鍔や甲冑買取ました!

福岡市城南区にてや模造刀、茶道具や硯、着物や掛軸など買取りさせて頂きました。この鍔は名はありませんが鍛鉄で金銀象嵌が入ったとても味わいのある鍔です。室町時代の物というお話です。

鍔の買取・福岡

鎌倉時代から室町時代の鍔は、儀礼用の太刀につけられていた鍔を除くと装飾性よりも実用性を重視したシンプルで無骨な印象の物がほとんどです。室町時代になると「打刀」が日本の刀剣の主流となり、刀匠や甲冑師が打刀に合わせて実用性重視の素朴な鉄鍔を作るようになったほか、足利将軍家に仕えていた金工「正阿弥(しょうあみ)」が独自の鍔を創始します。安土桃山時代になると時代が安定してきたことや、南蛮貿易の影響などもあり、装飾性の高い鍔が作られるようになりました。また鍔には2種類があります。鍔の種類としては、大きく分けて、太刀(たち)に付ける「太刀鍔」(たちつば)と、打刀(うちがたな)や脇差(わきざし)に付ける「打刀鍔」(うちがたなつば)の2種類があります。太刀鍔は、鍔の中心に穴がひとつだけあるのが特徴です。この穴を「茎櫃」(なかごひつ)と言います。
一方、打刀鍔には、茎櫃の脇に「櫃孔」(ひつあな)と呼ばれる穴が、ひとつまたは2つ空けられているのが特徴です。写真の鍔は応仁鍔と呼ばれるものらしく、1467年(応仁元年)に起きた「応仁の乱」の頃から京都を中心に全国各地で制作された鍔のことです。なお、名称自体は明治時代に付けられました。その特徴は、刀匠鍔や甲冑師鍔と比較して小形となっている点や
制作されていた時代が戦乱であったにもかかわらず、当時としては貴重な輸入品である「真鍮」(しんちゅう)が使用されていたため、上級武士や権力者から珍重されていたと言われています。ありがとうございました。

古い鍔の買取

★打刀とは…打刀が戦いの場で最も活躍したのは幕末時代です。合戦のように大人数ではなく、数人を相手とする場合に使用されたようです。
打刀は一般に「日本刀」と言われる刀剣のことを言います。江戸時代を舞台にした時代劇では、武士が腰に長い刀剣と短い刀剣の2振を差していますが、長い方の刀剣が打刀です。馬上で使用することを目的とした「太刀」よりも短く軽量であるため、主に徒歩による戦闘で活躍した刀です。

★正阿弥とは…正阿弥勝義は天保3年(1832)に津山の二階町の彫金師、中川勝継の三男として生まれました。幼名は淳蔵といい幼少の頃から父に彫金を学び、江戸幕府に出仕した後、18歳のときに岡山の彫金の名家、正阿弥家の養子となります。その後に正阿弥家の九代目となってからは、実兄中川一匠の指導を受けます。一匠は、代々徳川家に仕える彫金師で後藤家の門人であり、江戸幕府及び宮中の御用職人を務めていました。正阿弥家は代々岡山藩の御抱え職人で、藩主の注文に応じて刀装具を作っていました。いわゆる藩お抱えの御用職人でもありました。

★南蛮貿易とは…16世紀中期から鎖国までの約100年間行われた南蛮人(ポルトガル人・スペイン人)との貿易のことです。
主にはポルトガルが中心で,1543年から来航しマカオを根拠地として日本と中国・南方との中継貿易を行っていました。スペインは マニラを根拠地として貿易とキリスト教布教の一体化が特色で,九州の諸大名は富強を目的として南蛮船を歓迎します。そも結果として貿易港として平戸・長崎・豊後府内(大分)が栄えました。輸入品は中国産の生糸・絹織物が主で,ほかに鉄砲・火薬・鹿皮・鉄・鉛などもあり輸出品は銀・刀剣・漆器・海産物などが大半を占めました。

骨董品買取の福岡玄燈舎では鍔や甲冑を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定致します。

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