茶釜(茶道具)買取/福岡・骨董品…福岡県飯塚市で茶道具の鉄瓶や茶釜、掛軸や甲冑、着物や書道具を買取致しました。この茶釜は十二代和田美之助作の錆味の良い茶釜です。
初代 は和田信濃大掾藤原国次。京都三条釜座に住し江戸期釜座の座衆取締等、頭として活躍し、天下一釜師の称号を有し、釜・釣鐘等鋳造します。二代目は 和田信濃大掾藤原国次(五兵衛)。
寛永十三年初代の協力の許に知恩院大釣鐘を鋳造、以来寛永代より専ら釣鐘等大物師
として傑作を造り後年入道、元禄二年従五位を賜わりました。三代目 和田信濃大掾藤原国次(吉兵衛)。
そして四代・五代・六代・七代・八代・九代迄この間江戸期には、各寺院の釣鐘多数鋳造します。作品は大徳寺、本能寺、妙心寺、黄檗山萬福寺、建仁寺、清水寺奥の院、黒谷金戒光明寺、釈迦銅像、百萬辺知恩院等現存鐘など百数十点あります。九代目は 和田信濃大掾藤原国次(吉兵衛 号寿茂)。六角堂、壬生寺等の釣鐘鋳造しました。10代は雨宮金寿堂で学び、茶の湯釜、鉄瓶の制作を行うようになり、この頃から釣鐘以外の茶道具の制作を行うようになります。十代 和田美之助は京・下京高辻に住し、雨宮金寿堂に学び茶の湯釜、鉄瓶を鋳造します。
こうして現代の和田家当主たちは先代の技術を受け継ぎ古作釜の研究を行い、和田家に伝わる秘法を守りながら、現代造形を取り入れた作品を制作しています。日本各地の有名百貨店で個展を開催しており、炉釜・風炉釜・風炉・花入・燗鍋・火箸・釜かん・五徳などに斬新な作品を見る事ができます。十一代 和田美之助は先代の技術を引き継ぎ古作釜等研究し数多くの作品を制作しました。昭和三十五年没。現在は十二代目そして十三代目になります。余談ですが形にもよりますが茶釜は茶道しか使用できないと思われていましたが私自身は花生けにも使用しております。
★雨宮金寿堂と和田美之助…昭和初期、日本には美しい建築物や歴史的な寺院が点在していました。その中でも、雨宮金寿堂は特に注目されるべき存在となっています。この場所には、和田美之助によって手がけられた釣鐘が鎮座しており、雨宮金寿堂自体が美しい仏教寺院であり、その中庭には立派な塔や石仏が配されています。しかし、一際目を引くのが、和田美之助によってデザインされた釣鐘です。釣鐘は日本の伝統的な建築物や寺院において、鐘楼に掲げられ、節に富んだ音色で信者たちを呼び起こします。和田美之助は、釣鐘においてもその独自のデザインセンスを発揮しました。鐘の表面には彼の特有の細やかな彫刻が施され、銅の質感が太陽光を浴びて輝きます。この釣鐘が鳴り響くと、まるで歴史がその音色に宿るかのような感覚に包まれるでしょう。和田美之助は、釣鐘を単なる音の道具ではなく、芸術の一環として見立てました。彼の手により生み出されたこの釣鐘は、単なる宗教の儀式をこなすものではなく、訪れる者に感動を与え、美の世界に誘います。雨宮金寿堂の釣鐘は、歴史と美が融合した素晴らしい存在です。訪れる者はその姿に圧倒され、和田美之助の才能に敬意を表することでしょう。日本の伝統と芸術が共鳴し合う雨宮金寿堂の釣鐘は、今もなお多くの人々に感動と敬虔な心をもたらし続けています。実際に足を運びますと雨宮金寿堂の特別な魅力が次第に明らかになります。寺院の境内に足を踏み入れれば、そこは穏やかな雰囲気に包まれた神聖な場所となります。庭園に咲く花々や枝垂れる樹木は、四季折々の美しさを楽しませてくれます。特に春になると、桜の花が満開に咲き誇り、その美しいピンク色が御堂を彩ります。訪れる人々は、釣鐘の響きと桜の花の香りが交じり合い、心にやすらぎをもたらす瞬間を感じることでしょう。和田美之助が釣鐘だけでなく、周囲の自然環境にも心を込めたことが伝わってきますね。雨宮金寿堂はまた、地元の人々にとっても信仰心を育む大切な場所となっています。毎年、特別なお祭りや行事が開催され、地域のコミュニティが集い、交流を深める機会となっています。その中で、釣鐘が鳴り響くことで、人々は結びつきを感じ、心を一つにする瞬間が訪れます。このことから雨宮金寿堂の釣鐘は、単なる美的な要素だけでなく、地域社会においても大きな役割を果たしていることがうかがえます。歴史的な建造物や芸術作品が、私たちの生活に深い感動と意味をもたらすことを改めて実感します。雨宮金寿堂と和田美之助の釣鐘は、単なる観光地としてだけでなく、歴史や文化、人々の絆を育む場として、今なお私たちに価値あるメッセージを贈り続けています。ありがとうございました。
骨董品買取の福岡玄燈舎では茶道具や茶釜を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。