骨董品買取の福岡玄燈舎です。先日の出張査定は福岡市城南区にて中国陶磁や中国家具、書画や煎茶道具など
の買取をさせて頂きました。ありがとうございました。この茶道具は景徳鎮で焼かれた蛍手という湯呑です。
蛍手とは蛍手(ほたるで)は透かし彫りをした作品に、透明釉をかけて焼き上げる技法のことです。つまりいったん器面に穴を開けて、釉薬で穴埋めをした状態になります。蛍手は透かし彫りを応用・発展させた技法ともいえます。光をかざすと透かし彫りのところが部分的に明るく透き通ってみえます。この様子を蛍になぞらえたのが名の由来で、古くは12世紀のペルシア陶器、15世紀以降の中国(明代)で蛍手の作例を見ることができます。今回の「蛍透かし」、もしくは「蛍手」と呼ばれる器は明の時代に主に景徳鎮で、磁器に米粒ほどの穴をあけ、その透かし彫り部分に透明な釉薬を充填して焼き、透明な紋様にするもので、中国では「玲瓏」(れいろう)と呼ばれるそうです。
この技法は17・8世紀になると盛んになり、「康熙年製」(1662-1722)銘の染付小皿(堺環濠都市遺跡出土)や「大清乾隆年製」(1736-95)銘の白磁碗(国立故宮博物院蔵)など、製作年代を推測できる資料があります。日本でいつごろから始まったかは判然としませんが、19世紀半ばと思われる平戸(ひらど)焼(佐世保市三川内町)の製品に、雲に富士山の蛍手觚(こ)形瓶(ライデン国立民族博物館蔵)があります。
しかしこうした伝世品は少なく、特殊技法として一部で珍重される程度の生産量と思われます。明治8年(1875)に有田の名工深海竹治(ふかうみたけじ)が、含珠焼(がんじゅやき)とよばれる蛍手の技法を発明したとされるが、その製品は今日見い出せないようです。明治20年(1887)には小田志(こたじ)(佐賀県武雄市)の樋口治実(ひぐちはるざね)が蛍手の技法で特許をとっています。樋口の含珠焼は中国の蛍手よりも精巧と賞され、透文は一般の蛍手よりやや大きく、時に透文花弁の中にさらに模様を浮かべるものもあるようです。
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