煙管入れ買取りました!
福岡市早良区で模造刀や煙草入れ煙管や着物、掛軸や浮世絵、茶道具など買取りさせて頂きました。この古物は蒔絵の入った煙管入れと財布です。明治期の物で財布の留め金には銀細工の物が付いています。煙管入れの蒔絵は痛みがあるものの兜が描かれています。1612年、現在の徳島県において栽培され、葉タバコを細かく刻んだ日本オリジナルの「刻みタバコ」が登場します。 その刻みタバコを吸引するための道具としてキセルは誕生します。 日本をはじめ中国や朝鮮半島など、東アジアの国々に見られる喫煙具は、「きせる」という独特な様式をもっています。
江戸時代に入ると、武家をはじめ、一般庶民にも喫煙の習慣が流行します。元和・寛永のころ煙草の流行に伴い、遊侠【ゆうきょう】の徒の間には鉄製の長い煙管を腰に差したり、これを下人に持たせる喧嘩煙管の風があったといいますが、これなどは煙草が「粋」を象徴するものであったからでしょう。
喫煙の風習の定着によって煙管、煙管入れ、煙草入れ、根付け、あるいは家の中で吸うための煙草盆などの喫煙用具類が、様々な工夫と自由奔放な意匠を凝らした工芸品に発達します。煙管は、いわゆる舶来品の道具と風習が、見事に日本的に消化されて取り入れられた道具の典型といえるでしょう。かつてキセルは、おもに会津、東京、京都、それに燕で作られており、昭和4年には燕で190ということです(390人)がキセルを作っていたそうです。当時の燕の人口は1万2,000人(約2100戸)ほどで、約20%の410戸が金物づくりをしており、戸数では金物づくりの半数近くがキセルを作っていました。それもそのはず、燕でのキセル作りは古く、その始まりは明和年間(1764~72)とも安永年間(1772~81)ともいわれ、少なくとも200年の長い伝統があるということです。
★刻みタバコ…刻みたばこの主原料は、日本古来の銘柄である「在来種」です。香料は一切添加されず、「葉たばこ」本来の香りや味を生かした「たばこ」です。
江戸時代から明治初期までの約300年間、日本の喫煙は「キセル」を使った「刻みたばこ」が主流になり、「刻みたばこの専門店」も数多く存在しました。店先で、おかみさん(かか)が「葉たばこ」を刻みやすいように巻きそろえ、それを職人である主人(とと)が刻んで売ることから、この「刻みたばこ専門店」は“かか巻、とと切”と呼ばれました。
★遊侠…遊侠の徒(布衣の徒)は千里の果てであろうが関係なく義を貫き通す者のことで、義を貫き通すためには自らの死を恐れず、世の中批難や批判を省みることのない人物のことです。そのため絶体絶命に陥った人物は義士である遊侠の人達を頼るのであると言われております。損得勘定を一切捨てて義を貫き通した人達のことを指しているようですね。我々もそうありたいものです。
★喧嘩煙管…喧嘩煙管(けんかきせる)は、江戸時代に流行した鉄製の煙管で庶民の護身用としても使用されたました。もともとは戦国時代末期の「かぶき者」と言われるならず者たちが好んで所持していたとされる道具です。侍でない限り刃物を大ぴろっげに所持出来ないためその代わりでありましたが、そもそも幕府は煙草自体も禁止にしていたため、煙管も法律違反とされていたようです。というのも煙草は火事の原因となる上に、稲作から煙草栽培に転向されると石高が減ってしまう懸念があったためだそうです。その後は1650年頃には幕府の取り締まりが強化され「かぶき者」はいなくなりましたがその後、少しずつ煙草も解禁さありますていったという流れがあります。
骨董品買取の福岡玄燈舎では煙管や煙草入れを買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定致します。