■李朝花瓶を買取りました!
おはようございます。先日は福岡市西区で李朝の陶磁器や中国の焼物、掛軸など朝鮮美術の古いものを買取させていただきました。この花瓶は李朝の呉須辰砂の梅文様の古い壷です。なめらかな立ち姿でスッキリとした図柄が特徴の壷でした。
この李朝は李氏朝鮮時代(1392年~1910年)につくられた陶磁器です。生産された年代によって、さまざまな特徴をもつやきものですが、高貴さと柔らかさを併せ持った美しさが魅力です。そして“辰砂”とは、本来中国で採れる鉱物「辰砂」のことをいいますが、辰砂釉とこの鉱物の色が似ている為にそう呼ばれるようになりました。やや歪みのある造形は李朝のもつ味わいを感じます。
そのほかにも粉青沙器の碗や瓶、白磁の無地の壺や祭器、白磁に染付(青花)・辰砂・鉄砂で絵付けされた壺や瓶や皿、そして雑器の持つ粗野で健康的な美を秘めた大振りな井戸茶碗、黒釉や飴釉陶器の壺や鉢や瓶などもありました。また、染付や辰砂が施された魚・蛙・鳥・桃・家など、様々な形をした水滴も数点ありましたので高価買取させていただきました。朝鮮半島では儒教が国教となり学問が尊ばれた朝鮮時代には、多種多様の文房具類が生み出され大切にされていたようです。日本では一般に「李朝陶磁」の名で知られている朝鮮時代の陶磁器の真価を、広く世に知らしめたのは柳宗悦です。
★柳宗悦とは…柳宗悦は1889年(明治22)、東京麻布に生まれます。学習院高等科在学中に、武者小路実篤、志賀直哉らと雑誌『白樺』の発刊に参加します。その一方で心霊現象、キリスト教神学などの研究や、西欧近代美術の紹介につとめました。
1913年(大正2)に東京帝国大学哲学科を卒業します。このころより、朋友バーナード・リーチ(イギリスの陶芸家)の導きによってイギリス・ロマン主義期の神秘的宗教詩人で画家でもあったウィリアム・ブレイクの思想に傾倒し研究を深めます。みずからの「直観」を重視するブレイクの思想は柳宗悦に大きな影響を与え、芸術と宗教に立脚する独自な柳思想の基礎ともなったようです。
その後、朝鮮陶磁器の美に目覚めた柳宗悦は、1916年以降、頻繁に渡朝。1919年に起きた日本の植民地支配に対抗する三・一独立運動では、朝鮮の芸術への思慕と一体になるかたちで日本の朝鮮政策を批判する立場をとりました。
柳宗悦は日本民藝館初代館長に就任し沖縄の工芸や「仏教美学」の研究をされました。
この「仏教美学」は、柳宗悦が生涯をかけて構築した、仏教思想に基づく新しい美学の集大成であり、無名の職人のつくった「用いるための器物」や「信と美」の深い結びつき、凡夫[ぼんぷ]も救いからもらさぬ仏の力、すなわち他力[たりき]宗の説く阿弥陀仏の本願の力の恩恵に他ならないと解説しました。晩年には、篤い信心を身につけた他力宗の平信徒・妙好人の研究に入り、他力道の深い恵みの世界をさらに研究しました。1961年(昭和36)、72年の生涯を閉じます。
★バーナードリーチとは…「民藝」の第一人者であり、理想主義・人道主義に重きを置いた表現活動を行った白樺派との交流や、日用品の中に美しさを見出す“用の美”を活用するための民藝運動と呼ばれた芸術ムーブメントにも柳宗悦とともに深く関わっていた方です。私どもの福岡でも「バーナードリーチ」は、1954(昭和29)年に小鹿田に3週間滞在します。小鹿田焼陶芸館や日本民芸館(東京)にも作品が残されています。「バーナードリーチ」は滞在中、小鹿田の職人にピッチャーの継ぎ手のデザインを教えた代わりに、長年関心を持ちながら技法が分からなかった「飛び鉋」を小鹿田で学びとり、著書『日本絵日記』に書いたため、「飛び鉋」が海外にも広く知られるようになったというお話があります。
★ウィリアム・ブレイクとは…彼は19世紀にかけて画家、銅版画職人として活動したほか、詩人としても知られています。神話や宗教を題材とした幻想的な作品を多く残し、後世にも大きな影響を与えました。。彼はは、多種多様なすべての存在に神が宿り、それぞれの個性を尊重することが神の意志にかなうことである、という世界観を持ち、古代インド哲学と接点があり、非キリスト教文化圏の影響下で、文化多元論とも言うべき相互寛容の思想が彼の中に生まれます。彼は代表作は単純な言語と複雑な主題を組み合わせた抒情詩「イノセンスの歌」と「経験の歌」 、そして古典的な叙事詩の規範とは対照的な 叙事詩「ミルトンとエルサレム」が知られています。ありがとうございました。
骨董品買取の福岡玄燈舎では李朝の壷や花瓶を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください。