堆朱(中国家具)買取ました!

 

こんにちは。今回は堆朱の中国家具の紹介です。出張買取では福岡市南区にて堆朱の中国の家具など多数買取りさせて頂きました。特に家具は紫檀や堆朱の物が多く時代も100年以上の物もありましたので高価買取させて頂きました。ありがとうございました。
中国家具の買取
堆朱(ついしゅ)は、彫漆の一種です。彫漆とは、素地の表面に漆を塗り重ねて層を作り、文様をレリーフ状に表す技法を指しますが、日本では表面が朱であるものを「堆朱」、黒であるものを「堆黒(ついこく)」、黄であるものを「堆黄(ついおう)」と呼ばれています。中国では、黒漆の層に文様を彫り表したものを「剔黒」、朱漆の層のものを「剔紅」といい、中国漆器を代表する技法とされます。その堆朱ですが日本には平安時代末から鎌倉時代初頃に伝来し、室町時代頃本格的に製造が始まったようです。

堆朱家具の買取

そして江戸時代には、江戸詰めの藩士が名工に彫刻を習い歴代藩主がこれを奨励し、それが藩内に広まり、やがて町方の職人にも伝わったと言われています。江戸時代中期には、木彫と漆技法とを合わせた現在の木彫堆朱の基礎ができました。漆や材木が近隣の山で採れ、日本海側特有の湿度の高い気候などの自然、気候風土に恵まれた漆器つくりの適地だったことも幸いし今日に至っております。なお堆朱の有名作家といえば、南北朝時代から現代まで続く堆朱工「堆朱楊成(ついしゅ ようぜい)」一門です。足利氏の臣で1360年に初めて堆朱を作った初代の長充、彫漆に厚貝、青貝を入れて彫りあげた独自の作風で知られる8代の長宗、日光東照宮の修理に携った18代の国平(通称 平八郎)、堆朱技法を研究し、一時廃業状態にあった堆朱楊成を再興した19代の経長、帝展や文展、日展に出品し、多数の賞を受賞した20代など、高い技術と伝統を引き継いでいますありがとうございました。

堆朱楊成とは…室町時代以降、堆朱の技法を伝えた家系です。初代長充は足利義詮に仕え延文五年、初めて堆朱を作ったといわれる方です。楊成の号は中国元代の堆朱の名工張成・楊茂の名をとったもので、子孫代々業を伝え、明治維新により一時廃業しましたが二〇代長昭が再興しました。下記はその20代の略歴です。

20代(1880~1952年)
1880年(明治13年)、18代・楊成堆朱平十郎の次男として生まれる。
幼名は豊五郎。漆と彫技を兄である19代に学ぶ。
絵画は佐竹永湖、彫技は石川光明に学ぶ。
1896年(明治29年)、兄の死去により、20代堆朱楊成を襲名する。
彫漆を継承した。
1907年(明治40年)、東京府勧業博覧会に、彫漆香合3点、初出品。
2等賞を受領。宮内省御用品となる。
その後も帝展や文展、日展に出品し、多数の賞を受賞する。
1921年(大正10年)、農商務省第9回工芸展にて1等賞受領。
1925年(大正14年)、パリ博覧会へ出品、受賞
1928年(昭和3年) 、我国工芸美術の発達に寄与せし理由により緑綬褒章を受章する。
東京府主催、東京工芸展覧会審査員となる。
1929年(昭和4年)、 第10回帝展「天狐彫漆香盆」出品。無鑑査となる。
1933年(昭和8年)、 第14回帝展、審査員となる。
その後逝去する年まで出品をつづけ、審査員をつとめた。
1939年(昭和14年 、 ニューヨーク万博へ出品、受賞。
1950年(昭和24年)、日本芸術院会員となる。
1951年(昭和25年)、日展参事及び審査員となる。
1952年(昭和27年)、第8回日展「巻狩彫漆手筥(未完成)」出品審査員となる。
11月3日逝去。享年72歳。

21代(現在)
高い技術と伝統が受け継がれている。

足利義詮とは…足利 義詮(あしかが よしあきら)は、室町時代(南北朝時代)の室町幕府第2代征夷大将軍です。初代将軍足利尊氏の三男でもありました。母は鎌倉幕府最後の執権・北条守時の妹で正室・赤橋登子です。姓名は源義詮と名乗りました。

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