三百硯斎の硯買取ました/福岡市南区

福岡市南区で硯や墨、和紙などの書道具他、茶道具、掛軸、有田焼、九谷焼など買取り致しました。この硯は金線や魚脳紋などが入った中国硯で三百硯斎とあります。黄山のふもと屯漢老街にある名店「三百硯齋」の歙州硯です。石紋が多く入り眉子 、水波 、金暈の紋が見られます。中国硯には端渓硯や歙州硯、澄泥硯、とう河緑石硯、松花江緑石硯などが有名ですね。

福岡での硯の買取
この硯もその一つです。 中国安徽省歙州の龍尾山産の石で作った硯(すずり)で石はうすい紋のある粘板岩で一〇世紀中頃から掘り出されています。南唐のころから世に聞こえ,端渓硯よりはやくから知られていたが,宋代には佳石がなくなったということです。日本では誤り伝えて〈きゅうけん〉,歙州硯(きゆうじゆうけん)と呼ぶことが多いそうですね。また,南唐のころ,この地の墨匠李廷珪らが名墨をつくり,国宝として珍重されたが,徽墨の名声は現在まで,国の内外に喧伝されています。一方、歙州硯の特徴は・金星銀星・金暈(きんうん)金花。羅紋(細羅紋、粗羅紋、暗細羅紋、泥醤羅紋、水波羅紋、角浪羅紋、絞絲羅紋、刷絲羅紋、卵石羅紋)・眉子(びし)(長眉子、短眉子、対眉子、臥蚕眉子…。)魚子紋、松紋などなどの文様が挙げられます。この硯も水波羅紋が入っています。この紋様のものは恐らく一番入手しやすい歙州硯かと思います。
この波のように見える横線が細かいほど墨のおりも絶妙なものになってくると言われています。細かいものを暗細羅紋、泥醤羅紋といい、暗細羅紋は文字通り通常時には細くて紋様が目に見えないので、水に濡らすとはじめて羅紋が見えてきます。わたくしも書道を少したしなんでおりますので中国端渓の古い硯を活用させていただいております。ありがとうございました。

李廷珪とは… 10世紀前半の中国南唐の製墨家です。五代十国南唐の後主李煜に重用された廷珪の墨は「李墨(りぼく)」と呼ばれ、卓越した品質で現在でも中国史上最高の墨と評されています。唐末の混乱を逃れて父と共に易水の地を離れて歙州(現在の安徽省黄山市)に移り住み、歙州の松が製墨に良いとしてこの地で墨業を起こし、徽墨(歙墨とも)の基礎を築きました。廷珪が製造する墨の品質が卓越していたため李煜によって重用され、李煜は彼に「墨務官」という官位を新設して就任させます。また国姓である「李」を授けた上、専用の工場を設立して最大限の援助を与えたといわれております。その後、廷珪の墨は「李墨」と称され、歴代の皇帝も非常に珍重されました。

金星銀星…この模様がよく見られる歙州硯は唐の時代から有名でしたが、北宋時代には良材は無くなったと伝えられています。特徴は、石色は鼠色(灰色)でうっすら艶があり、夜空の銀河に流れるが如く金星、銀星が所々に散りばめられたかのような模様(石紋)です。しかしながらこの金星・銀星が墨道(墨をするところ)に沢山ある場合は磨墨性能に良くないと言われております。

金暈金花…硯にあたかも金龍が祥雲から現われ、黄金の瑞気を吐くが如しの瑞景模様です。

★李煜李 煜(り いく)は、十国南唐(江南)の第3代(最後)の国主です。後主とよばれ君主としての政治的能力はほとんどなく、それよりも文学的・芸術的な才能のほうがはるかに優れていた方です。特に韻文の一種で、勃興しつつあったジャンルである詞の大成者として知られます。父の元宗李璟も芸術方面で評価されているため南唐二主と並称されています。本名は重光で最後は宋に敗れ,幽閉されました。父の李璟の作品を合わせた「南唐二主詞」が代表的な作品です。

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