
福岡県春日市で藤井朱明の花器を買取りました!

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◇有田焼の大洪水、そしておじさん(骨董屋)は若返る…
最近の福岡は、どうにも落ち着かない。
朝は寒い。昼になると暑い。夕方にはまた寒くなる。まるで気象庁と太陽が酒でも飲みながら、「今日はこの辺で一回、気温をひっくり返してみようじゃないか」などと、いい加減な相談をしているような天気である。
我々、おじさん世代にとって、これはなかなかの難題だ。
朝、厚着をすれば昼に後悔し、薄着で出れば夕方に反省する。上着を脱いだり着たりしているうちに、一日が終わる。体温調節という、若い頃には意識すらしなかった機能に、いまや人生の貴重な時間を費やしているのである。
若い頃は徹夜もできた。酒を飲んでも翌朝には復活した。ところが今では、少々寝不足をしただけで、身体のどこかが「本日は休業いたします」と勝手に看板を掲げる。
まったく、身体というものは持ち主の許可もなく老朽化するから困ったものだ。
そんな我々にも、たちまち背筋が伸び、目の奥に光が戻り、場合によっては二十歳とは言わぬまでも、二十年くらい若返ったような気分にさせてくれるものがある。
骨董品買取の電話である。
病院からの電話なら血圧が上がる。銀行からなら残高が気になる。役所からなら、まず自分が何か悪いことをしたのではないかと考える。
ところが骨董品の買取依頼となると話は別だ。
「もしもし、骨董品を見てもらいたいのですが」
この一言で、さっきまで重かった腰が軽くなる。背中の丸みが取れ、歩幅が広がる。ついでに声まで一段高くなるのだから不思議なものである。
医者も驚く即効性。健康食品会社も真っ青の回復力。ただし、効能が現れるのは査定が成立するまでという、なんとも現金な健康法である。
もちろん、商売である以上、電話一本で儲かったわけではない。実際に品物を見て、調べて、値段をつけ、相手に納得していただかなければ一円にもならない。
それでも電話が鳴ると、心の中で小さな祭りが始まる。
人間、希望があるうちは元気なのだ。
さて、今回の依頼先は福岡県春日市。
太宰府市のお隣である。太宰府といえば天満宮、梅ヶ枝餅、そして学問の神様。受験生が合格を祈願する土地であるが、私の場合、祈願するのは査定の成功と帰りの道路が混んでいないことくらいである。
学問より現金。信仰より相場。罰当たりと言われればそれまでだが、こちらも生活がかかっている。菅原道真公には、どうか商売繁盛の方でご理解いただきたい。
依頼主のお宅に到着し、玄関を入った。
そこで私は、早くも言葉を失った。
有田焼。
有田焼。
そして、また有田焼。
玄関先から奥のリビングに至るまで、視界に入るのは陶磁器ばかりである。
壺、花瓶、皿、鉢、飾り物。棚の上にも、床の間にも、部屋の隅にも、こちらを向いて並んでいる。
ここは本当に一般家庭なのだろうか。
ひょっとすると、私は住所を間違えて窯元に来てしまったのではないか。表札には普通の名字が書いてあったはずだが、奥の方から轆轤を回す音が聞こえてきても、さほど驚かなかったかもしれない。
いや、これだけあると、もう有田焼の方が家主で、人間の方が居候ではないかと思えてくる。
「先代が集めていたものなんです」
依頼主の息子さん夫婦が説明してくださった。
なるほど、先代のコレクションである。
先代は相当に熱心な蒐集家だったらしい。ひとつ買い、またひとつ買い、気に入れば買い、気に入らなくても珍しければ買う。骨董好きというものは、時として自分の家を美術館に変えてしまう。
しかも、美術館と違って入館料は取れない。展示替えをしても誰も気づかない。作品が増えるたびに家族の生活空間だけが狭くなる。
蒐集家本人は満足である。
「いやあ、いいものが手に入りましてね」
その一言の裏で、奥さんが押し入れの収納場所を一つ失っていたとしても、本人にはあまり関係がない。
趣味とは、本人にとっては人生を豊かにするものだが、家族にとっては生活を圧迫することもある。特に陶磁器は、増えても米のようには食べられないし、布団のように畳んでしまうこともできない。
そして先代が亡くなった後、残された家族は考える。
さて、これをどうしよう。
相続というと、世間では土地や預金、株式などが話題になる。しかし、骨董蒐集家の家では、まず大量の壺や皿と向き合うことになる。
預金通帳なら銀行に持っていけば話が早い。土地なら不動産屋に相談できる。ところが古い有田焼となると、どこから手をつけていいのか分からない。
高そうには見える。けれど、本当に高いのかどうかは分からない。立派な箱に入っているからといって高価とは限らないし、箱がなくても驚くような値段がつくものもある。
見た目と値段が、仲良く手をつないで歩いているとは限らないのが骨董の世界だ。
今回の息子さん夫婦も、先代のコレクションには特段の思い入れがないようだった。
「私たちは、こういうものにまったく興味がないんです」
その言葉には、悪気も未練もなかった。
先代にとっては宝物でも、次の世代にとっては置き場所に困る物体である。
なんとも寂しい話ではあるが、考えてみれば仕方のないことだ。親が好きだったものを、子供も同じように好きになるとは限らない。父親が有田焼に人生を捧げても、息子はキャンプが好きかもしれない。母親が茶道具を大切にしていても、娘はコーヒーメーカーに夢中かもしれない。
趣味まで遺伝するなら、骨董屋はもっと楽な商売になっている。
さて、いよいよ査定である。
私は品物を一つ一つ手に取り、底を見て、絵付けを見て、形を見て、必要に応じて箱書きや銘を確かめる。
こういう時ばかりは、おじさんの身体も妙に元気になる。さっきまで気になっていた腰も、膝も、寒暖差も、どこかへ消えてしまう。
人間の身体は不思議だ。病院では「無理をしないように」と言われるのに、仕事となると自分から無理をする。医師の忠告より、目の前の古い壺の方が効くのである。
しかも今回は、品物の顔ぶれがなかなか豪華だった。
柿右衛門に今右衛門。古伊万里に鍋島。
江戸時代のものから、人間国宝に認定された作家の作品、現代の著名な窯元の品まで、ひと通り揃っている。
これだけ並ぶと、有田焼の歴史を自宅のリビングで復習しているような気分になる。
教科書なら何冊も必要だが、こちらは部屋を歩けば実物に出会える。しかも、触れる。場合によっては値段まで分かる。
ただし、博物館の展示と違うのは、こちらが一つ一つの値段を考えなければならないことである。歴史の勉強をしながら、同時に算数もやらされる。骨董屋とは、なかなか忙しい職業なのだ。
柿右衛門の華やかな色絵を見て、今右衛門の精緻な仕事に目を凝らす。古伊万里の味わいを確かめ、鍋島の格調に感心する。
それぞれに歴史があり、技術があり、作り手の工夫がある。
もちろん、名のある窯元だからといって、すべてが同じように高額になるわけではない。作品の種類、時代、出来栄え、保存状態、市場での需要など、いろいろな条件が絡んでくる。
骨董というのは、名前だけで値段が決まるほど単純ではない。
世の中には、名前が立派なだけで中身が伴わないものがたくさんある。人間も同じだ。肩書きが大臣でも、仕事ができるとは限らない。名門大学を出ても、靴下を裏返しのまま洗濯機に入れる人はいる。
陶磁器の世界も、なかなか人間社会に似ている。
その中に、藤井朱明の作品もあった。

佐賀県有田町を拠点に活動した陶芸家で、独自の木の葉手法による風景表現で知られている。磁器の白さと染付の青を生かし、木々や山並みなどの自然を器の表面に描き出す作家である。
有田焼というと、華やかな赤絵や豪華な金彩を思い浮かべる人も多いだろう。しかし藤井朱明の作品は、そうした華やかさとは少し違う方向を向いている。
青と白の世界。
そこには山があり、森があり、自然の静けさがある。器の表面に描かれた細かな文様が、少し離れて眺めると風景に見えてくる。近づけば細部の仕事があり、離れれば景色が広がる。
なかなか粋なものだ。
私たちは日々、いろいろなものを集めて生きている。金を集め、物を集め、情報を集め、時には人の評価まで集めようとする。
ところが、藤井朱明の作品を眺めていると、自然というものは、そもそも集める対象ではなく、静かに眺めるものなのかもしれないと思えてくる。
もっとも、骨董屋がそんなことを考え始めると商売にならない。
「いい作品ですねえ。自然の美しさが……」
などと感動している間に、別の業者に買われてしまっては困る。
芸術への感動と商売上の判断。
この二つを同じ頭の中で共存させるのが、我々の仕事である。なかなか器用なようで、実際には欲と教養の綱引きみたいなものだ。
さて、そんな具合に査定を続けていると、あっという間に時間が過ぎていった。
一つ見れば、次がある。次を見れば、またその次がある。
壺の底を確かめ、皿の絵付けを見て、箱を開け、銘を調べ、値段を考える。
気がつけば、三時間が経過していた。
三時間である。
映画なら一本観られる。福岡から少し遠くまで出かけることもできる。昼寝なら十分に深いところまで眠れる。
しかし、この三時間はなかなか充実していた。
何より、品物の量も質も相当なもので、査定金額もかなりの額になった。
もちろん、骨董品を買取る側としては、金額が大きいほど責任も大きい。高い品物を仕入れれば、それだけ売る時にも慎重になる。仕入れた瞬間に利益が確定するわけではない。
骨董商というのは、買う時には現金が出ていき、売れるまでは在庫が場所を取り、売れなければ頭が痛くなるという、なかなか健康に悪い商売でもある。
それでも、こうして良い品物に出会えるから続けられるのだろう。
査定結果を説明すると、依頼主のご夫婦も納得された様子だった。
ただし、先代が購入した時の金額とは、かなり差があったようである。
これは骨董品の世界では珍しい話ではない。
買った時の値段と、売る時の値段は違う。
買った時には、その品物が好きだった。珍しいと思った。手に入れた時の喜びがあった。店の人の説明にも心が躍ったかもしれない。
しかし売る時には、現在の市場価格が基準になる。
思い出は査定書に書けない。購入した時の感動も、領収書と一緒に値段に上乗せすることはできない。
「昔はもっと高かったんですけどね」
骨董品の現場では、よく耳にする言葉である。
その気持ちはよく分かる。誰だって、自分が大切にしてきたものが安く評価されれば寂しいものだ。
だが、買った時の価格をそのまま維持できるなら、世の中の投資家は誰も苦労しない。株も土地も車も、買った時の値段で売れるなら、経済番組はずいぶん退屈になるだろう。
骨董品も同じである。
ただ、今回のご夫婦には、品物への執着がなかった。
先代が大切にしていたことは理解していても、自分たちの生活に必要かと問われれば、答えは違う。
家の中に物がある。それを管理し、保管し、次の世代に渡すのか。それとも今、自分たちの暮らしに合う形に整理するのか。
結局、品物を手放すというのは、単に売買の問題だけではないのだろう。
先代の時代から続いていた暮らしを、次の時代へどうつなぐかという話でもある。
そして今回、査定金額にも納得していただき、無事に買取が成立した。
ありがたいことである。
こちらも大切な品物を引き取らせていただき、帰りの車に積み込む。
来た時には有田焼で埋め尽くされていた部屋が、少しずつ本来の生活空間を取り戻していく。
先代にとっては寂しいことかもしれない。いや、天国から見ていたら「おいおい、あれも売るのか」と苦情の一つも言いたくなるかもしれない。
しかし、これもまた時代の流れである。
物は人の手を渡る。
作った人がいて、買った人がいて、大切に飾った人がいて、そして手放す人がいる。
その間に、何十年という時間が流れることもある。
器そのものは変わらなくても、それを見る人の気持ちは変わっていく。
先代には宝物だった有田焼が、息子夫婦には整理すべき品物となり、今度は私たちの手を経て、また別の誰かのもとへ渡っていく。
骨董とは、物の歴史であると同時に、人の都合の歴史でもあるのだ。
そんなことを考えながら、私は帰路についた。
福岡の空は、相変わらず気まぐれだった。
朝の寒さが嘘のように暖かくなったかと思えば、夕方にはまた冷え込む。まったく、こちらの都合などお構いなしである。
しかし、今日はそれほど寒さが身にこたえない。
朝には少々重かった腰も、帰りには軽くなっている。背筋も、来た時より少しばかり伸びたような気がする。
おそらく気のせいだろう。
だが、気のせいでも何でも、元気になったのなら結構なことだ。
病院に行って薬をもらったわけでもない。健康器具を買ったわけでもない。高価な栄養ドリンクを飲んだわけでもない。
ただ一本の電話があり、春日市まで出かけ、たくさんの有田焼と向き合い、三時間ほど仕事をした。
そして、無事に商談がまとまった。
これだけで、おじさんは二十年若返った気分になるのである。
考えてみれば、ずいぶん安上がりな人間だ。
いや、仕入れ代金を考えると、会社にとっては決して安上がりでもないのだが。
それでも、良い品物に出会い、お客様に喜んでいただき、次の持ち主へと橋渡しをする。
これができれば、骨董屋冥利に尽きるというものだ。
もちろん、次の電話がいつ鳴るかは分からない。
明日かもしれないし、一週間後かもしれない。ひょっとすると、しばらく鳴らないかもしれない。
その間、おじさんはまた寒暖差と戦い、腰をいたわり、血圧を気にしながら日々を過ごすことになる。
それでも電話が鳴れば、きっとまた背筋が伸びる。
我ながら、実に都合の良い身体である。
人間、年を取ると、若返る方法もずいぶん現実的になるものだ。
若い頃は恋だの夢だのと忙しかったが、今では骨董品の査定依頼一本で十分に気分が高揚する。
色気がないと言えばそれまでだが、商売人としては悪くない。
さて、今回の有田焼たちは、これからどこへ行くのだろう。
誰かの床の間に飾られるのか。美術館の展示ケースに収まるのか。それとも、また別の蒐集家の家で、新たな仲間たちと肩を並べるのか。
いずれにしても、品物にとっては新しい人生の始まりである。
そして私にとっては、次の電話を待つ日々の始まりだ。
骨董品は人の手を渡り、おじさんは電話を待つ。
物は古くなる。
人間も古くなる。
ただし、買取依頼の電話が鳴った時だけは、どちらも少しばかり輝きを取り戻すのである。
ではまた……。
買取品の詳細


◇この「花器」は日展作家の藤井朱明作品です。透き通るような白磁に遠近感を入れた淡い染付の絵付けがとても繊細で美しい花器です。つくりも薄く仕上げられ縁もとても繊細に仕上げられていました。高さが訳30cm直径も同じくらいの大型作品でした。共箱と栞も付属しておりますので骨董品コレクションの一つに加えてください。
買取査定額

◇藤井朱明の買取査定額もしくは評価額ですが大きさやデザイン、図柄や色使い、ほかには共箱や栞があればより高価買取できます。ご自宅に藤井朱明の作品や有田焼などの骨董品が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

白金彩鳳凰紋 二尺皿 400,000円
花唐草鳳凰紋大皿 300,000円
古伊万里風間取花鳥文様飾り壺 150,000円
染錦丸紋飾り壺 100,000円 他多数
藤井朱明とは?
藤井朱明(ふじい・しゅめい、1936年生まれ)は、佐賀県有田町を拠点に活動し、有田焼の伝統的な技術を生かしながら、山並みや森林、木の葉、雪景色など、日本の自然が織りなす情景を磁器に表現した陶芸家です。日展や日本陶芸展、日本新工芸展などで活躍し、とりわけ独自の「木の葉手法」によって知られています。有田焼は一般には、華麗な赤絵や金彩、精緻な花鳥文様を思い浮かべる方も多いでしょう。しかし、藤井の作品の魅力は、装飾の華やかさだけではなく、磁器の白さと染付の青を巧みに使い、山や森に漂う空気、朝霧、雪、静寂といった自然の気配まで表現していることにあります。伝統工芸の技術と、近代的な造形芸術としての感覚を結びつけた作家といえるでしょう。今回の作品も山林の雪景色を描写して物で朱明さんの代表的なものでした。
1.略歴と陶芸家としての歩み
藤井朱明は1936(昭和11)年、佐賀県有田町に生まれました。有田は、17世紀初頭に磁器生産が始まったとされる日本を代表する磁器の産地です。江戸時代以来、国内外に向けて多彩な磁器を生み出し、染付や色絵などの技法を発展させてきました。
藤井朱明は、こうした陶磁器文化が深く根づく環境で育ち、15歳から町内の赤絵屋や製陶会社などで働き、陶磁器製作の現場で経験を積みました。1963年には錦付加工業として独立し、1974年には自らの窯である現在の「朱明窯」を開窯します。製陶の実務を経験したことは、器の形と絵付けを一体のものとして捉える制作姿勢につながったと考えられます。
主な経歴を年代順に整理すると、次のようになります。
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1962年:日展に初入選。その後も入選を重ね、外務省による作品買い上げも6回に及びました。
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1971年:九州山口陶磁展で新人賞を受賞。
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1974年:朱明窯を開窯し、独自の作風を展開。
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1977年:日本陶芸展に初入選。
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1978年:中日国際陶芸展で入賞。九州山口陶磁展では文部大臣賞を受賞。
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1979年:中日国際陶芸展で文部大臣賞を受賞。第1回日本新工芸展にも入選。
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1981年:日本新工芸展で日本新工芸賞を受賞。
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1985年:日展会友となる。
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1994年:佐賀県芸術文化功労賞を受賞。
これらの受賞・入選歴からは、地方の窯業産地を基盤としながら、全国規模の公募展でも継続的に評価されたことが分かります。
また、2000年には大英博物館展への出展が記録されています。これは海外においても日本の陶磁芸術を紹介する機会を得ていたことを示す経歴の一つです。ただし、出展したという記録と、現在も同館が作品を所蔵・常設展示していることとは区別する必要があります。
2.作品の特徴——独自の「木の葉手法」
藤井朱明の作品を理解するうえで重要なのが、自然の風景を磁器の表面に描く独自の表現です。とくに木の葉を利用して森林や山並みを描く技法は、彼の代名詞とされています。
① 木の葉手法——葉の形から山や森を描く
藤井の木の葉手法は、単に木の葉の模様を器に散らす装飾ではありません。木の葉の形や葉脈を利用しながら、遠景と近景の差を表現し、山並みや樹林が連なる風景を構成するものです。
資料によれば、遠くの山は淡く小さく、近くの山は濃く大きく描き分け、葉脈を木の枝に見立てる工夫が施されています。これによって、平面的な器の表面に奥行きが生まれます。ひとつの器に山の風景を描くため、1~2日をかけることもあったと紹介されています。
この技法の見どころは、自然を写実的に再現するだけでなく、葉の重なりや濃淡によって、森林の広がりや山の稜線を感じさせる点にあります。観賞する距離によって、細かな葉の模様として見えたり、遠くの山々を望む風景として見えたりするのも魅力です。
② 染付の青と磁器の白が生む静けさ
染付とは、磁器の素地に酸化コバルトを主成分とする呉須で文様を描き、透明釉を掛けて焼成する技法です。焼成後には、青色の文様と白い素地が美しい対比を生み出します。有田焼を代表する伝統技法の一つです。
藤井はこの染付を、自然の情景を描くために活用しました。濃い藍色で木々や山を描くだけでなく、淡い青の重なりや白い余白を生かすことで、朝霧に包まれた森や雪に覆われた山のような印象を生み出しています。
華やかな色彩で目を引く作品とは異なり、静けさや清涼感を味わえることが特徴です。器の白い部分も単なる空白ではなく、霧や雪、空気の広がりを感じさせる表現の一部になっています。
③ 器の立体性を生かした風景表現
藤井の作品では、絵付けだけでなく、器そのものの形も重要です。壺や花瓶の曲面に沿って風景が展開するため、見る位置を変えると山並みや森林の見え方も変化します。
また、彫りによる立体表現を取り入れた作品もあります。たとえば白磁の表面に彫刻的な表現を加えた作品では、磁器の白さ、表面の凹凸、光によって生まれる陰影が一体となります。
このように、藤井の作風は絵画的な表現だけにとどまりません。陶芸ならではの立体性と、絵画に通じる構図や遠近感を組み合わせたところに、造形作家としての特色があります。
3.代表作品と見どころ
1. 《天目 木の葉ちらし 花瓶》
1979年(昭和54年)
木の葉を主題とした藤井の表現を知るうえで、重要な作品です。題名からは、天目の深みのある色調と、木の葉を散らした意匠を組み合わせた作品であることが分かります。伝統的な陶磁器の装飾と、自然をモチーフにした独自の造形感覚の両方に注目したい作品です。
公開資料に記録された寸法は28.5×39.5cm。新潟市の敦井美術館の所蔵作品として登録されています。
2. 《朝 飾器》
1989年(平成元年)
「朝」という題名が示すように、藤井が得意とした朝の風景や自然の静けさを考えるうえで興味深い作品です。飾器としての造形と、表面に展開する意匠の調和に注目できます。寸法は32.5×34.2cm。敦井美術館の所蔵品で、第11回新工芸展への出品歴も記録されています。
3. 《白磁染付彫壷》
白磁の美しさと染付、彫りの表現を組み合わせた作品です。染付による青の表現だけでなく、器の表面に生まれる陰影や立体感にも目を向けると、藤井の技術の幅が理解しやすくなります。この作品名は、藤井の作品を扱う美術商の掲載資料にも見られます。
4. 《染付暖流》
画像はありませんが波の部分に立体感を持たせ、暖流を表現した作品です。森林や山並みだけでなく、水の動きも重要な表現対象だったことがうかがえます。販売資料では高さ32cm、径25.5cmと紹介されています。波の造形と染付の青がどのように組み合わされているかが見どころです。
これらの作品を比べると、藤井の魅力は特定の文様に限定されません。木の葉による山や森の表現から、白磁の彫刻的な造形、水の動きの表現まで、自然の形や気配を磁器という素材に置き換える幅広い試みが見られます。
藤井朱明の作品は、有田焼の伝統を受け継ぎながら、磁器を自然の風景を表現する媒体へと発展させた点に特色があります。
有田焼の歴史において、染付や色絵は器を美しく飾るための重要な技術でした。藤井はその技術を用いながら、山並みや木々、朝霧、雪、水の流れなどを表現し、器に絵画的な奥行きと詩情を与えました。特に木の葉手法は、細かな自然の形を組み合わせて雄大な景色を表現する、独自性の高い試みです。
また、藤井朱明の作品は、鑑賞者に強い色彩や豪華な装飾を訴えかけるというより、静かな自然の風景を思い起こさせます。磁器の白さと染付の青、器の丸みと文様の広がりが一体となることで、実際の風景を眺めるような感覚を生み出しています。
作品を見る際には、次の3点に注目すると、その魅力がより深く理解できるでしょう。
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遠近感:濃淡や文様の大小によって、山や森の奥行きがどのように表現されているか。
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余白と色彩:白い磁肌と青い文様が、霧や雪、空気の広がりをどう感じさせるか。
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器の造形:絵付けが壺や花瓶の曲面に沿って展開し、立体的な作品としてどのような効果を生み出しているか。
藤井朱明は、有田焼の伝統技法を単に守るだけでなく、そこに独自の風景表現を切り開いた陶芸家です。彼の作品は、磁器の美しさと自然へのまなざしが結びついたものとして評価できます。代表作を実際に鑑賞する機会があれば、まずは木の葉の細部を観察し、少し離れて器全体を眺めてみてください。細かな文様が山や森林の風景へと変わる、その表現の工夫こそが、藤井朱明の芸術を理解する大きな手がかりとなります。


■参考サイト

■その他の買取品目
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