平山郁夫の素描画です/絵画の買取は福岡玄燈舎
平山郁夫の素描画です
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福岡市城南区で平山郁夫作品を買取りました!

福岡の街も、お盆を過ぎると、ほんの少しだけ季節の帳尻を合わせようとする。

昼間は相変わらず太陽が容赦なく照りつけている。アスファルトから立ち上る熱気は、まるで地面そのものが「まだ夏は終わっていないぞ」と意地を張っているようだ。しかし朝夕には、ほんのわずかではあるが空気の角が取れてきた。

我々骨董商にとって、これは大変ありがたい。

何しろ夏の買取というものは、品物を見る前にこちらが汗だくになる。お客様のお宅に到着した時点で、すでに査定する側の人間が査定されているような有様である。

「この人、ずいぶん汗をかいているけど大丈夫かしら」

などと思われてはいけない。

そこで骨董商たるもの、どんなに暑くても、できるだけ涼しい顔をする。

内心では、

「暑い。帰りたい。水を一気に二リットル飲みたい」

と思っていても、顔だけは秋風である。

そんなある日、一本の電話が鳴った。

「絵画とか掛軸が、いっぱいあるんですけど……」

とのことである。

「いっぱい」

この言葉は、骨董商にとってなかなか罪深い。

「少し」と言われて行ってみれば段ボール十箱ということもあるし、「いっぱい」と言われて期待して行ったら、昭和のカレンダーが三十枚ということもある。

世の中の「いっぱい」という言葉ほど、査定する人間を惑わせるものはない。

それでも電話の向こうの声には、何となく本当に「いっぱい」ありそうな気配があった。

場所は福岡市城南区。

それなら行ってみよう。

季節が秋になるのを待つより、こちらから涼しい顔をして出向けばよい。

というわけで、まだまだ夏の真っ盛りの福岡を車で走り、城南区へ向かった。

案内されたのは、いかにも昭和らしい平屋の家だった。

こういう家を見ると、何とも言えない懐かしさがある。

今の住宅は便利で、明るく、収納もたくさんある。しかし昭和の家には、便利さとは別の「物を溜め込む力」があった。

押し入れには布団があり、その奥には箱があり、その箱の中にはさらに箱がある。

そして最後に出てくるのが、

「これ、誰のだったかしら」

という品物である。

骨董商にとっては、まことにありがたい文化である。

玄関を入ると、さっそく絵画が目に入った。

油絵、水彩画、仏画、シルクスクリーン、浮世絵、掛軸……。

なるほど、これは確かに「いっぱい」である。

部屋の中には、長い年月のあいだ家族と一緒に暮らしてきた絵が、あちらこちらに置かれている。

絵というものは不思議なものである。

同じ壁に何十年も掛かっていると、いつの間にか家具の一部になってしまう。

毎朝それを見て、毎晩それを見て、いつしか「絵を見る」という意識すらなくなる。

しかし、家の主がいなくなり、家を整理する段階になると、突然その絵が「物」になる。

そして我々のところへ電話が来る。

「これ、価値ありますか?」

人間も似たようなものかもしれない。

元気なうちは家族の一員だが、いなくなると急に「遺品」になる。

骨董商という商売は、物の値段をつける仕事であると同時に、そういう人間の時間を覗き見る仕事でもある。

さて、感傷に浸ってばかりもいられない。

査定を始める。

まず油絵から見る。

作者名を確認し、画風を見て、制作年代を推測し、額装や保存状態も確認する。

ところが、出てくる作家がなかなか難しい。

福岡の地元画家が多いのである。

もちろん、地元では知られている。

美術団体に所属していたり、展覧会に出品していたり、昔は新聞や美術雑誌にも名前が出ていたりする。

しかし、「地元では有名」と「中古市場で高く売れる」は、残念ながら同じ意味ではない。

ここが骨董商の頭の痛いところである。

美術史的な価値と、市場価格というものは、時々仲が悪い。

画家が一生懸命描いたから高いわけでもない。

賞を取ったから必ず高いわけでもない。

反対に、世間ではあまり知られていない作品が、思わぬところで評価されることもある。

絵の世界ほど、

「世の中、何が起きるか分からない」

という言葉が似合う世界もない。

そうこうしているうちに仏画が出てきた。

これがなかなか面白い。

調べてみると、中国の比較的古い時代のものらしい。

明の時代。

さすがにこれは、先ほどまでの福岡の画家たちとは空気が違う。

古いものには、古いものだけが持つ迫力がある。

紙も、顔料も、描線も、長い年月を経ている。

新品なら「汚れ」と呼ばれるものが、古いものになると「味」と呼ばれる。

骨董品の世界では、この境界線が実に曖昧である。

昨日まで汚れだったものが、今日から時代感になる。

ただし、何でも古ければいいわけではない。

古いだけなら、世の中には古い物はいくらでもある。

重要なのは、何なのか、いつのものなのか、どのような意味を持つのか、そして市場でどのように評価されているのか。

そこを見極めるのが我々の仕事である。

この仏画については、しっかりと評価できそうだったので、頑張って値段をつけることにした。

そして次に出てきたのが浮世絵である。

これまた、なかなかの顔ぶれだった。

歌川家の作品があり、菱川の名前も見える。

浮世絵というものは、今でこそ美術館のガラスケースの向こう側に静かに並んでいるが、もともとは庶民の生活の中にあった。

今でいうなら、テレビも雑誌も広告もSNSも全部まとめて一枚の紙にしてしまったようなものだろう。

役者がいて、美人がいて、名所があり、事件があり、流行があり、笑いがある。

江戸の人々は、それを買って楽しんだ。

そして何百年か経った現在、我々がそれを一枚一枚見ながら、

「これは幾らになるかな」

と考えている。

何とも不思議な話である。

当時の人が何文かで買ったものを、今度は何万円、何十万円という値段で評価する。

物の値段とは、いったい誰が決めているのだろう。

考え始めると、骨董商という商売は哲学的である。

ただ、哲学ばかりしていると商売にならない。

査定額を出さなければならない。

一枚ずつ確認していく。

保存状態、摺りの状態、作者、版、年代、希少性、市場性……。

浮世絵については、こちらも頑張って評価する。

気がつけば、机の上には査定した品物がずらりと並んでいる。

絵画に掛軸、仏画、浮世絵。そして最後に「平山郁夫」である。

色合いも淡くとても素朴な柄ですね/骨董品の買取は福岡玄燈舎
色合いも淡くとても素朴な柄ですね

今回は昭和から江戸まで、時代も国も飛び越えている。

一軒の平屋の中に、日本の美術史が小さく横たわっているようにも見える。

そして全体の査定額をお伝えする。

こういう時が、骨董商にとって一番緊張する。

どんなに頑張って値段をつけても、お客様に納得していただけなければ成立しない。

「もう少し何とかならないでしょうか」

と言われることもある。

こちらとしても、

「もう少し何とかしたい」

とは思っている。

しかし、財布の中身にも限界がある。

骨董商の財布は魔法の財布ではない。

いくら頑張っても、そこから札束が湧いてくるわけではない。

今回は幸いにも、こちらの提示した金額に納得していただき、無事に買取成立となった。

ホッとした。

この「ホッとする」という感覚は、骨董商を長くやっていると妙に身に染みる。

品物を買えたから嬉しい。

それだけではない。

お客様にも喜んでいただき、こちらも無理をしすぎず、品物も次の持ち主のところへ行く。

三方よし、と言えば格好がいいが、実際にはその三方のうち一方でも不満なら成立しない。

商売というものは、結局、人と人の間にある。

帰りの車に乗り込む。

外はまだ暑い。

秋風には、もう少し時間がかかりそうだ。

しかし、朝に比べると不思議と涼しく感じる。

査定を終えた安心感というものは、気温まで少し下げてくれるらしい。

今日もまた、古い家から古い物が出てきた。

誰かが大切にしていた絵。

誰かが旅先から持ち帰った掛軸。

何代も前から残っていた仏画。

江戸の人々が眺めていた浮世絵。

それらは長い年月を黙って生き延び、最後には骨董商のところへやって来る。

そして我々は、それらに値段をつける。

何百年も生きてきた物に向かって、

「あなたは、これくらいです」

と金額を言う。

考えてみれば、ずいぶん偉そうな商売である。

しかし、その値段が次の人へ渡すための橋になるのなら、少しくらい偉そうでも許してもらえるかもしれない。

福岡の街では、ようやく夏の終わりが見え始めている。

我々骨董商も、もう少しだけ汗をかきながら、涼しい秋を待つことにしよう。

次はどんな家から、どんな物が出てくるのか。

電話一本で、それまで誰にも気づかれなかった物語が始まる。

骨董商というのは、どうやら物を買っているだけではないらしい。

今日もまた、一軒の昭和の平屋から、江戸と明治と昭和を積んだ時間を買い取った。

ではまた、次の電話が鳴るまで。

 

 

買取品の詳細

◇平山郁夫「平成洛中洛外図」は素描画で同朋舎の製作で平成19年に販売されていたもので当時は大人気を博してとても評判になった作品でした。今回の買取品は外箱には痛みがあるものの作品自体はとてもきれいで6作品あります。しかも額縁も付属されている物です。そのまますぐにお部屋に飾ることができる素描画です。ありがとうございました。

買取査定額

額に一枚一枚入れて飾るととても雅な部屋になります/骨董品の買取は福岡玄燈舎
額に一枚一枚入れて飾るととても雅な部屋になります

◇平山郁夫の買取査定額もしくは評価額ですが第一に肉筆、リトグラフや版画、印刷などで変わります、そして肉筆であれば必ず鑑定書や共シールが必須です。ほかには刻印ヤ共箱などもあればより高価買取&できます。ご自宅に平山郁夫作品が御座いましたら一度拝見させてください。状態や時代、作品でお値段は変わりますのでご了承ください。

 

■過去の作品買取例

水彩画 日本画 ゴルフ場  1,000,000円
アンコールワットの朝 リトグラフ 版画 限定120部 800,000円
12号「シーマちゃん」750,000円
皓月ブルーモスク イスタンブール リトグラフ 350,000円 他多数

平山郁夫とは?

平山郁夫(ひらやま・いくお、1930~2009)は、20世紀後半から21世紀初頭にかけて活躍した日本画家です。とりわけ「シルクロード」を題材とした壮大な作品群で知られ、日本画を世界的な文化交流や平和への祈りと結びつけた画家として高く評価されています。また、東京藝術大学学長、日本美術院理事長、ユネスコ親善大使などを務め、文化財保護にも尽力しました。1998年には文化勲章を受章しています。

1.生い立ちと画家になるまで

平山郁夫は1930(昭和5)年6月15日、広島県豊田郡瀬戸田町、現在の尾道市瀬戸田町に生まれました。瀬戸内海の美しい自然に囲まれて育ったことは、後の作品に見られる穏やかな風景感覚の基礎になったと考えられます。

1945年、15歳のときに広島で原爆を体験しました。学徒勤労動員先で被爆し、九死に一生を得ましたが、その後は原爆の後遺症に苦しむことになります。この体験は、平山の人生と芸術を理解するうえで極めて重要です。後年、平山は「平和」や「生命」、「祈り」を作品の根底に置くようになります。

1947年、東京美術学校(現在の東京藝術大学)日本画科に入学しました。1952年に卒業すると東京藝術大学の副手となり、前田青邨に師事します。前田青邨は近代日本画を代表する画家であり、平山はそのもとで日本画の伝統的な技法や構成を学びました。

1953年には《家路》が日本美術院展(院展)に初入選し、画家として本格的に活動を始めます。

2.《仏教伝来》――大きな転機

平山郁夫の画業における最大の転機となった作品が、1959年の《仏教伝来》です。

この作品は、唐代の僧・玄奘三蔵がインドから中国へ仏教の教えを持ち帰った歴史を背景にしたものです。若い平山は当時、被爆による健康問題や死への恐怖を抱えていました。そのような状況の中で「仏教」というテーマと出会い、自分自身の苦悩と重ねながら作品を制作しました。《仏教伝来》は、その後の「仏伝」シリーズ、さらにシルクロードを描く作品群へとつながっていく記念碑的な作品です。

《仏教伝来》以降、平山は釈迦の生涯や仏教の伝播を題材とする作品を次々に制作します。1961年には《入涅槃幻想》、1962年には《受胎霊夢》で日本美術院賞(大観賞)を受賞し、日本画壇における評価を確立しました。

3.シルクロードとの出会い

平山郁夫を代表するテーマといえば、何といっても「シルクロード」です。

1966年、平山は東京藝術大学の中世オリエント遺跡学術調査団に参加し、現在のトルコにあるカッパドキアの石窟教会壁画を調査・模写しました。また、法隆寺金堂壁画の再現模写にも参加します。

こうした経験から、平山は日本文化の源流をたどるために、仏教がインドから中国、中央アジアを経て日本へ伝わった「道」を実際に歩いてみたいと考えるようになります。1968年にはアフガニスタンや中央アジアを取材し、その後、中国、インド、パキスタン、イラン、トルコなどシルクロード沿線の各地を訪れました。取材旅行は生涯で160回以上に及んだとされています。

平山にとってシルクロードは、単なる異国の風景ではありませんでした。それは「日本文化の源流」を探す旅であり、玄奘三蔵ら古代の僧侶たちが仏教を求めて歩いた精神的な道でもあったのです。

4.代表作品

平山郁夫の代表作として、まず挙げられるのが《仏教伝来》です。玄奘三蔵を思わせる僧侶が白馬とともに緑の中を進む姿を描き、平山の「仏教」と「シルクロード」という二大テーマの出発点となりました。

次に、《入涅槃幻想》があります。釈迦の涅槃を題材にした作品で、仏教的な死生観と平山自身の人生観が重ね合わされています。1961年の日本美術院賞(大観賞)受賞作です。

《行七歩》も仏伝シリーズの代表作の一つです。釈迦の誕生にまつわる故事を題材にした作品で、平山が仏教的な主題をどのように日本画として表現したかを見ることができます。

シルクロードを題材とした作品では、《求法高僧東帰図》《玄奘三蔵への道》、《アレクサンダーの道》などが重要です。これらの作品では、砂漠や山岳、遺跡を背景に、遠い道を旅する僧侶や人々の姿が描かれています。

さらに大作として忘れてはならないのが、奈良・薬師寺の玄奘三蔵院に描かれた《大唐西域壁画》です。構想から約30年、制作期間20年をかけて2000年に完成した大作で、7場面・13面、総延長約40メートルに及びます。玄奘三蔵の旅を軸として、シルクロードの壮大な風景を描いた平山芸術の集大成の一つです。

5.作品の特徴

平山郁夫の作品には、いくつかの大きな特徴があります。

第一は、淡く静謐な色彩です。鮮烈な原色を多用するのではなく、青、緑、茶、金、白などを重ね、霞がかったような柔らかな画面を作り出します。特に砂漠や夕暮れ、月明かりを描いた作品では、現実の風景でありながら夢の中の世界のような雰囲気があります。

第二は、広大な空間表現です。砂漠、山岳、草原、遺跡などを画面いっぱいに配置し、その中に人間を小さく描くことがあります。人間の存在を自然や歴史の大きな流れの中に置くことで、「人間が歩んできた長い歴史」を感じさせます。

第三は、日本画の伝統と異文化の融合です。平山は日本画の技法を基礎としながら、インド、中央アジア、中国、西アジアなどの風景や文化を描きました。そのため、単純な「西洋風の異国趣味」とは異なり、日本画独特の余白や装飾性、岩絵具の質感によってシルクロードを表現しています。

そして最も重要なのが、平和への祈りです。

平山のシルクロード作品は、単に美しい砂漠や遺跡を描いた旅行記ではありません。15歳で広島の原爆を経験した平山にとって、仏教が伝わった道を描くことは、人間が長い年月をかけて文化や宗教を伝えてきた歴史を見つめることでもありました。その背景には、戦争によって文化財や人命が失われることへの強い危機感がありました。

そのため平山は、画家としての活動だけでなく文化財保護にも積極的に取り組みました。ユネスコ親善大使などを務め、世界各地の文化遺産を守る活動にも力を注いでいます。

6.晩年と文化財保護

平山郁夫は画家としてだけでなく、教育者・文化人としても大きな功績を残しました。1989年に東京藝術大学学長に就任し、後進の育成に尽力しました。また、1988年にはユネスコ親善大使となり、文化遺産の保護や国際的な文化交流にも取り組みました。1996年には日本美術院理事長に就任し、1998年には文化勲章を受章しています。

2009年12月2日、79歳で亡くなりました。しかし、彼の作品と文化財保護への思想は現在も受け継がれています。故郷の生口島には1997年に平山郁夫美術館が開館し、また山梨県北杜市には2004年に平山郁夫シルクロード美術館が開館しました。両館では、平山の作品だけでなく、その生涯やシルクロードとの関わりを知ることができます。

秋の鮮やかな色彩も描かれていますね/骨董の買取は福岡玄燈舎
秋の鮮やかな色彩も描かれていますね

◆素描画とは…

「素描画(そびょうが)」とは、対象の形・明暗・質感などを、線や少ない色彩を使って簡潔に描く絵のことです。英語では drawing、フランス語では dessin に近い概念です。

1.素描画とは

素描は、完成された日本画や油彩画などの「下絵」という意味だけではありません。素描そのものを一つの独立した作品として制作する場合もあります。

たとえば、人物を鉛筆で描いたり、風景を墨で描いたり、旅先で見た建物をペンで素早く記録したりするのも素描に含まれます。

大きな特徴は、絵具を何層にも重ねて色彩豊かに仕上げるのではなく、

  • 輪郭
  • 明暗
  • 陰影
  • 形の正確さ
  • 対象の特徴を捉える力

などによって、対象を表現することです。

2.どのような材料を使うのか

素描には決まった画材が一つだけあるわけではありません。

代表的なものには、

  • 鉛筆
  • 木炭
  • コンテ
  • ペン
  • 淡墨
  • チョーク

などがあります。

日本画家の場合には、墨や筆を使った素描も重要です。また、鉛筆や木炭などで描いたものに淡い彩色を加える場合もあります。

つまり、「素描=必ず鉛筆画」というわけではありません。

3.「線」が非常に重要

素描画で特に重要なのがです。

例えば人物を描く場合、輪郭線を一本引くだけでも、線の強弱や太さ、速度によって印象が変わります。

細く繊細な線なら柔らかな印象になりますし、力強い線なら重量感や生命力が出ます。

また、すべての輪郭を完全に描かなくても、必要な部分だけ線を置くことで、見る人の目に「そこに形がある」と感じさせることもできます。

そのため素描では、単に「上手に輪郭を写す」だけではなく、何を残し、何を省略するかという判断が非常に重要になります。

4.「観察」が基本

素描を理解するうえで重要なのが、対象をよく観察することです。

例えば木を描く場合、単純に「木らしい形」を描くのではなく、

「幹はどちらに傾いているか」
「枝はどのように伸びているか」
「光はどちらから当たっているか」
「幹の表面にはどのような凹凸があるか」

といったことを観察して描きます。

そのため素描は、画家にとって見る力を鍛えるための基本的な訓練でもあります。

5.日本画における素描

日本画では、素描は特に重要な意味を持っています。

日本画の制作では、いきなり本画を描くのではなく、まずスケッチや素描によって構図や人物、風景などを検討することがあります。

画家が現地に赴いて風景を観察し、何枚ものスケッチを描き、その中から構図を決めて本画を制作する、という方法です。

したがって、素描には

「観察・記録」→「構想」→「本制作」

という制作過程の中で重要な役割があります。

6.平山郁夫の場合

先ほどお話しした平山郁夫を理解するうえでも、素描は非常に重要です。

平山はシルクロードなどを実際に訪れ、現地の風景や遺跡、人々、動物などをスケッチしました。

こうした素描やスケッチは、単なる旅行の記念ではなく、後に制作する日本画のための観察記録・制作資料となっています。

例えば砂漠を描く場合でも、実際に現地で見た山の形、遺跡の位置、光の状態、ラクダや旅人の姿などをスケッチしておくことで、帰国後に大画面の作品へと発展させることができます。

平山の作品を見ると、完成した日本画は非常に幻想的で静かな雰囲気を持っていますが、その背景には、現地で丹念に対象を観察した膨大な素描の積み重ねがあります。今回の買取品の「洛中洛外図」も例外でなくとても時間と心を込めた作品といえます。

7.「素描」と「下絵」は少し違う

この二つは似ていますが、厳密には同じではありません。

素描
→ 対象を観察して、その形や特徴を線などで捉えるもの。

下絵
→ 最終的な作品を制作するために、構図や配置などを具体的に決めるもの。

例えば平山郁夫が旅先でラクダや遺跡を何枚も描いたとすれば、それは「素描」といえます。その後、本画を制作するために人物やラクダ、山、太陽などの位置を一枚の画面に組み合わせれば、それは「下絵」に近くなります。

つまり、素描は「見る・捉える」ための絵、下絵は「作品を構成する」ための絵と考えると分かりやすいでしょう。

参考サイト

平山郁夫美術館

平山郁夫シルクロード美術館

東京藝術大学大学美術館

柄の栞も付属します/骨董品の買取は福岡玄燈舎
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■その他の買取品目

 

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