福岡市早良区で柴田鉄蔵のこけしを買取!

戦前こけしの買取

 

西新のとある地下室で秘宝発掘!戦前こけし発見!

先日、福岡市早良区西新という古い繁華街の一角に、お宝を求めて潜入したのだ。そこは戦前に建てられたという、歴史を感じさせる古民家。まるでタイムスリップしたかのような雰囲気に、私の冒険魂は燃え上がる!その家の中には、なんと地下室まで存在していた。懐中電灯の光で照らされたその空間は、まるでドラゴンクエストのダンジョン!埃にまみれた古道具が積み重なり、まさに秘宝の山なのだ。

■先代の遺した宝箱

今回の依頼主は、ご両親が亡くなられて遺品整理をされている方だった。そのご両親が収集していたという、大量の骨董品が地下室に眠っていたのだ。その中にはブリキのおもちゃ、古時計、掛軸、陶磁器、仏像、絵画、古書…などなど次から次へと現れるお宝に、私の目は宝石のように輝き出す!まるでアラジンの洞窟に迷い込んだかのよう…いや、違う!ここは骨董品の楽園だったのだ!

■戦前こけし、その魅力とは?

今回、その中でも特に目を引いたのが、戦前の「こけし」である。こけしとは、東北地方を中心に作られている木製の人形。木目を生かした素朴なデザインが特徴で、愛らしい表情が人気を博している。しかし、戦前のこけしは現代のものとは一味違う。独特の風情や歴史を感じさせる、貴重な存在なのだ。

■鑑定士の眼力!真贋を見極める

しかし、骨董品の世界は甘いものではない。一見、ただのガラクタに見えても、実はとんでもないお宝だったりするのだ。そこで発揮されるのが、長年培ってきた鑑定士の眼力!表面的な見た目ではなく、歴史や文化、作者の背景まで見抜き、真贋を見極める。これはまさに、骨董品買取における醍醐味と言えるだろう。う~ん。とても楽しみである。

■掘り出し物、続々発見!

地下室をくまなく探索し、様々な骨董品を発掘していく。その中には、高額査定が期待できるものも少なくない。お客様は、ご両親が大切にしていた品々が新たな旅立ちを迎えることに、感慨深げな様子だった。

お宝続々!様々な種類のこけし。

丸い頭とほっぺたが特徴的な「鳴子こけし」、細長い胴体が特徴的な「東北こけし」、色鮮やかな衣装が印象的な「南部こけし」…どれもこれも、見ているだけで心が温まるような、愛らしい作品ばかりだ。中でも、特に気に入ったのが、高さ約30cmもある戦前の「柴田鉄蔵こけし」だ。まさに、戦前のこけしの王道を行くような、人間味があふれる作品である。

■戦前こけしの価値

戦前こけしは、年々その価値が高まってきていると言われている。特に、希少価値の高いものや、状態の良いものは、高額で取引されることも多いのだ。今回の買取で発掘されたこけしも、そのいずれもが貴重な作品であり、お客様にも大変喜んでいただけた。

 

買取品の詳細…

味のあるお顔

 

◇今回のこけしは「柴田鉄蔵作品」のこけしである。とても味のある顔でお顔の目が細い。切れ長でたれ目でもある。口や眉毛もなく一見、のっぺらぼうにも見えるあっさりとした顔でもある。大きさは約30cm、色は浅黒い。とても上品な日本人のお顔とは言えないような…。しかしながらこの「柴田鉄蔵」さんの作品にはファンが多く侮れない。

横顔も決して色白ではないものの木の味がとても滲み出ている何とも言えないいい味の木地。

戦前の風合いを伝える木地…

とても古い木ではあるものの虫食いやダメージは少ない。線虫を生き抜いてきた根性者の風情もある。

常に人に寄り添ってきたような素朴な風合い

トロトロの木地

このこけし本体は、黒光りしているがツルツル素朴な風合い。これは、使い込むほどに人の手の油や汗が染み出し、約100年、味わい深い色合いに変化していった証だ。

「柴田鉄蔵」の銘

柴田鉄蔵(1899-1960)は、秋田県出身の木地山系こけし作家。木地山系は、江戸時代後期から続く伝統的なこけし系統の一つで、特に戦後の作品は力強い体躯と華やかな色彩が特徴だ。

買取査定額

在銘入り

 

◇今回のこけしがまず第一に戦前ながら状態が良いこと、次に素朴な味わいがあること、在銘があることから複数でおよそ8万円の高価買取が実現。その他には有名作家物や戦前有名作家物であればかなり高額になると思われる。

 

■過去のこけし買取例

 

弥次郎系 佐藤勘内こけし 250,000円
山谷権三郎 津軽系 こけし 220,000円
菅原庄七 秋保温泉/遠刈田  40,000円
蔵王高湯系 阿部常吉こけし 20,000円
他多数

 

★柴田鉄蔵とは?

 

 

こけし作家「柴田鉄蔵」とは…

明治33年9月20日、秋田県雄勝郡大館の木地業小椋運治の次男として生まれる。長兄は小椋啓太郎、弟に与三郎がいた。父運治の兄は養治で、養冶の長男が泰一郎であり、慶次郎と泰一郎は従兄弟にあたる。
長男啓太郎は運治の後を受けて工場を引き継ぎ、慶次郎と与三郎はそれぞれ独立して、慶次郎は川連漆器の木地と塗りを業とし、与三郎は、盆、椀等の木地を製作していた。
慶次郎は大館の古関吉五郎の娘ムラと結婚して良二が生まれたが、昭和35年2月17歳の時、良二はムラの長姉ナミエが嫁いだ柴田鉄蔵の養子となった。
良二の談によると、実父慶次郎は酒も飲まず、大変生真面目な性格だったという。子供の頃、夕食時に勉強しろ勉強しろと口酸っぱく言われるので、すぐ隣の鉄蔵の家によく逃げ出していたらしい。慶次郎は相撲が大好きで蔵前国技館まで何度となく見学に出かけていた。また、亡くなる15年程前からは隠居テレビで大相撲観戦を楽しみにしていたという。
昭和56年3月24日没、行年数え年82歳。

1. 木地山系こけし、その魂を継ぐ男

東北の奥座敷、秋田県。そこには、木地山と呼ばれる小さな集落がある。江戸時代から続くこけしの伝統を守り続けてきたこの集落で、柴田鉄蔵は生まれた。

幼い頃からこけしに魅了された鉄蔵は、18歳から小椋泰一郎に師事し、木地作りを学び始めた。伝統的な技法を忠実に受け継ぎながらも、鉄蔵の心の中には常に新しい表現への意欲が燃え滾っていた。

2. 型破りな革新者、鉄蔵型誕生

当時のこけしは、伝統的な形や模様を守ることに重きが置かれていた。しかし、鉄蔵はそこに疑問を感じていた。「もっと自由な表現ができないのか?」

試行錯誤の末、鉄蔵はついに独自のスタイルを確立する。それが「鉄蔵型」と呼ばれるこけしだ。丸みを帯びた頭部、太い胴体、そして鮮やかな色彩。従来の型にはまらない、力強い生命感が溢れる作品だった。

3. 時代を照らす、こけしの灯火

鉄蔵が活躍した時代は、激動の時代だった。第一次世界大戦、昭和恐慌、第二次世界大戦。社会の価値観が大きく揺れ動く中、こけしもまた変化を迫られていた。

しかし、鉄蔵は伝統を軽んじることなく、新しい表現の可能性を追求し続けた。金箔や銀箔を用いるなど、斬新な技法を取り入れることで、こけしの世界を大きく広げた。

4. 燃え尽きるまで、創作の炎

61歳という生涯を閉じるまで、鉄蔵はこけし作りに情熱を注ぎ続けた。その作品数は数千体に上り、そのどれもが力強く、生命力に溢れている。

鉄蔵の死後も、その作品は多くの人々に愛され続けている。全国各地のこけし展で彼の作品を見ることができ、そのスタイルを継承する作家も多くいる。

5. こけしの魂、永遠に

木地山系こけしの伝統を守りながらも、独自のスタイルを確立した柴田鉄蔵。彼の作品は、こけしの可能性を広げ、その後のこけし作家たちに大きな影響を与えた。

伝統と革新が融合したこけしの傑作。鉄蔵の作品は、これからも多くの人々を魅了し続けるだろう。

参考資料

 

■その他の買取品目

 

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