による書も数点含まれていた。
これはありがたい。
大徳寺といえば、京都紫野にある臨済宗の名刹。茶道との関係も深く、歴代の高僧による墨跡は茶席の掛物としても親しまれている。
もちろん、大徳寺の名があれば何でも高いというわけではない。筆者や内容、保存状態によって評価は大きく変わる。
今回の品物は状態も悪くなく、数点についてはしっかりとした査定額を付けることができた。
お客様にも喜んでいただけたようで、こちらも一安心。
これで贈答品に掛軸。
本日の仕事もなかなか順調である。
ところが、まだ一つ残っていた。
部屋の片隅に置かれた箱。
こういうものが気になるのは骨董屋の習性である。
人間というものは、目の前に箱があれば開けたくなる。中身が分からなければ、なおさらである。
昔話の浦島太郎も、箱を開けたばかりに一気に年寄りになってしまった。
私の場合は、開ける前から十分に年寄りなので、その点だけは心配ない。
お客様にお断りして箱を開ける。
すると中から現れたのは、なんとも穏やかなお顔をした観音様であった。

「聖母観音菩薩像」である。
おお、これはまた立派なお姿。
観音様というものは不思議である。
こちらがどれほど欲深い顔をしていても、実に穏やかな表情で迎えてくださる。
仏様の慈悲とは、かくも深いものなのか。
もっとも、私の頭の中ではすでに査定額の計算が始まっているのだから、救いようのない俗物である。
この仏像は、作者本人が一点一点直接制作した作品ではなく、原型をもとに型取りして製作されたものである。
美術工芸品の世界では珍しいことではない。

優れた原型をもとに複数の作品を製作することで、一般家庭でも仏像を身近に置くことができる。
ただし、本人の手による一点物と、原型を使用した鋳造作品とでは、当然ながら美術的な位置づけや骨董品市場評価は異なる。
このあたりを混同してはいけない。
何しろ昨今は「作家物」という言葉だけが一人歩きし、作者本人が知らないところで作品が勝手に出世していることもある。
人間社会でも、本人の実力より肩書だけが立派な御仁を見かけるが、骨董品の世界も似たようなものである。
さて、肝心の観音様。
拝見すると保存状態は良好で、目立った傷みもない。
さらに元箱に栞まで揃っている。
これは嬉しい。
骨董品における箱や栞は、単なる包装紙や説明書ではない。作品の来歴や作者、材質などを確認するうえで、大切な手掛かりとなる場合がある。
人間も生まれた時から立派な箱と保証書が付いていれば、少しは値打ちが上がるのだろうか。
いや、私の場合は箱だけ立派でも中身が伴わない。せいぜい骨董品店の店先で「現状渡し・返品不可」と札を付けられるのが関の山である。
ともあれ、今回の観音様は状態、付属品ともに申し分なく、こちらも頑張って高価買取とさせていただいた。
最後にすべての品物を集計し、査定額をご説明する。
贈答品が五十個ほど。
掛軸が数点。
そして聖母観音菩薩像。
お客様にも十分ご納得いただけたようで、無事に買取成立となった。
ありがたや、ありがたや。
観音様の前で手を合わせる私。
ただし、その祈りの内容は世界平和でも人類救済でもない。
「どうか帰り道で品物を割りませんように」
なんとも小さな願いである。
無事に骨董品を積み込み、お客様にお礼を申し上げて太宰府を後にした。
帰り道、空を見上げると、先ほどまでの雲が少しずつ流れている。
また次の台風がやって来るという。
世の中には呼んでも来ない福の神もいれば、呼びもしないのにやって来る台風もある。
そして我々骨董屋は、電話一本あれば呼ばれて飛び出す便利な商売である。
さて、今夜は観音様のご利益にあやかって、少しばかり旨い酒でもいただくとしよう。
もっとも、晩酌の量まで仏様にお任せしたら、きっと「煩悩を捨てよ」と叱られるに違いない。
酒は百薬の長というが、飲み過ぎれば百害の長。
分かっちゃいるけど、やめられない。
悟りへの道は遠く、酒屋への道は近い。
ではまた……。
買取品の詳細

◇この「仏像」は真鍮の上に鍍金をされたとても重量感のある仏像です。作品は聖母菩薩観音像でお顔立ちもとても穏やかで小さな赤ちゃんの菩薩像を足元に置き穏やかな優しいお顔で見守っています。高さは約20cmで状態もとてもよく共箱も付属している仏像です。作者も「牧田秀雲」さんです。コレクションの一つに如何でしょうか?
買取査定額

◇仏像の買取査定額もしくは評価額ですが時代や作者の知名度、材質、大きさや作品のテーマほかには刻印や鑑識、共箱があればより高価買取できます。ご自宅に仏像や仏画が御座いましたら一度拝見させてください。状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

銀製兜 180,000円
銀製日蓮上人像 150,000円
純銀製 虚空蔵菩薩像 110,000円
銀製釈迦牟尼如来像 75,000円 他多数
牧田秀雲とは?
牧田秀雲(まきた しゅううん)は、仏像や仏教美術を中心に制作活動を行った仏像彫刻家として知られています。
特に、観音菩薩、不動明王、阿弥陀如来、地蔵菩薩などを題材とする作品が流通しており、現在でも骨董市場や美術工芸品市場でその名を目にすることがあります。
ただし、牧田秀雲の作品を理解するうえで注意したいのは、寺院に安置されるような伝統的な仏像彫刻と、一般家庭の仏間や床の間などに飾る美術工芸品としての仏像を区別することです。
また、同人の名を冠した作品には、金属製の鋳造仏像も見られます。作品の原型制作、鋳造、仕上げなど、どの工程に本人が関与したかについては、個々の作品資料を確認する必要があります。
以下では、略歴、受賞歴、代表的な作品、造形上の特色、そして骨董品としての評価について解説します。
1.牧田秀雲の略歴
牧田秀雲は1917年(大正6年)、静岡県静岡市末広町に生まれました。
1932年(昭和7年)、静岡市城内高等小学校を卒業すると、横浜市の彫刻家・望月秀晃に師事します。当時15歳という若さでした。
師匠のもとで社寺建築に用いられる装飾彫刻や仏像彫刻を学び、伝統的な彫刻技術を身につけていきました。
1953年(昭和28年)には、東神奈川の孝道教団における鐘楼堂や本堂の彫刻を手がけ、以後、各地の社寺彫刻や仏像制作に携わるようになります。
その後の主な経歴は次のとおりです。
| 年代 | 主な経歴 |
|---|---|
| 1917年 | 静岡県静岡市に生まれる |
| 1932年 | 彫刻家・望月秀晃に師事 |
| 1953年 | 孝道教団の鐘楼堂・本堂などの彫刻を制作 |
| 1973~74年 | 日本橋三越本店の伝統技術保存を目的とする秀作展に出品 |
| 1985年 | 高野山南院の波切不動尊を模刻 |
| 1989年 | 茨城県の教住寺に一遍上人立像などを制作 |
これらは仏像専門店や美術品取扱業者に掲載されている作家略歴に基づいています。
なお、没年については確認できる資料が限られているため、ここでは断定を避けます。
2.受賞歴と主な業績
牧田秀雲の経歴のなかで、特に注目したいのが1973~74年の日本橋三越本店での出品歴です。
伝統技術の保存を目的とする秀作展に出品し、東京都知事から感謝状を受けたことが紹介されています。
これは伝統彫刻技術に関わる活動が評価された実績といえるでしょう。
ただし、日展特選、日本芸術院賞、文化勲章などの受賞歴については、今回確認した資料には記載がありません。
また、牧田秀雲の業績を語るうえで重要なのは、1985年に行った高野山南院の重要文化財「波切不動尊」の模刻です。
模刻とは、単純に古い仏像の外観を写し取ることではありません。
原像の姿勢、顔貌、衣文、装飾などを研究し、造形を再現する高度な彫刻技術が求められる仕事です。
この制作歴は、秀雲が伝統的な仏像彫刻の技術を修得していたことを示す重要な業績と考えられます。
なお、重要文化財に指定されているのは原像であり、牧田秀雲による模刻作品そのものではありません。
3.代表作品について
① 波切不動尊模刻(1985年)
秀雲の代表的な制作歴として挙げられるのが、和歌山県高野山南院に伝わる波切不動尊の模刻です。
不動明王は、右手に煩悩を断ち切る宝剣、左手に人々を救済する羂索を持ち、背後に燃え盛る火焔を表現することが一般的です。
不動明王の制作では、単に恐ろしい顔を彫るのではなく、厳しさの奥にある慈悲の精神を表現することが重要になります。
秀雲の原型による市販の不動明王像にも、憤怒の表情や火焔光背を備えた作品が確認できます。
② 一遍上人立像(1989年)
1989年(平成元年)、茨城県友部町(現在の笠間市)の住吉山教住寺に、時宗の開祖である一遍上人の立像を制作しました。
また、関連する略歴には他阿上人坐像の制作も記されています。
一遍上人は鎌倉時代の僧侶で、全国を遊行しながら念仏を広めた人物です。
如来や菩薩と異なり、実在した僧侶を題材にする場合には、人物の精神性や生涯を感じさせる写実的な造形が求められます。
このような祖師像の制作にも携わっていたことは、秀雲の制作分野の広さを示しています。
③ 魚藍観音像
東京都港区の三田山魚藍寺に関係する魚藍観音像も、秀雲の制作歴に記載されています。
魚藍観音は、魚を入れる籠を持つ姿で表現される観音菩薩です。
中国に伝わる観音信仰と深い関係を持ち、一般的な聖観音とは異なる民間信仰的な親しみやすさがあります。
なお、魚藍寺に関する制作の具体的な年代や現存状況については、別途寺院資料による確認が必要です。
4.牧田秀雲作品の特徴
牧田秀雲の作品は、伝統的な仏像彫刻の形式を踏まえながら、一般家庭でも鑑賞しやすい造形を持つ点に特色があります。
特に市場で見られる作品には、以下のようなものがあります。
聖観音菩薩像
穏やかな顔貌と端正な立ち姿。
大黒天像
福徳を象徴する親しみやすい造形。
端正で安定感のある造形
秀雲の原型による仏像は、全体の均整が取れており、仏像としての基本的な形式を大切にしています。
如来像では穏やかな表情を、明王像では力強い姿を、七福神では親しみやすさを表現するなど、それぞれの尊格に合わせた造形が見られます。
細部への配慮
仏像は顔だけでなく、衣の重なり、指先、持物、台座なども重要な鑑賞要素です。
秀雲の原型による作品では、こうした仏像特有の要素を小型作品のなかにまとめていることが特徴です。
特に聖観音や薬師如来などは、落ち着いた表情と全体の調和を重視した造形となっています。
5.高岡銅器と牧田秀雲の関係
牧田秀雲の作品を調べると、「高岡銅器」「牧田秀雲原型」という表示をよく見かけます。
富山県高岡市は、江戸時代以来の伝統を持つ金属工芸の産地です。
仏像や香炉、花器、置物などの鋳造技術が発達しており、現在でも数多くの美術工芸品が製作されています。
秀雲の名を冠した仏像にも、この高岡の鋳造技術によって製作されたものがあります。
例えば、不動明王像や聖観音菩薩像、薬師如来像などには、亜鉛合金を使用し、青銅色仕上げや純金メッキを施した製品が確認できます。
ここで重要なのが「原型作」という表示です。
原型とは、鋳造作品を製作する際の基礎となる造形を指します。
したがって「牧田秀雲原型」と表示されている場合、秀雲の造形をもとに製作された作品であり、販売されている個体すべてを本人が直接彫刻したという意味ではありません。
6.骨董品としての評価と鑑定のポイント
骨董品市場でも牧田秀雲の名前は見かけますが、査定の際には注意すべき点があります。本人の手による木彫作品と、原型をもとに鋳造された量産工芸品とでは、美術的な位置づけや市場評価が異なることです。今回の買取品も量産タイプの工芸品だと思われます。
主な確認事項は次のとおりです。
-
材質: 木彫、銅、銀、亜鉛合金などの違い。
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制作方法: 本人による直接制作か、原型を利用した鋳造品か。
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銘や付属品: 作者銘、共箱、証明書、購入時の資料の有無。
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保存状態: 欠損、補修、メッキの剥離、変色など。
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作品の希少性: 一点制作か、同型作品が複数流通しているか。
特に金属製作品では、純銀製なのか、銀メッキなのか、あるいは亜鉛合金なのかによっても評価が変わります。
7.最後に…
牧田秀雲は、昭和から平成にかけて社寺彫刻や仏像制作に携わり、伝統的な仏像彫刻の技術を受け継いだ作家です。
その制作歴のなかでも、高野山南院の波切不動尊模刻や、教住寺の一遍上人立像などは重要な業績として挙げられます。
また、本人の造形を原型とする高岡銅器の仏像が製作されたことで、寺院だけでなく一般家庭にもその作品が広まりました。


■参考サイト

■その他の買取品目
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