織部焼の茶碗買取/福岡県太宰府市
福岡県太宰府市で茶道具や掛軸、刀や切手、着物など買取り致しました。この茶碗は織部焼の抹茶茶碗で竹里庵「加藤春二」作とあります。
加藤さんは1892(明治25)年2月11日愛知県瀬戸市の葵窯々元の家に生まれ、幼時から製陶に従事します。1926年二代春二を襲名、31年加藤唐九郎らと瀬戸六作展(東京ほていや)、34年には加藤作助、加藤唐三郎と阪急で三人展を開催しました。その後、40年戦没者の慰霊のための観音像を依頼され熱海伊豆山に「興亜観音」を制作致します。戦後は67年名古屋松坂屋で個展を開催。75年古瀬戸、織部焼で愛知県無形文化財保持者に認定されます。また、瀬戸陶芸家協会に所属し、参与、顧問をつとめました。古瀬戸釉、織部釉による茶碗、水差し、茶入れなどの茶陶を中心に独自の作品を制作した方です。織部焼ですが桃山時代頃、主に美濃地方で焼かれた陶器です。志野焼や黄瀬戸と共に「美濃焼」と呼ばれることもあります。
織部焼の特徴はあえて歪な形状を施し、市松模様や幾何学模様といった大胆な文様を施す趣向は、それまでの整然とした茶器とは大きく異なる点でした。織部焼は大量生産される一方で、文様は一つとして同じものがありません。その点から織部焼は個性を重視する姿勢で作られたことがうかがえます。最後に織部焼の種類ですが下記を参考にしてください。
■青織部:
器の一部に銅緑釉をかけたもの。
織部焼の中では最もポピュラーな種類にあたります。
■黒織部:
銅緑釉のかわりに黒釉をかけたもの。余白の部分には鉄絵を施す。
■総織部:
器の全体に銅緑釉をかけたもの。
■織部黒:
器の全体に黒釉をかけたもの。
■鳴海織部:
白土と赤土を組み合わせ、白土に緑釉をかけ、赤土の箇所には文様を描く。
色彩が豊かであるため、「名産」と呼ばれるものが多いのが特徴。
■赤織部:
赤土をベースに、白泥で絵や縁取りを施したもの。
■志野織部:
志野焼と織部焼の中間にあたる作品です。
■絵織部:
銅緑釉を掛けることなく、白地に鉄絵の文様を施したもの。
■伊賀織部:
部分的に白泥をかけ、伊賀焼では青緑色のビードロが用いられるところに鉄釉を流したもの。
■唐津織部:
絵唐津に倣って作られた作品。織部焼には唐津焼の窯が導入されたが、唐津織部は織部と唐津の結びつきを感じさせる.
★加藤唐九郎とは…
1898年 愛知県瀬戸市に生まれる
1914年 築窯し作陶に入る。その傍ら、瀬戸及び周辺古窯の発掘調査を行う
1929年 瀬戸古窯調査保存会を設立し理事長に就任
1947年 名古屋で日本陶芸協会を設立し理事長に就任
1950年 日本陶磁協会理事に就任
1952年 織部焼の技術で国の無形文化財有資格者に認定
1956年 日本文化芸術使節団の一員として諸外国を訪問
1957年 日ソ工芸展実行委員会長として活躍
1960年 日本陶磁協会、日本工芸会各理事、日本伝統工芸展、朝日陶芸展の 各審査委
員など全ての公職を辞し、作陶に専念する
1964年 「東京オリンピック記念加藤唐九郎陶芸展」開催
1965年 毎日芸術賞を受賞
1977年 作品集『陶藝唐九郎』を刊行
1985年 87歳で死去
★志野焼とは…美濃(岐阜県土岐市・可児かに市付近)で産した陶器です。桃山時代に盛んに焼かれ,茶器が多いく見られます。白い半透明の長石釉ちようせきゆうを厚くかけ,釉うわぐすりの下に鉄で簡素な絵を描いた作品が多いです。釉肌には肌理(きめ)の細かい貫入や柚肌、また小さな孔が多くあり、釉のかかりの少ない釉際や口縁には、緋色の火色と呼ばれる赤みのある景色が出ます。志野茶碗で銘卯花墻(うのはながき、三井記念美術館蔵)は国産茶陶としては2つしかない国宝(昭和34年指定)の一つです。ありがとうございました。
骨董品買取の福岡玄燈舎では茶道具を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定致します。