中川自然坊作品買取ました!
骨董品買取の福岡玄燈舎です。今回の出張買取は唐津焼を中心に有田焼や九谷焼、薩摩焼など陶磁器を査定買取いたしました。そのひとつに絵唐津の中川自然坊さんの作品が多く刷毛目や斑唐津や粉引の作品が多く高価買取させていただきました。
〇刷毛目唐津ですがルーツでもある朝鮮の李朝陶の影響が濃い唐津焼において、三島唐津と並び李朝直伝と考えられる技法です。刷毛目唐津とは唐津の土で成形した器ものに、刷毛や筆による文様、また櫛目文による装飾を展開したり、白化粧を刷毛で施したものを言います。刷毛目唐津は古唐津が伊万里磁器の登場によって終息したその後唐津の陶器として、広い地域で江戸時代を通じて親しまれました。
〇朝鮮唐津は白の藁灰釉と黒の鉄釉が掛け分けられ、あるいはまた、その2つの釉薬が入り乱れるように施される作品です。古唐津の中でも陶工たちの技量が存分に発揮された、最も目を引く焼き物でした。
〇粉引は、一般的には器を白土液に浸して、底裏に至る全面を白くする装飾法であり、その肌が粉を引いたようであることから粉引とも粉吹とも称されたようです。粉引は十六世紀中葉から後半を中心に展開した技法で、様々な粉青の装飾技法の簡略とも見えるでしょう。
〇斑唐津はざっくりとした土に白濁した釉薬が溶け込み、斑状になっているものを斑唐津と呼び、茶碗やぐい呑みが人気です。古唐津の中でも最初期に岸岳山麓で1580年〜90年代にかけて作られました。
なお自然坊窯の斑唐津は、乳白色のものから青み又は赤みがかったものなど様々な色彩があります。
★中川自然坊とは…
作品の特徴ですが赤土に棕櫚(しゅろ)の繊維で作った刷毛を使い濃い化粧土を塗り、高温で焼成することにより自然坊さんならではの力強い刷毛目の器が生まれます。最初は田中佐次郎作品に魅了されたそうです。
それまで描いていた唐津という焼物を否定するかのような豪快な造形や釉調だったそうで弟子入りを願ったが何度も断られ、門の前で座り込みをしたという話が残っております。田中さんは自然坊の熱意に
「土のよさ、釉のよさを引き出すのは焼きだ。君の窯を焼いてやるから窯詰めが終わったら知らせてくれ」と言ってくれたそうです。
窯詰めの終わった自然坊窯に来た田中先生は火入から窯焚すべてをやりのけ、焼の極意を教えてくれたそうです。
私の持っている自然坊さんの作品は現在ではそば猪口しかありませんが焼の強さが際立つ粉引のそば猪口です。
粉引は高温で焼かれるため、汚れることなく、使うほどにその魅力は増すといいます。実際に何の使用しても汚れは付きません。薄く掛かった土灰釉と焔によって引き出された窯変や切糸や化粧掛けの際の指跡までもが景色となっている作品でした。ありがとうございました。
★そば猪口とは…そば猪口は四〇〇年前から現代まで、その形をほぼ変えることなく親しまれている台形型の器です。原点は、肥前国(佐賀県・長崎県)で生産され、伊万里港から全国に出荷していた伊万里焼といわれています。
そば猪口の本来の用途はそばを食べるものではなく、祝儀や会席の膳で、刺身、和え物、塩辛などを盛って出す小鉢(向付)でしたが、江戸時代に入り庶民の間ではそば屋が大流行。そば猪口は蕎麦のツユ入れの他、蕎麦前と呼ばれる食前酒の盃としても使用され、全国津々浦々に流通し、瞬く間に広がっていきました。わたくしも焼酎などのお酒を注いだり付き出しの魚や小物入れなどで使用させていただいております。ありがとうございました。
1953年 佐賀県生まれ (本名:中川憲一)
1977年 唐津焼窯元「鏡山窯」で修業
1982年 佐賀県松浦郡玄海町に割竹式連房登窯を築窯し自然坊窯とする
1985年 しぶや黒田陶苑にて「中川自然坊展」、東京小田急百貨店にて個展開催
1989年 大阪梅田阪急にて個展開催
1990年 古唐津の古窯址「藤の川内」の粘土を使う朝鮮唐津作品の焼成に成功する
2000年 奥高麗茶碗「松下」(桃山時代)を参考にした枇杷色の奥高麗茶碗復元に成功する
2002年 「茶陶、歴史と現代作家101人」に搭載される
2003年 「現代日本の陶芸展」出品
2005年 「現代日本の陶芸家125人」に搭載される
2011年 しぶや黒田陶苑にて「作陶30周年記念展」開催
2011年 逝去
2012年 しぶや黒田陶苑にて「中川自然坊 遺作展」開催
骨董品買取の福岡玄燈舎では中川自然坊作品を買取ります。
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