中村宗哲の棗(茶道具)買取ました!
おはようございます。骨董品買取の福岡玄燈舎です。今回の出張査定は福岡県北九州市にて
茶道具や掛軸、弓や甲冑、勲章など買取いたしました。その一つに中村宗哲さんの棗もあり
高価買取させていただきました。ありがとうございました。
中村宗哲作品です
中村家は千家十職のうちの塗師(ぬし)の家門です。当主が宗哲の名を世襲し、現在の当主は13代目。12代宗哲は11代の長女で、女性として初めての職家となりました。13代目も12代目の次女です。茶道具の専門「型物塗師」として製作活動をしていますが、明治までは蒔絵入りの家具なども作っていたようですね。後桜町天皇の即位の調度品を納品したこともある家柄です。詳細ですが『表千家十二代/惺斎敬翁宗左(1863-1937)』のご指導を受け、昭和十二年(1937年)までに「惺斎宗匠御好」の「茶道具」「家具」など約九十種を製作。「唐崎松中棗」「東大寺古材蜀紅錦蒔絵香合」「炉縁」「醍醐枝垂桜大棗」など古材を精緻な意匠で美しく蘇らせている作品があります。
昭和の時代に入り「数寄者」の好みや展覧会も加わり独自の考案品も増え、戦前のものは『三井家』「桐浪台子」、「棗」、「炉縁」など約七十種。戦中には約五十種、戦後も七十種以上の「棗」、「茶道具」、「家具」を納めている。…とあります。
尚、12代は、11代の長女で、千家十職のうち、初めて公式に当主を継いだ女性となりました。
夫は陶芸家の3代諏訪蘇山で、夫婦で芸術活動に勤しみました。茶道具以外にも、現代の暮らしに活きる漆器などを多数製作し、工芸家としての高い評価を得ています。そして当代、13代も女性です。12代の次女で、
平成18年に宗哲の名前を襲名しました。代々の伝統を受け継いだ茶器を作りつつ、お母様のように、女性の感性を活かした新しい漆器の世界を開拓していくことが期待されています。
★千家十職とは…千家十職(せんけじっしょく)とは、三千家の家元のお好みや工夫を取り入れた茶道具を作る職人の家系(職家)を指します。所謂『三千家御用達の職人さん』のことを指します。茶碗や棗、茶杓、釜など、茶道に必要なお道具を、それぞれの家が分担して作っているということです。しかしなんでも作っていいかというとそうではなくきちんと「利休好み」のエッセンスが入ったものしか受け入れられません。
地味な中にもきれいな蒔絵があります
元々昔から茶道具を制作する職家はたくさんありましたが、大正4年に大阪三越で「十職展」が開催され、それ以降『千家十職』という呼び名が定着しているそうです。
★千利休とは…千利休は、戦国時代に活躍した茶人です。当時の戦国武将たちの間では「茶の湯」が大流行していました。裕福な商人の家に生まれ、若い頃から茶の湯を学んだ利休は、やがて織田信長や豊臣秀吉の茶頭(さどう、茶の湯の師匠)として仕えるまでになります。また高価な道具を集めたり、派手な演出でもてなしたりする茶人が多いなか、利休は「わび」の精神を重んじた「わび茶」と呼ばれる様式を完成させます。現在よく知られている茶道の流派、「表千家(おもてせんけ)」や「裏千家(うらせんけ)」は、利休の子孫がつくったものです。その千利休の生い立ちですが、大永2年(1522年)和泉国・堺の魚問屋「ととや」の主人・田中与兵衛の長男として生まれます。幼名は与四郎で、号は「宗易(そうえき)」、後に正親町天皇から居士号「利休(りきゅう)」を与えられています。元来、家業の「ととや」は魚屋でしたが、貸倉庫業や運輸業など手広く営み、裕福な家庭で育ったそうです。今でいえば総合商社的な位置でしょうか?さらには利休の祖父・田中千阿弥は、室町幕府第8代将軍・足利義政の茶同朋をしていて、利休の千という姓は祖父の千阿弥に由来しているとされています。その後は堺の南宗寺で禅の修業を積み「宗易」という号を授かります。そして利休は店の跡取りとしての教養や品位を学ぶために16歳の時に茶の湯の道に入り、17歳の時に北いわれております向道陳に師事します。18歳になると当時の茶の湯の第一人者である武野紹鴎(たけのじょうおう)に入門し「千宗易(せんそうえき)」と名乗りました。利休は「侘び茶(わびちゃ)」の精神に触れて茶人としての才能を現わし、23歳の時に自身の茶会を開いたのが最初といわれております。
★侘び茶とは…「わび茶」という言葉が出始めたのは江戸時代であり、村田珠光や千利休らが存命であった時代にはなかったそうです。利休が生きていた安土桃山時代に「侘数寄」「わび数寄」という言葉がすでに見られましたが、これはわび茶のことではなく「名物を持たぬ茶人」のことを指したそうです。そして、わび茶という表現は無かったものの、利休が追求した「草庵の茶」が「わび茶」であったそうです。
これぞ「詫び、さび」ではないでしょうか?
尚、「わび・さび」という言葉ですが、「さび」は「鉄錆」の「さび」です。一般的に「経年劣化」を意味しますが、その劣化を美、個性として楽しむ心が「さび」という精神です。
その一方で「わび」は「寂しい、侘しい」という意味と、不足の美という「足りないものを美しい、満足だと思う」「足るを知る」精神のことです。この二つが「わび・さび」になると「普段気が付かない静けさや慎ましさの中にある美しさを目や耳、においや肌で感じ取ること」という意味になります。
骨董品買取の福岡玄燈舎では茶道具を買取いたします。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください。福岡市内県内は無料出張査定いたします。