骨董品買取の福岡玄燈舎です。今回の出張買取は福岡市東区にて茶道具の茶器や掛軸、薩摩焼や九谷焼の壷や花瓶など
買取させていただきました。有田焼や銀製の湯呑や急須などもある中、萩焼の坂倉新兵衛作品もあり高価買取させていただきました。
ありがとうございました。坂倉 新兵衛(さかくら しんべえ)は、山口県長門市深川の萩焼窯元・坂倉新兵衛窯の当主が代々襲名している陶芸作家としての名跡です。
当代は十五代坂倉新兵衛正治が襲名しております。歴史としては慶長9年(1604年)に毛利輝元の命によって招致された李氏朝鮮の陶工である李勺光、李敬の兄弟が萩城下で御用窯を築きました。そのうち、兄の李勺光を初代とする名跡が坂倉新兵衛です。六代目より「坂倉」と改姓しました。十二代坂倉新兵衛は萩焼を全国に広めて不振衰退から救ったことにより、中興の祖と呼ばれる方です。今回の作品は十二代のものです。
以下は十二代の略歴です。参照ください。
〇十一代坂倉新兵衛の長男として生まれる。九代坂高麗左衛門に師事し、また杉民治や表千家惺斎宗左、即中斎宗左に茶道を学ぶ。
明治期に入り、藩の庇護を受けられなくなった萩焼は急速に衰退し、多くの窯が廃業するなか十代三輪休雪と共に萩焼振興に尽力して大きな業績を残している。
萩焼中興の祖と呼ばれる一方、その作行は茶の湯との結びつきを強め、茶陶萩のブランドイメージを確立した。その技術は萩焼の歴史のなかで一・二を争い、名人中の名人と言っても差しつかえないほどである。
1881年(明治14) 十一代坂倉新兵衛の長男として生まれる。幼名平吉。
1897年(明治30) 十二代坂倉新兵衛を襲名。
1898年(明治31) 九代坂高麗左衛門に萩焼を学び、家業を復興。
1948年(昭和23) 萩焼美術陶芸協会会長に就任。
1957年(昭和32) 選択無形文化財保持者。1960年(昭和35) 12月3日、79歳で死去。
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