丁銀(古銭)買取ました!
先日は骨董品買取で福岡県北九州市へお伺いいたしました。とても古いお宅で昔は酒屋をいとなんでおられたお宅で掛軸や仏像も贈答などの骨董やアンティーク時計、着物や茶道具など大量に買取ることができました。
今回は丁銀といわれる古銭が数枚あり程度がよかったその中の天保丁銀を高価買取させて頂きました。
天保丁銀(てんぽうちょうぎん)とは、天保8年11月7日(1837年12月4日)から鋳造が始まり、同12月18日(1838年1月13日)より通用開始された丁銀の一種で秤量貨幣です。保字丁銀(ほうじちょうぎん/ほじちょうぎん)とも呼ばれます。また天保丁銀および天保豆板銀を総称して天保銀(てんぽうぎん)あるいは保字銀(ほうじぎん/ほじぎん)と呼びます。表面には「(大黒像)、常是」および「常是、寳」の文字に加えて両端に計二箇所の「保」字の極印が打たれています。また12面の大黒像を打った十二面大黒丁銀は上納用あるいは祝儀用とされるそうです。江戸で幕府を開いた徳川家康は、通貨を金で統一したかったようだ。しかし、関西では銀貨の人気が根強く、関西商人の財力と反発を鑑みて、銀貨を根絶しなかったとされている。当時、関西で使用されていた銀貨は丁銀と呼ばれる海鼠型のものであった。この海鼠型は、同じ大きさや形に成型しづらかったそうです。重さは30~50匁(もんめ)で、大きさもまちまちなので重さを計って使用しました。金が主流である江戸では、両替商で金貨と取り換えること必要だったそうです。現在の外貨のように変動制であったから、なかには相場を読んで儲ける者もいたという話ですね。丁銀は、厚みも一定ではなく「慶長丁銀(けいちょうちょうぎん)」とよばれる初期のものは後期のものに比べて薄いそうです。これならば道具を使って切り取ることができたようですね。実際、たがねで切り取られたと思われる丁銀が発掘されています。
〇古銭としての価値ですが「天保丁銀(てんぽうちょうぎん)」は上下に「保」の字の極印を持ち、銀26%という低品位で1837年から鋳造されました。 将軍徳川家斉の過度に贅沢な生活や、1833年頃から始まった「天保の大飢饉」で幕府の財政は悪化し、品位を下げた改鋳が行われました。 18万貫程度が発行されましたが、額面通りの価値を持つ計数貨幣が主流となっていたため、市場では重用されませんでした。 買取相場は状態や極印で上下幅が大きく、一概に金額を提示するのが困難な丁銀ですので一度拝見してお値段を提示致します。 ありがとうございました。
★両替商とは…「両替商」の起源は江戸時代以前の室町時代で、当時は「替銭屋」「割符屋」と呼ばれていました。両替商として確立されてきたのは江戸時代だと言われています。江戸時代初期は「石高制」で、米が財政の中心となっていましたが、江戸時代も後期になると「貨幣」が出回るようになります。当時の貨幣は金貨・銀貨・銅貨の3種類で、物によって「金貨で払うもの」「銀貨で払うもの」などのように区別がされていました。現在も十円玉硬貨など銅貨が利用されています。ほかには場所によっては支払うお金が異なり江戸は「金貨」、大阪は「銀貨」というように、東日本と西日本では経済の中心となる貨幣が異なるといった慣習もあったようでかなりややこしいシステムになっておりました。支払いがそうであれば流通もまた煩雑になり東の物を西で売る際には「銀」、反対に東で支払う際は「金」などとてもややこしい形態になっておりましたがそこに目をつける商人もいて差額で利益を得ていた業者もいたそうです。古物商の専門用語で「はた師」といわれる方がおられ地方の市場で安く買って上方の市場で高く売る…商いの仕方とよく似ていますね。ありがとうございました。
★天保の大飢饉とは…天保の大飢饉とは、江戸後期におきた大雨による洪水や冷害による大凶作を原因となった全国的な飢饉のことです。被害は米作に偏った政策を取っていた陸奥国や出羽国でとくに大きく、また、飢饉からの百姓一揆や打ちこわしが激増しました。特に 仙台藩 の場合は盛んに 新田開発 を行い、 実高 で100万石を超える石高を有していましたが、米作に偏った政策を行っていたため被害が甚大であったそうです。1834年と1835年の夏は、比較的天候に恵まれましたが、餓死者と病人による労働力減少などで、生産が回復しなかったところに、1836年ふたたび冷害にみまわれ大凶作となり、米価が暴騰します。しかも、都市で食糧品以外の購買力が減退したので、特産物生産地などでは、米価暴騰と生産減という二重の不況となり、各地の都市と農村で打毀が続発します。とくに甲斐(かい)(甲州一揆)や三河(加茂(かも)一揆)では大騒動に発展し、「世直し」を求めるに至ったので、武士のなかから幕藩の政策を批判する者が出ました。その流れで1837年の大塩平八郎の乱は、同年のモリソン号事件とあわせて幕藩権力を動揺させ、天保の改革の契機となったといわれています
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