浮世絵買取りました!
浮世絵(木版画)買取/福岡・骨董品|福岡市東区で掛軸や版画、浮世絵や油絵を買取りました。この木版画は「三十六歌仙 童女教訓鏡 若狭屋とあります。一勇斎国芳という方で江戸時代末期の浮世絵師です。「一勇斎 国芳」は「歌川国芳(うたがわ くによし)」といい、初代豊国の門人で、寛政9年に生まれ、文久元年3月65歳で没。本姓は井草孫三郎、幼名は芳三郎といい、一勇斎、朝桜楼と号したようです。
画号は文政初年から万延元年にかけて一勇斎国芳といい、後に彩芳舎(文政中期)、朝桜楼(天保初年から万延元年)、雪谷、仙真とも号しました。歌川を称し、狂歌の号に柳燕、隠号に一妙開程芳といいました。江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人であり、画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、確実なデッサン力を持ち、浮世絵の枠にとどまらない広範な魅力を持つ作品を多数生み出した方です。なお文政十一年ごろには「武者絵の国芳」と人気を博しました。美人画、役者絵、戯画、風刺画と幅広い、特異な描写をおこなった方でもあります。当時の浮世絵は、決まった大きさの元で制作されるのが普通であったそうです。これは、刷る時や販売する時など効率化され広く一般市民の手に届く為には必要な事でありました。しかし、国芳の創造性は徐々に浮世絵の範疇に納まり切らなくなっていたようです。この頃より、国芳は大判三枚続の作品を多く制作し始めています。三枚続の作品は連作ではあるが、一枚ずつが独立して見られるのが通常であったが、国芳は『宮本武蔵と巨鯨』など三枚に跨って一つの大きな作品を制作し始めたそうです。このような挑戦は国芳の自己の表現への挑戦のみならず、浮世絵界の考え方も変えてしまう革新的なものであったようです。『那智の滝の文覚』などは縦三枚続など非常に珍しい構図で、国芳の独創性が良く現れている作品です。
★「武者絵の国芳」をもう少し詳しく説明します…
歌川国芳は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師であり、「武者絵の国芳」として名高い人物です。歴史上の人物や伝説上の英雄を題材とした力強い武者絵は、当時の人々を魅了し、浮世絵界に大きな影響を与えました。
代表作品
武者絵
- 通俗水滸伝豪傑百八人之一個(1827年頃):中国の水滸伝を題材としたシリーズ作品で、国芳の出世作となりました。
- 讃岐院眷属三十六人全揃(1839年頃):源平合戦を題材としたシリーズ作品で、武者絵の最高傑作の一つとされています。
- 太平記英勇伝(1848-1849年頃):太平記を題材としたシリーズ作品で、迫力満点の戦闘シーンが描かれています。
その他の作品
- 月百姿之内(1830-1831年頃):月を様々な風景と組み合わせた美しい作品です。
- 金魚づくし(1832年頃):金魚を様々な形で描いたユーモラスな作品です。
- 東海道五十三次之内(1833-1834年頃):東海道の風景を描いたシリーズ作品です。
歌川家における位置づけ
歌川国芳は、歌川豊国の門人であり、歌川派の主要な絵師の一人でした。歌川派の中でも、武者絵を得意とする国芳は独自のスタイルを確立し、人気を博しました。
国芳は、弟子も多く育て、歌川派の発展に大きく貢献しました。歌川芳艶、歌川芳藤、月岡芳年などが国芳の門人であり、後に著名な浮世絵師となりました。
歌川国芳の功績
歌川国芳は、武者絵をはじめとする様々な作品で浮世絵界に大きな影響を与えました。
- 武者絵の表現技法を革新し、後の絵師たちに影響を与えました。
- 歴史や文学を題材とした作品も多く制作し、浮世絵の題材を広げました。
- 海外からの影響を取り入れ、浮世絵に新たな表現を取り入れました。
歌川国芳の作品は、現在も世界中で高く評価されており、浮世絵師の中でも最も人気のある人物の一人です。
参考文献
- 小林忠監修『浮世絵師歌川国芳』(2012年、東京書籍)
- 東京都江戸東京博物館編『江戸東京博物館所蔵 浮世絵名品選 歌川国芳』(2018年、東京都江戸東京博物館)