福岡市南区でナショナル坊や人形を買取りました!

 

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■福岡だけでなく全国的に三連休である。

空は青い。どこまでも青い。まるで空だけが、世の中には何の問題もないと信じ込んでいるような、実に清々しい秋晴れである。

こういう日には、世間の皆さまは東へ西へ、南へ北へとお出かけになる。高速道路は渋滞し、観光地は人であふれ、行楽弁当を広げる家族の笑顔が秋空に映える。テレビをつければ、どこぞの観光名所でレポーターが「うわあ、きれいですねえ!」と、毎年同じ景色に毎年初めて出会ったような顔をしている。まことに結構なことである。

一方、我々骨董品買取業者には、三連休もへったくれもない。

世間の人々がレジャーだ、グルメだ、温泉だと浮かれている間、こちらは軽トラックやら営業車やらに乗り込み、東奔西走、南船北馬。いや、南船北馬というほど立派なものではない。実際には、道に迷い、駐車場所を探し、腰をかがめて荷物を持ち上げ、時折「これは売れるのだろうか」と天を仰ぐ、なかなか地味な旅である。旅情はある。観光気分はない。

今回のご依頼は、福岡市南区のお宅から。古いレコードに、おもちゃ、掛軸、茶道具など、いろいろなものを買い取ってほしいとのお話である。

「いろいろ」という言葉は、骨董屋にとってなかなか奥が深い。電話口で「古いものが少しあるだけです」と言われ、伺ってみれば蔵が丸ごと一つ待っていた、などということもある。反対に「たいしたものではありませんが」と恐縮されて、こちらが恐縮するような名品が出てくることもある。人間の謙遜と骨董品の価値は、どうも比例しないらしい。

さて、南区のお宅に到着すると、玄関をくぐった途端、そこには昭和の風が吹いていた。いや、風というより、昭和という時代そのものが、まだ引っ越しを済ませずに住み続けていた、と言ったほうがよいかもしれない。今どきの住宅は、余計なものを持たないことが美徳らしい。収納は壁の中へ、家電は薄く、家具は軽く、暮らしはすっきり。断捨離という言葉まで登場し、物を捨てることが、いつの間にか人生を磨く修行のようになっている。

しかし昭和の家は違う。物がある。とにかく物がある。いつか使うかもしれない物、昔は大切だった物、捨てる理由が見つからなかった物。そして、持ち主すら忘れているのに、なぜか何十年も居場所を与えられてきた物。

人間は忘れる。物は残る。それが骨董屋の仕事場であり、同時に、時代の忘れ物置き場でもある。

まず拝見したのは茶道具であった。鉄瓶、茶入れ、棗などが並んでいる。鉄瓶というものは、ただ湯を沸かす道具ではない。そこには、火をおこし、湯を沸かし、客を迎え、ゆっくりと茶を味わうという、現代人がどこかに置き忘れてきた時間が詰まっている。

今の世の中は忙しい。スマートフォンで注文すれば翌日には品物が届き、動画は倍速で見られ、会話の途中でも通知が鳴る。人間は便利になったはずなのに、なぜかいつも時間がない。

昔の人は鉄瓶の湯が沸くのを待った。今の人は電子レンジの一分さえ待てずに画面をのぞく。文明は進歩したのだろう。少なくとも、せっかちな人間を大量生産する技術については、ずいぶん発達したようである。

茶入れや棗にも、それぞれの趣がある。使われてきた年月があり、手に取られてきた記憶がある。茶道具は、ただ値段の高い安いだけで片づけられるものではない。もちろん商売である以上、値段は大事だ。風流だけではガソリン代も出ない。そこは心得ている。侘び寂びを語りながら、頭の中では相場を計算する。これが骨董屋という人種の、なかなか風流とは言いがたいところである。

続いて掛軸を拝見した。これがまた、なかなかよろしい。明治期の古手のものが多く、絹本の掛軸も目についた。しかも状態の良いものが少なくない。掛軸というのは不思議なもので、普段は巻かれて箱に入り、押し入れの奥などで静かに眠っている。それが床の間に掛けられた途端、部屋の空気まで変えてしまう。一枚の紙や絹に描かれたものが、壁紙よりも雄弁に空間を語るのである。

最近の住宅には床の間がないことも多い。壁は白く、部屋は明るく、家具は機能的。そこに掛軸を掛けようとすると、さて、どこに掛ければよいのかという話になる。掛ける場所がないのに掛軸は残る。これは掛軸の問題なのか、住宅事情の問題なのか、それとも日本人が長年かけて床の間を失った結果なのか。もっとも、掛軸のほうも困っているに違いない。明治の世には大切に掛けられていたものが、令和の世では収納ケースの中で「場所を取る古い物」という扱いを受ける。時代が変われば評価も変わる。人間も物も、なかなか気の毒なものである。しかし、古い絹本で状態の良いものには、やはり目を引かれるものがある。長い年月を経てもなお残っているというだけで、そこには一つの説得力がある。新品であることが価値になる時代に、古いままで残っていることが価値になる。世の中、なかなか皮肉が利いている。

そして、おもちゃである。プラモデルや鉄道模型が、ちらほらと姿を現した。これには少々、こちらの心も騒ぐ。大人になれば、立派な人間にならなければならない。仕事をし、責任を負い、世間体を気にし、税金を払い、健康診断の結果に一喜一憂する。子供の頃には、まさか大人というものが、これほど書類と支払いに囲まれた生き物だとは思わなかった。子供の頃は、プラモデル一つあれば幸せだった。説明書を広げ、部品を切り離し、接着剤の臭いに包まれながら、まだ見ぬ完成形を夢見る。鉄道模型なら、レールを敷き、車両を走らせ、机の上に自分だけの世界をつくることができた。ところが大人になると、その夢の世界を維持するために、現実の世界で働かなければならない。夢を見るにも金がいる。まことに世知辛い話である。

プラモデルも鉄道模型も、興味のない人からすれば、ただの古いおもちゃだろう。だが、好きな人間にはわかる。箱の中に眠る部品一つ、車両の細かな造形一つにも、当時の技術や流行、そして作った人間の情熱が詰まっている。もっとも、情熱だけでは査定額は上がらない。

ここがまた、趣味人にとっては残酷なところである。「昔は高かったんですよ」お客様から、そう聞くこともある。

確かに、昔は高かったのだろう。買ったときには大切な宝物だったに違いない。しかし、骨董品の世界では、買ったときの値段と今の値段が仲良く手をつないで歩いてくれるとは限らない。世の中には、買ったときは高価だったのに売ると安い物がある。反対に、誰も見向きもしなかった物が、何十年か経つと突然人気者になることもある。人間社会とよく似ている。

若い頃は誰からも相手にされなかった人が、年齢を重ねてから渋い魅力を発揮することもあれば、若い頃にちやほやされた人が、昔の写真だけを頼りに生きていることもある。物も人も、先のことはわからない。

そして最後に、なかなか気になる品物が登場した。「ナショナル坊や」の人形である。

おお、これは。思わず目が止まる。かつて家電製品の広告などで親しまれた、あのナショナル坊や。今の若い人に説明しようとすれば、まずナショナルという名前から説明しなければならないかもしれない。

今や家電売り場では別のブランド名が幅を利かせ、昔のロゴやキャラクターは、時代の記憶をたどるための手がかりになっている。看板も、広告も、企業の名前も、時代とともに姿を変える。昨日まで街角で当たり前のように見かけていたものが、ある日突然なくなってしまう。そして何十年も経ってから、古い倉庫の片隅や、家の棚の奥からひょっこり現れる。

「ああ、こんなものがあったなあ」そう思った瞬間、人は品物を見ているようでいて、実は自分の過去を見ているのかもしれない。

ナショナル坊やの人形も、単なる古い人形ではない。あの時代の暮らし、家電製品への憧れ、テレビのコマーシャル、町の電器屋さん。そんなものが、ひとかたまりになって立っているように見える。

もっとも、当の坊やは何も語らない。何十年も黙って立ち続け、今になって骨董屋に値踏みされているのである。考えてみれば、なかなか厳しい人生だ。いや、人形だから人生はないのかもしれないが、少なくとも我々人間よりは辛抱強い。人間なら、こんなに長い間、同じ場所に立たされていたら、とっくに文句の一つも言っている。

さて、ひと通り拝見したところ、今回は私の趣味に近い品物が多かった。こうなると、査定にもつい力が入る。商売人たるもの、好き嫌いで値段を決めてはいけない。市場の動向、品物の状態、需要と供給、そうしたものを総合的に判断しなければならない。頭ではわかっている。

わかってはいるのだが、好きな物を前にすると、どうにも目が輝いてしまう。普段は冷静な査定人も、趣味の品となれば急に少年の顔を取り戻す。もっとも、お客様からすれば、こちらが少年の顔をしていようが、仙人の顔をしていようが、知ったことではない。大事なのは、いくらで買ってくれるのか、という一点である。こちらも商売。お客様も商売ではないが、思い出の品を手放す以上、納得のいく話でなければならない。

そこで、品物の内容を踏まえ、できる限り頑張った買取金額をご提示した。結果は、無事に商談成立。ありがたいことである。

骨董品の買取という仕事は、古い物を安く買って高く売るだけの仕事だと思われることもある。もちろん商売である以上、利益を出さなければ続かない。しかし、現場に足を運んでいると、それだけでは説明できない場面に出会う。物には、持ち主の時間が染み込んでいる。

茶道具には、誰かが湯を沸かした時間がある。掛軸には、誰かが床の間に飾り、眺めた時間がある。プラモデルや鉄道模型には、夢中になって遊んだ子供時代がある。そしてナショナル坊やには、かつて当たり前だった昭和の暮らしが、ひっそりと残っている。それらを次の人へ渡す。大げさに言えば、骨董屋とは、物の引っ越しを手伝いながら、時代の記憶を運んでいる仕事なのかもしれない。もちろん、そんな立派なことばかり考えているわけではない。帰り道にはガソリン代のことも考えるし、明日の予定も気になる。腰は痛くなるし、荷物が多ければ腕も疲れる。世間の皆さまが温泉につかって「極楽、極楽」と言っている頃、こちらは積み込んだ荷物の中で品物が動かないか気にしている。

それでも、今日のような日は悪くない。秋の青空の下、福岡市南区で昭和の名残に出会い、古い茶道具や掛軸を眺め、懐かしいおもちゃに心を動かされ、最後にはナショナル坊やにまで会えた。行楽地の絶景にはかなわないかもしれないが、こちらにもこちらの景色がある。

世間は東へ西へと遊びに出かける。我々は東へ西へと、誰かの思い出を買い取りに出かける。どちらが幸せかなど、比べるものでもないだろう。ただ一つ言えるのは、三連休の青空は誰の上にも平等に広がっているが、その下で何をしているかによって、一日の景色はずいぶん違って見えるということだ。

そして今日もまた、誰かの家の片隅で、長いこと忘れられていた品物が、次の出番を待っている。古い物には、まだまだ話がある。骨董屋の仕事にも、まだまだ話がある。さて、明日はどこへ行くことになるのやら。世間の皆さまは、どうぞ残りの連休を存分にお楽しみください。こちらは明日も、東西南北、品物とお金と、そして少々の思い出を積み込んで走る予定である。ではまた……。

 

買取品の詳細

◇この「ナショナル坊や」は博多人形で当時、ナショナルとコラボして作られた記念品だと思われます。博多人形自体は現在ではなかなか需要が少ないのですが企業物は人気があります。骨董品ではありませんが昭和レトロな数寄者にはたまらない逸品だと思われます。

 

買取査定額

◇ナショナル坊やの買取査定額ですが制作年代や数量、そして材質や大きさなどで値段が変わります。今回の博多人形はオリジナルは持ち手に提灯があったはずですが欠品しています。しかしながら珍しいのと状態も良いので高価買取させていただきました。

ご自宅に企業物のアンティークや骨董品が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

 

■過去のナショナル坊や買取例


等身大 ナショナル坊や 300,000円
ナショナル坊や 店頭用 首振り人形  100,000円
ナショナル坊や ラジオ ホーロー看板 50,000円
店頭用 松下電器 ハイトップ 世界のナショナル坊や   45,000円 他多数

ナショナル坊やとは?

 

1.ナショナル坊やとは…

「ナショナル坊や」は、昭和の日本の家庭に電化製品を届けてきた松下電器産業(現在のパナソニック)が生み出した、企業広告のマスコットキャラクターです。1957(昭和32)年に登場し、当時のナショナル製品の広告や、街の電器店の店頭などで親しまれました。昭和の家電文化を象徴するキャラクターの一つといえるでしょう。

ナショナル坊やの題材になったもの

松下電器産業 ナショナル坊や店頭用人形/骨董品の買取は福岡玄燈舎
松下電器産業 ナショナル坊や店頭用人形です

誕生のきっかけは「トマト坊や」

パナソニックの公式資料によると、ナショナル坊やは、1950年代のミキサーの広告に登場した「トマト坊や」をもとに誕生しました。当時はミキサーで野菜や果物をジュースにすることが、家庭に新しい便利さをもたらしていました。広告には野菜をイメージしたキャラクターが使われ、その中でも特にかわいらしかったトマト坊やが、ナショナル坊やの原型になったとされています。

つまり、ナショナル坊やは、特定の歴史上の人物や外国のキャラクターをモデルにしたものではなく、家庭用電化製品の広告から生まれた、野菜をモチーフとするオリジナルキャラクターなのです。

1950年代の日本は、戦後の復興から高度経済成長へ向かう時代でした。電気冷蔵庫、洗濯機、テレビなどは、誰もが持っているわけではない憧れの製品でした。企業には、製品の性能を説明するだけでなく、一般家庭に親しみを持ってもらう工夫も必要でした。

そこで、難しい技術や製品の説明を、子どもにも大人にも伝わりやすいキャラクターに託すことには、大きな意味がありました。ナショナル坊やは、企業と消費者の距離を縮める存在だったのです。

2.ナショナル坊やが活躍した時代と、その役割

ナショナル坊や ソフトビニール人形 販促品/骨董品の買取は福岡玄燈舎
ナショナル坊やのソフトビニール人形 販促品

ナショナル坊やは、広告の中だけでなく、店頭の装飾や人形などを通じて消費者の目に触れました。東京オリンピックや大阪万博の時代に向かう日本では、家庭の暮らしが大きく変化し、電化製品が生活の中に広がっていきました。

ナショナル坊やの役割は、単に製品を宣伝することだけではありません。

  • 親しみやすさを生む: 企業名や製品を、子どもにも覚えやすくする。

  • ブランドを記憶させる: 店頭や広告で繰り返し見せることで、ナショナルという名前を印象づける。

  • 新しい暮らしを伝える: 電化製品を使うことで、家事が便利になり、家庭生活が豊かになるというイメージを届ける。

  • 販売店と消費者を結びつける: 街の電器店にキャラクターを掲示し、地域の人々に親しんでもらう。

    ★今回の買取品のナショナル坊やも山笠とのコラボで宣伝されている品物でした

当時は現在のようにインターネットやSNSで製品を調べられる時代ではありません。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、看板、店頭の展示などが重要な広告媒体でした。キャラクターは、こうした媒体を通して企業の印象を長く残すための有効な手段だったのです。

2018年には、パナソニックの創業100周年を記念する企画でナショナル坊やが復活しました。懐かしい広告の雰囲気を再現しながら、IoTなどの技術を取り入れた現代の家電を紹介するアニメーションも公開されました。これは、昔のキャラクターを単に懐かしむだけでなく、家電と暮らしが100年の間にどう進歩したかを伝える試みでした。

3.松下電器は何を目的としてナショナルブランドを育てたのか

1927 - Panasonic Group History - Panasonic Holdings/琺瑯看板/アンティークの買取
琺瑯看板ですね
ナショナル坊やを理解するには、キャラクターを生み出した松下電器の歴史を知る必要があります。

創業から全国ブランドへ

パナソニックの前身である松下電気器具製作所は、1918(大正7)年3月、松下幸之助によって大阪で創業されました。当初は、電灯線から電気を取り出すための配線器具などを製造していました。

その後、1923年に砲弾型電池式ランプ、1927年には角型ランプを発売します。この角型ランプに「ナショナル」の商標が初めて使われました。1929年には経営の基本方針を明文化し、1935年には松下電器産業株式会社へと改組されました。

「ナショナル」という名前を育てた目的は、単に製品名を付けることではありません。消費者に品質を覚えてもらい、安心して選んでもらえる統一ブランドを築くことにありました。

たとえば、ある家庭がナショナルの電池式ランプを購入して満足すれば、次にラジオやアイロンを買う際にも、同じブランドを選ぶ可能性が高まります。共通のブランド名は、さまざまな製品を一つの信頼のもとに結びつける役割を果たしたのです。

松下幸之助の「水道哲学」

松下電器の経営理念として有名なのが「水道哲学」です。

1932年、松下幸之助は、産業の使命は物資を豊富につくり、水道の水のように安価に提供することで、貧困を克服し、社会を豊かにすることだと訴えました。これが水道哲学と呼ばれています。

この考え方を家電に当てはめると、次のようになります。

  • 新しい技術を活用し、生活に役立つ製品を開発する。

  • 大量生産などによって製造コストを下げる。

  • より多くの家庭が購入できる価格で提供する。

  • 製品を普及させ、家事の負担軽減や生活水準の向上につなげる。

もちろん、これは企業の理想であり、実際の製品がすべての家庭にすぐ普及したわけではありません。それでも、電化製品を一部の富裕層だけのものにせず、一般家庭へ広げようとした点に、松下電器の歴史的な特徴があります。

ナショナル坊やも、この理念を広告の世界で親しみやすく表現した存在と考えられます。電化製品を売ることと、便利で明るい家庭生活を実現すること。その二つを結びつけるのが、ナショナルブランドの目指した姿でした。

4.ナショナル製品を彩ったキャラクターと広告文化

ナショナル坊や以外にも、松下電器や現在のパナソニックには、企業や販売店を身近に感じてもらうためのキャラクターが存在します。ただし、昔のナショナル製品には、キャラクターだけでなく、ロゴ、商品名、CMソングなども重要な広告の役割を果たしていました。

ナショナル坊や店頭用人形/骨董品の買取は福岡玄燈舎
ナショナル坊や店頭用人形

① ナショナル坊や

1957年登場

トマト坊やを原型とした、ナショナルブランドを代表するマスコットです。ミキサーの広告から生まれ、店頭の人形や広告などで活躍しました。親しみやすい姿で、家庭の電化とナショナルという企業名を結びつけました。

② パナ坊

パナソニックへの移行期のキャラクター

パナ坊は、ナショナル坊やとは別のキャラクターです。パナソニックのブランド名を親しみやすく伝える役割を担い、テレビCMなどに登場しました。ナショナル坊やが昭和の家電文化を象徴するのに対し、パナ坊は新しいブランドへの移行を感じさせる存在として知られています。

③ Panasonicの店坊や

地域の電器店のキャラクター

現在のパナソニックの店の公式サイトでは、「Panasonicの店坊や」が紹介されています。パナソニックの店の三代目という設定で、製品に詳しく、店頭でも活躍するキャラクターです。公式プロフィールでは、ナショナル坊やの弟かもしれないというユーモラスな設定もあります。

キャラクター以外で忘れられない「明るいナショナル」

ナショナルを語るうえで欠かせないのが、CMソング「明るいナショナル」です。

この曲は作詞・作曲家の三木鶏郎によるもので、電化製品が家庭の中に広がり、生活を明るくするというイメージを伝えていました。テレビ番組「ナショナル劇場」や、ラジオ番組「歌のない歌謡曲」の冒頭などでも親しまれました。

当時の広告には、現代の広告と比べて特徴的な点があります。製品の機能だけでなく、「明るい家庭」「便利な生活」「家族の幸福」といった、製品を購入した後の暮らしまで描いていたことです。

例えば、洗濯機は洗濯の負担を軽減する製品、冷蔵庫は食品を保存する製品ですが、広告ではそれらが家事の時間を減らし、家族と過ごす時間を増やすという夢も表現されました。ナショナル坊やとCMソングは、その夢を消費者に伝えるための重要な仕掛けだったのです。

5.ナショナルの代表的な製品と、その歴史

ナショナルランプ

1927年に登場した角型ランプは、ナショナルというブランド名を使用した最初の商品です。自転車用としてだけでなく、持ち運びにも使える電池式ランプでした。ブランドの出発点を象徴する製品です。

ナショナルハイパー乾電池
ナショナルハイパー乾電池

ナショナル乾電池

ランプの普及とともに電池事業も拡大しました。1954年には金属外装の乾電池「ナショナルハイパー」、1963年にはマンガン乾電池「ナショナルハイトップ」が登場し、懐中電灯やラジオなど、さまざまな電気製品を支えました。

テレビ・ラジオ

戦後の家庭電化を代表する製品です。松下電器は1951年に洗濯機、1952年に白黒テレビ、1953年に冷蔵庫を発売しました。テレビは娯楽や情報を家庭に届け、家族が一緒に番組を見るという新しい生活習慣を広めました。

National うず潮22 二層式洗濯機 /アンティークの買取は福岡玄燈舎
National うず潮22 二層式洗濯機

洗濯機

洗濯機の普及は、手洗い中心だった家事を機械化する大きな変化でした。特に高度経済成長期には、家事の省力化を実現する家電として注目されました。ナショナル坊やが生まれた時代背景とも深くつながっています。

冷蔵庫

冷蔵庫は食品を保存し、食生活を変えた代表的な家電です。1950年代には高価な憧れの製品でしたが、普及が進むにつれて一般家庭の暮らしに欠かせない存在になりました。

アンティークな掃除機です/骨董品の買取は福岡玄燈舎
アンティークな掃除機です

掃除機

掃除機も、家庭の衛生環境と家事の効率を向上させた製品です。「明るいナショナル」の広告では、テレビやラジオとともに掃除機も登場し、さまざまな家電が家庭生活を支えることを表現していました。

6.なぜナショナルブランドは姿を消したのか

2008年10月1日、創業90周年を迎えた松下電器産業は、社名を「パナソニック株式会社」に変更しました。同時に、海外を含むグループ全体のブランドを原則としてPanasonicに統一し、日本国内の白物家電などで使用していたNationalブランドも順次切り替えられました。

これは、ナショナルが失敗したからという単純な理由ではありません。国や商品分野によって異なっていたブランドを統一し、世界市場でパナソニックの名前を強く打ち出すための経営判断でした。

長い歴史を持つナショナルという名前を残すよりも、世界中で同じブランドを認知してもらう方針が選ばれたのです。

しかし、ブランド名が変わっても、ナショナル坊やや「明るいナショナル」の記憶は、多くの人にとって昭和の生活文化を思い起こさせるものです。2018年の復活企画も、こうした歴史的な親しみを現代の製品づくりへつなぐものでした。

7.ナショナル坊やが現代に伝えるもの

ナショナル坊やの歴史を振り返ると、企業キャラクターとは、単なる広告の飾りではないことが分かります。

そこには、製品を知ってもらうこと、ブランドを覚えてもらうこと、そして製品を通じてどのような生活を実現したいのかを伝えるという、企業の考え方が表れています。

ナショナル坊やが誕生した1957年は、家庭に新しい家電が次々と入り始めた時代でした。ミキサーの広告から生まれた小さなキャラクターは、やがてテレビ、ラジオ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機などが家庭に広がっていく時代の象徴となりました。

また、ナショナルランプから始まったブランドの歴史には、便利な製品を広く普及させ、暮らしを豊かにしようとする松下幸之助の理念がありました。

現在、私たちはスマートフォンやインターネットにつながる家電を当たり前のように使っています。しかし、その背景には、かつての人々が夢見た「家事が楽になり、家庭が明るくなる暮らし」があります。

ナショナル坊やは、昭和の懐かしさだけでなく、日本の家庭電化の歴史と、企業が人々の暮らしに寄り添おうとしてきた姿勢を思い出させてくれるキャラクターなのです。

■参考サイト

東京都江戸東京博物館

■その他の買取品目

 

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