福岡市中央区で蒔絵の棗を買取りました!

◇骨董品買取の福岡玄燈舎です。ゴールデンウイークも明け暮れて世間の人々はまた忙しく世の中で戦い始めました。私はというと相変わらずのんびりとしかし乍ら出張査定のご依頼もたくさんいただいて毎日はお宝探しの楽しい日々を過ごさせていただいています。今回はちょっとばかり遠方の買取依頼でその昔は炭鉱で財を成したお宅でした。現在は誰も住んでおらずまさにゴーストハウス!しかし中に入るときちんと整理されてお掃除もされている綺麗な古民家でした。残念ながら?持ち主の方が片付け過ぎて古いものはほとんど残っておらずまるで「伝統的歴史建造物」の見学コース化となっておりました。その中でもなんとかお宝を探したいという自分本位の欲求と元来のしつこい性格?で見つけたものは「一后一兆作」の豪華蒔絵棗でした。この棗はお母様の大切にしていた茶道具の一つだということが判り大変喜んでおられました。とても大切にされていたようで絹の豪華な袱紗に収められておりました。この棗については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。

買取品の詳細

とても美しい輪島蒔絵の棗です

作品名は「雪月花」ということです

◇この蒔絵棗は「一后一兆」作品でとても華やかでかつ重厚な蒔絵を施された棗です。中や底、蓋裏には銀の梨地で銘も書かれております。表の巻には金、銀、黒、橙など季節を表す色合いで描かれています。とても高級感のある棗でした。「雪月花」とは、白居易の詩「寄殷協律」の一句で「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」による語だということです雪・月・花という自然の美しい景物を指す語だそうでこの蒔絵を見ても納得しますね。尚、袱紗も特注品だと言われていました。ありがとうございました。

買取査定額

細かい仕事の蒔絵です

◇「一后一兆」作品の買取査定額もしくは評価額ですがまず第一に状態、次に蒔絵の質感、共箱やしおりなどの付属品が有ればより高価買取&できます。なお、今回の棗は状態も良かったので40000円の買取価格になりました。蒔絵の入った棗の買取相場ですが上記のように造り、作家、、蒔絵等などでかなり差があります。ご自宅に棗やが御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

下記に代表的な作品について書きましたので参考にされてください…。

 

一后一兆の作品は、茶道具が特に有名です。代表的な作品としては以下のようなものがあります。

  • 菊桐蒔絵中棗
  • 青貝入蒔絵香合

  • 唐松 螺鈿細工棗

  • 住吉蒔絵中棗

  • 高台寺棗

作品の特徴

一后一兆の作品は、以下の特徴がありますので参考までに…

  • 華麗な蒔絵:金粉や銀粉をふんだんに使った豪華絢爛な蒔絵が特徴です。
  • 繊細な描写:草木や花鳥などのモチーフを、非常に繊細に描いています。
  • 豊かな色彩:金、銀、赤、緑など、様々な色を用いて、色彩豊かな作品に仕上げています。
  • 独創的な構図:伝統的なモチーフだけでなく、独創的な構図の作品も多くあります。

これらの特徴から、一后一兆の作品は、江戸時代の蒔絵の中でも特に高い評価を受けています。

その他

一后一兆の作品は、茶道具以外にも、箱や盆など様々な種類があります。また、近年では、人間国宝の池田一陽氏をはじめ、多くの弟子たちが活躍しており、一后一兆の伝統を受け継いでいます。

参考情報

■過去の作品買取例
葡萄栗鼠蒔絵喰籠即中斎花押 300,000円
鵬雲斎書付 柳 大棗   250,000円
秋夜螺鈿蒔絵中次棗 180,000円
鵬雲斎書付 住吉蒔絵大棗  150,000円 他多数

一后一兆とは?

蓋の内側に「月」と銘があります

一后一兆(いちご いっちょう)は、1825年(文政8年)に、加賀国(現在の石川県)石川郡松任村(現在の白山市)に生まれました。本名は不明で、一后一兆は号です。幼少期から漆器の制作に携わり、15歳頃から輪島塗の名工・清水一得に師事しました。一得のもとで、一后一兆は漆器の下地作りから蒔絵、研ぎ出しまで、一通りの技法を厳しく指導を受けました。特に蒔絵に関しては、卓越した才能を発揮し、師匠をも凌ぐ技術を習得したと言われています。

独立と活躍…

20歳頃には独立し、独自の作風を確立しました。一后一兆の作品は、華麗な金箔や銀箔を用いた蒔絵が特徴で、繊細な描写と豊かな色彩感覚で知られています。特に、草木や花鳥などのモチーフを得意とし、生き生きとした作品を生み出しました。また、一后一兆は茶道具制作においても高い評価を得ており、茶人からも絶大な人気を誇りました。代表作としては、菊桐蒔絵中棗青貝入蒔絵香合唐松 螺鈿細工棗などが挙げられます。

江戸時代後期における輪島塗の復興…

江戸時代後期になると、輪島塗は衰退の兆候を見せていました。しかし、一后一兆の活躍により、輪島塗は再び脚光を浴びることになります。一后一兆は、自身の技術だけでなく、後進の育成にも力を注ぎました。多くの弟子を育て上げ、輪島塗の伝統技法を守り伝えました。

晩年と死後…

一兆は、1878年(明治11年)に4代目輪島塗惣兵衛を襲名し、輪島塗の発展に大きく貢献しました。また、1893年(明治26年)には、東京帝国博物館(現在の東京国立博物館)に作品を出品し、その名声を全国に広めました。一兆は、1891年(明治24年)に67歳で亡くなりましたが、その作品は現在も高く評価されており、日本の伝統工芸を代表する作家の一人として称されています。

下記はその弟子たちです。

  • 二代 一后一兆:本名は一陽(いちよう)。父である初代 一后一兆の技法を忠実に受け継ぎ、繊細で華麗な作品を生み出しました。
  • 三代 一后一兆:本名は一之(かずかず)。二代 一后一兆の次男。父や祖父の作風を踏襲しつつ、独自の表現を取り入れた作品を作りました。
  • 四代 一后一兆:本名は一陽(いちよう)。三代 一后一兆の長男。伝統的な輪島塗の技法を守りつつ、現代的な感覚を取り入れた作品を作りました。
  • 池田一陽(いけだ かずよう):人間国宝。一兆の弟子の中では最も著名な人物であり、繊細な金蒔絵で知られています。
  • 森山工内(もりやま こうない):人間国宝。力強いタッチの金蒔絵で知られています

一后一兆は、江戸時代後期における輪島塗の復興に大きく貢献した巨匠です。その華麗な蒔絵技法は、後の多くの蒔絵師に影響を与えました。また、多くの弟子を育て上げたことで、輪島塗の伝統技法を守り伝える役割を果たしました。現在でも、一后一兆の作品は茶道具コレクターをはじめ、多くの人々から愛されています。また、輪島塗の代表的な作家として、国内外で高い評価を得ています。

 

◎関連、参考サイト

■その他の買取品目

 

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