岡本太郎の水差し男爵です/骨董品の買取は福岡玄燈舎
岡本太郎の水差し男爵です

福岡市早良区で岡本太郎の作品を買取りました!

 

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◇今年の福岡の梅雨はどうも様子がおかしい。いや、毎年おかしいのだが、今年は特におかしい。

空から降ってくるのは雨ではない。湿気である。雨ならまだいい。傘を差せば済む。しかし湿気という奴は実に図々しい。

断りもなく人の服に入り込み、髪をうねらせ、革靴をふやかし、骨董屋の商品にまでじっとりとまとわりつく。

まるで税金のような存在である。払いたくなくても払わされる。

そんな湿気の海を泳ぎながら私は福岡市早良区へ向かった。

骨董商という仕事をしていると、人からよく言われる。

「いい仕事ですねぇ。お宝探しでしょう?」そう言う人の頭の中にはテレビ番組がある。

納屋から国宝級の掛け軸が出てきたり、蔵から数千万円の茶碗が出てきたりするあの世界である。

だが現実は違う。骨董商の仕事の八割は「これは値段が付きません」と申し上げる仕事である。

残り二割が「少しだけ付きます」。そして一割にも満たない奇跡の中に「これはお宝ですね」が存在する。

つまり世の中のほとんどの骨董商は、お宝を探しているというより、お宝ではないものを丁寧に説明して歩いているのである。

今回のお宅もそんな感じだった。

玄関を開けた瞬間、昭和がいた。令和でも平成でもない。昭和が座っていた。

しかもかなり機嫌よく。茶の間には古いラジオ。棚にはブリキのおもちゃ。押し入れには人形。

そして部屋の隅にはビクター犬。あの有名な犬である。蓄音機の前で首をかしげている白い犬。

なぜあの犬はいつまでも首をかしげているのだろう。

私など商売柄よく見かけるが、会うたびに思う。あれは主人の声を聞いているのではない。

きっとローンの返済計画を聞いている。だからあんな顔になるのだ。

「なるほど…それは大変ですね」という顔である。

家主は八十代半ば。実に気持ちのいい方だった。査定をしながら話を聞く。

若い頃は電気店に勤めていたこと。高度経済成長の頃は忙しかったこと。

テレビが来た時代。冷蔵庫が来た時代。洗濯機が来た時代。そして今はスマホの時代。

人類は進歩しているらしい。だが最近の若者は電話番号を覚えない。昔の人は百件くらい覚えていた。

便利になるほど頭は暇になる。進歩とは不思議なものである。

さて査定である。

品物は確かに懐かしい。懐かしいのだが、懐かしいと高いは別問題だ。

骨董品の世界ではこれがなかなか理解されない。例えば学校の同窓会。

懐かしい。しかし全員が石油王になっているわけではない。それと同じである。

昭和のおもちゃも懐かしい。しかし市場価格は案外現実的なのだ。

私は一つ一つ説明した。「こちらの真空管ラジオは人気がありますが状態がですね」

「こちらの人形は残念ながら」「こちらは雑貨扱いになります」家主はうなずく。

私はさらにうなずく。お互い人生経験を積んでいるので話が早い。若い頃は夢を語る。

年齢を重ねると現実を語る。そして骨董商はその中間くらいを語る。夢はあるが相場もある。

それが商売である。買取金額を提示した。家主は少し驚いた。だが納得してくれた。ありがたいことである。

すると最後に押し入れの奥から段ボールが出てきた。人間というものは面白い。

本当に大切なものほど奥へしまう。そして忘れる。へそくりもそうだ。

忘れた瞬間から公共財になる。段ボールを開ける。新聞紙。古い雑誌。空箱。

そしてその下から何かが現れた。私は思わず手を止めた。目が合ったのである。

向こうと。その奇妙な顔と。「おや?」私は声を漏らした。家主は首をかしげる。

「何かありました?」あった。これはあった。普通ではない。

いや普通ではないものばかり作った人の普通ではない品物である。

岡本太郎。

とてもかわいいカエル顔です/昭和レトロの買取も玄燈舎へ
とてもかわいいカエル顔です

その名を聞けば太陽の塔を思い出す人が多いだろう。あの巨大な顔である。

未来を見ているのか。過去を見ているのか。それとも人類を呆れて見ているのか。

私には未だによくわからない。しかし確実に言えることがある。あの塔は一度見たら忘れられない。

政治家の演説は忘れる。芸能人のスキャンダルも忘れる。だが太陽の塔だけは忘れない。

つまり芸術とはそういうものなのだろう。

段ボールの中から現れたのは、その岡本太郎デザインのノベルティーだった。

非売品。企業販促品。当時のキャンペーン景品。こういうものが実に面白い。

なぜなら作った本人ですら残ると思っていないからである。

企業は宣伝のために作る。客はもらう。押し入れに入れる。忘れる。

四十年後に骨董商が発見する。実に壮大な回り道である。

家主は言った。

「そんな物、価値あるんですか?」私は笑った。

骨董商人生で何百回も聞いた質問である。価値とは何か。金額か。歴史か。思い出か。

コレクターの執念か。世の中には理解できないものに金を払う人がいる。高級腕時計。

限定スニーカー。アイドルの生写真。そして骨董品。

他人から見れば全部同じである。だが欲しい人には宝になる。それが市場という生き物だ。

私はそのノベルティーを見つめた。まるで岡本太郎本人が言っているようだった。

「くだらない常識を壊せ」実際に言ったかは知らない。しかし顔がそう言っていた。

家主は笑った。私も笑った。

湿気だらけの梅雨の日だったが、その瞬間だけ空気が少し軽くなった気がした。

結局、今回の買取は成立した。トラックに荷物を積み込む。ブリキのおもちゃ。ラジオ。

ビクター犬。人形。そして岡本太郎。

みんな時代に置いていかれた連中である。だが私は知っている。

時代に置いていかれたものほど面白い。最先端はすぐ古くなる。

だが忘れられたものは、ある日突然輝き始める。骨董品とはそういう存在だ。

人間も同じかもしれない。若い頃に評価されなかった人が晩年に評価される。

誰にも見向きされなかった才能が後世で発見される。だから人生も骨董も捨てたものではない。

雨はまだ降っていた。ワイパーが一定のリズムで動く。私はバックミラーを見た。

段ボールの中に岡本太郎のノベルティーが見える。小さいくせに妙な存在感がある。

さすがである。本人は亡くなって何十年も経つのに、まだ人を驚かせている。

そんな芸術家はそう多くない。さて、そのノベルティーが何だったのか。そしてなぜ私が「お宝」と呼んだのか。

その話は長くなる。梅雨の湿気より少し濃く、太陽の塔の顔より少し怪しい話になるので、それはまた次回。

ではまた。このについては下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。

 

買取品の詳細

◇この「ピッチャー」は岡本太郎の作品で当時はロバートブラウンというお酒のおまけ?ノベルティーだったと思います。品名は「水差し男爵」「ひげ男爵」どちらかだったという記憶があります。とってもかわいいお顔のピッチャーでカエル?かなというような憎めない愛嬌のあるガラスでした。1970年代のもので状態もよく割れや欠け大きな傷や汚れもありません。とてもガラスが薄いので実用品というよりはコレクションケースに入れてアンティークとして眺めるのがいいと思われます。残念ながら紙箱は御座いません。

 

買取査定額

帽子もあります/アンティークの買取は福岡玄燈舎
帽子もあります

◇岡本太郎のノベルティーグッズの買取査定額もしくは評価額ですが制作年代と製造数、次に状態や、ほかには刻印があればより高価買取&できます。ご自宅に岡本太郎のノベルティーグッズが御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

 

■過去の作品買取例


「ビンテージ 坐ることを拒否する椅子」 700,000円
「手の椅子  」 600,000円
「未来を拓く」ブロンズ 350,000円
「歩み」 150,000円 他多数

岡本太郎とは?

「太郎」の文字があります/骨董品の買取は福岡玄燈舎
「太郎」の文字があります

◆岡本太郎は、日本を代表する前衛芸術家であり、画家、彫刻家、思想家、評論家として幅広く活動した人物です。一般には「芸術は爆発だ!」という言葉や、1970年大阪万博のシンボルである太陽の塔で知られています。しかし彼の真の功績は、日本の芸術に「生命のエネルギー」と「既成概念への挑戦」を持ち込んだことにあります。

生い立ちと経歴

岡本太郎は1911年2月26日、現在の神奈川県川崎市に生まれました。父は漫画家の岡本一平、母は歌人・小説家の岡本かの子であり、幼い頃から芸術的な環境の中で育ちました。

1929年、東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学しますが、同年に家族とともにフランスへ渡ります。その後約10年間をパリで過ごし、西洋の最先端芸術や思想に触れました。特に、キュビスムを確立したパブロ・ピカソや、シュルレアリスム(超現実主義)の影響を受け、抽象芸術への道を歩み始めます。さらに哲学や民族学も学び、芸術を単なる美の表現ではなく、人間存在そのものを問う営みとして捉えるようになりました。

1940年、第二次世界大戦の激化により帰国します。その後兵役を経験し、戦争の悲惨さと人間の本質について深く考えるようになります。戦後は日本の前衛芸術運動を牽引し、「対極主義」と呼ばれる独自の芸術思想を提唱しました。これは、秩序と混沌、理性と感情、生と死など相反するものを対立させながら共存させる考え方です。

1950年代には縄文土器との出会いが大きな転機となりました。東京国立博物館で見た縄文土器の力強い造形に衝撃を受け、「日本人が忘れてしまった原初的な生命力」を再発見したと語っています。以後、彼の作品には縄文的な激しいエネルギーが色濃く表れるようになります。

1970年には大阪万博のテーマ館プロデューサーとして巨大モニュメント「太陽の塔」を制作し、一躍国民的芸術家となりました。その後も絵画、彫刻、公共芸術、著述活動を続け、1996年に84歳で亡くなりました。

岡本太郎の代表作品

1. 太陽の塔(1970年)

岡本太郎の代表作として最も有名なのが「太陽の塔」です。1970年の日本万国博覧会(大阪万博)のシンボルとして建設されました。高さ約70メートルの巨大な塔で、現在も大阪府吹田市に保存されています。

この作品には三つの顔があります。

  • 黄金の顔(未来)
  • 太陽の顔(現在)
  • 黒い太陽(過去)

さらに内部には生命の進化を表現した「生命の樹」が設置され、人類誕生までの歴史が表現されています。岡本はこの塔を「生命のエネルギーの象徴」と位置づけました。

作品の特徴

  • 強烈な色彩と異様な形態
  • 理性よりも生命力を重視
  • 原始的で神話的なイメージ
  • 建築と彫刻の境界を超えた総合芸術

当時は「奇妙な建造物」と批判も受けましたが、現在では日本を代表する芸術作品として高く評価されています。

2. 明日の神話(1968~69年)

明日の神話は、メキシコで制作された巨大壁画です。原爆が炸裂する瞬間を描いており、岡本太郎最大級の作品として知られています。現在は東京・渋谷駅近くで公開されています。

作品の特徴

  • 原爆という悲劇をテーマにしている
  • 破壊の中にも再生の希望を描く
  • 強烈な色彩とダイナミックな構図
  • 人類への警鐘と未来へのメッセージ

単なる反戦芸術ではなく、「人間は悲劇を乗り越えて生きる」という岡本の思想が込められています。

3. 傷ましき腕(1936年)

傷ましき腕は、パリ時代に制作された抽象絵画です。

この作品によって岡本はヨーロッパの前衛芸術界で注目されました。人体の腕をモチーフにしながらも、現実的な描写ではなく、内面的な苦悩やエネルギーを抽象的に表現しています。

作品の特徴

  • 抽象表現による感情の可視化
  • シュルレアリスムの影響
  • 強い緊張感と生命力
  • 美しさよりも衝撃を重視

4. 森の掟(1950年)

森の掟は、戦後の岡本芸術を代表する絵画です。

画面には鳥や動物、人間とも見える不思議な形態が入り乱れています。文明社会の裏側にある野生的な力を表現した作品と解釈されています。

作品の特徴

  • 「対極主義」の具体化
  • 原始性と文明性の衝突
  • 強烈な色彩
  • 観る者に不安と活力を同時に与える

岡本太郎芸術の特徴

岡本太郎の作品全体には、次のような共通した特徴があります。今回の買取したノベルティーもその一端が見られます。

① 生命のエネルギーを重視する

彼は芸術を「美しいものを作る行為」ではなく、「生きる力を爆発させる行為」と考えました。

そのため作品には激しい色彩や荒々しい形が多く見られます。

② 対極主義

岡本は対立する要素を統合しようとしました。

  • 生と死
  • 秩序と混沌
  • 理性と感情
  • 文明と原始

こうした矛盾をあえてぶつけることで、新たな価値を生み出そうとしたのです。

③ 縄文文化への注目

岡本は縄文土器に日本独自の生命力を見出しました。

西洋的な合理性とは異なる、荒々しく自由なエネルギーを高く評価し、それを現代芸術へ取り込もうとしました。

④ 芸術の大衆化

岡本は美術館の中だけで芸術が完結することを嫌いました。

公共空間に巨大作品を設置し、テレビにも積極的に出演して、芸術を一般市民のものにしようと努めました。太陽の塔はその象徴です。

 

参考サイト

川崎市岡本太郎美術館

岡本太郎記念館

太陽の塔(大阪・万博記念公園)

■その他の買取品目

 

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